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青い花

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 厚い毛皮の手袋をはめたままでは実はほぐれなかった。片手だけ手袋を外すと、冷気にさらされた皮膚がぴりぴりと引きつるように痛んだ。小さな粒を五粒ほど取って差し出したが、リダは頭を振った。
「食べるなんてもったいない」
 掌を返して、リダの白い細い手の上に赤い粒を移した。
「宝石だ。……ありがとう」
 殻のついた塊を渡して、ハルはほっと息をついた。受け取ってくれた。よかった。
「……きれい。もう一度ハアってして」
 リダは心持ち光除けを持ち上げて言った。呼気の中の水分が瞬間的に凍ってきらきらと光るのが珍しいのだ。
 リダたちの息はここの気温とさほど差がない。ハルはリダに息を吐き掛けないよう注意して、できるだけたくさんの息を吐き出した。真っ白い小さな雲が生まれ、すぐに散った。喋った上に息を深く吸いすぎて、鼻と喉だけでなく胸の底までが冷気に痛んだ。
「わたしも、ハルに贈り物を持ってきた」
 腰に巻きつけていた細い帯の下から、リダは小さな青い塊をつまみ出した。
「青氷石の結晶。花みたいでしょう」
「きれいな形だ。珍しいな」
 完全な五弁花の形である。小さいが完璧な結晶だ。
「小さいからあまりいい値にはならないと思うけどね。あげるよ」
「いいの? これだけ完全なら小さくても買いたがる人は多いと思うよ」
「ハルが上で売ってくれたらいい」
「売ったりしない。大事にするよ」
 リダは喜んでくれたようだ。白い唇が開いて、ちらりと歯がのぞいた。
 広間の中央で交易を見守っていた双方の隊長が、声を上げた。
「今回の交易はここまで」
「次回は新月の頃。地上からはジンの隊が来る。合図は笛」
「地下からは次回もラヅの隊。合図は鈴」
「承知」
「新月に」
 さまざまな声が広間の高い天井に響く。売れ残りを慌ててさばく者、荷造りを急ぐ者、帰り支度が始まった。
「……次は来る?」
「わからない。でも今は花が多いから、隊に入れてもらえないかジンに頼んでみる」
「そう。じゃあまた青氷石の結晶を探しておくよ」
「じゃあとびきりの赤い花を探してこよう」
 リダはうつむいた。
「……わたしには赤い花はいらない」
 広間は、地上の人間には寒すぎる。ここまで下りてくるのに五日、重い荷が増える上りには十日を要することもある。凍傷のために手足の一部を失ったり、厳しい冷気と暗闇に精神に失調を来すものも少なくない。交易はできるだけ短時間ですませなければならない。
 また広間は、地下の彼らには明るすぎ、暑すぎる。光除けを被り、薄着になっても、目に突き刺さる光とうだるような暑さに小柄な彼らはどんどん体力を奪われる。毛皮で保温したハルたちの呼気が直に肌にかかれば、彼らは火傷をしたようにもだえ苦しむ。
「宝石の実をありがとう」
「青い花をありがとう」
「また会おう」
「できれば、次の交易で」

 ハルは小さい氷をひとつ頼まれた。この運搬料もまた収入になる。
 次第次第に冷気が緩み、厚い毛皮を一枚ずつ脱いで氷の塊の上に載せていく。地上に着く頃には氷は三分の二ほどに痩せ、ハルたちはすっかり薄着に戻っていた。地上は真夏だ。
「ハル!」
 真っ黒に日焼けした顔が待っていた。

