小説を書くこと
6.丁寧に書くこと 2016/02/16
このことは、ここでいろんな方とやり取りをするようになって
感じたことです。
今はメールやラインで「文字のやりとり」をすることが多いので、
どうしてか食い違ったり、思惑と違う方に流れたり……
対面しているときには感じない「難しさ」を体験された方も多いと思います。
同じ文章でもなぜか手書きの『手紙』だとちゃんと伝わることもあって…
「画面上に打った文字」の冷たさをいかにやわらげるか、
そのことに骨を折られる方もたくさんいらっしゃると思います。
いかに正確に自分の思っていることを相手に届けるか。
それは小説を書く上でも必要なことだと思うのです。
個人的なメッセージの場合、まず相手の顔を思い浮かべますよね。
こんなことを言ったら喜ぶかもしれないな、と考えることもあれば、
このことはもしかしたら気に障るかもしれない、と配慮することもあります。
知っている相手だからこそ、書けることと書けないことの違いがわかる。
けれど小説の場合は、不特定多数の人にむけて書くわけだから、
何がよくて何がいけないのか、断言することはできない。
その状況