 交易隊が戻るのに合わせてきていた宝石屋に石を売った。これで次の新月までは働かなくてもよいほどの蓄えができる。
「ハル、魚を食うか。貝もあるぞ。今朝上げてきたばかりだ」
「蒸し焼きがいいな。茸と野菜を仕入れてこよう」
「ああ、そんなのは俺がやるから、ハルは休んでな」
 指の節の皺の中まで真っ黒に日焼けした手が伸びてきて、ハルの手をつかんだ。
「この暑いのにそんなに冷たい手をして。氷詰めになってたせいだ」
 分厚い手が不器用にハルの手を包む。
「海はぬくいぞ。その間に食事ができる。体の芯から温まる、熱いものを作っておこう。酒も飲むか」
「黄酒が手に入るかな」
「探してみよう。いいからハルは海へ行け」
 岩の多い浜は太陽に炙られてじりじりと焼けていた。足の裏が焦げるような熱さをこらえて、波打ち際までゆっくり歩いた。
 足を舐める潮は温かい。濡れた砂も熱い。降りかかる太陽の光が、肌にしみこんで熱になる。血液の温度が上がる。少しずつこわばっていた体がほぐれてくる。
 リダは、この熱と光の中には出られない。
 肩と鼻がひりひり痛み始めるまで、膝のあたりまで海につかったまま沖の雲や波をながめてすごした。戻ると熱くて辛い食事ができていた。ハルはよく食べよく飲み、声をあげて笑った。

「ハル」
 背後から肩越しに呼ばれて、ハルは首だけで振りかえった。
「眠れない?」
「疲れてはいるんだけどね」
 開け放した窓からはむっとするような湿気をふくんだ夏の夜風が入ってくる。深い藍色の空には白い半月が懸かっている。
「月がまぶしいか」
「いや」
 ハルはまた視線を月に戻した。
「ずっと地下にいたから……空が見えるのは嬉しい」
「そうか」
 寝台がぎしりときしんだ。隣に寝ていたバズが寝返りをうったのだ。
「……まだ足が冷たいな」
 掌の固い皮膚が足先に触れた。じんとしびれるように温かく感じた。
「半月も地下にいたんだから、そう簡単に温まるわけがない。明日か、遅くても明後日にはもとに戻る」
 バズは背後からすっぽりとハルを抱き込んだ。
「……また下りるのか」
「仕事だから。花の季節のうちに、稼げるだけ稼がないと」
「俺が稼ぐ」
 昼じゅう日に焼かれるバズの体は夜になっても冷えない。熱の塊のような胸に引き寄せられたまま、ハルは黙っている。
「漁は花の商売より稼ぎは少ないが、ふたり食べていくくらいならなんとかなる……俺と一緒になってくれないか、ハル」
 バズの鼓動が、薄い布越しに伝わってきた。
「今だってバズは特別だ。わざわざ一緒になるとか言わなくても」
 ぎゅっと胸を締め付けられた。
「……いやなんだ」
 分厚い手がハルの鼓動を求めるように胸をさぐる。
「氷の中でハルが危険な目に遭っているかもしれないと思うと眠れない。滑落したり、凍傷にかかったりするんじゃないか……、ハルが下にいるあいだ、俺はずっと、怖い」
「無理はしていない」
「……薬師に聞いたんだ」
 もうひとつの手がそっと腹に触れた。
「あまり冷えるのは女には毒だって。子供が産めなくなるかもしれないって」
 ハルは驚いて跳ね起きた。バズは日焼けした顔を至極まじめに引き締めてハルを見上げていた。
「ハルは子供を持つ気はないのか」
「……わからない、そんなこと、まだ」
 自分が女だということは知っていたが、子供を産むかもしれないということを、それまでハルはほとんど意識したことがなかった。厳しい交易隊の仕事をするハルは、集落の子持ちの女たちとくらべると、乳房が小さい。腰も細い。手足は細いが筋肉質で、地上で働く娘たちのようなやわらかな丸さはない。
「それはそうだ。まだ若すぎる」
 バズはハルのむき出しの膝の上にそっと手をのせた。
「俺もまだ親になれるとは思わない。……でも子を持つなら、ハルがいい」
作品名:青い花 作家名:みもり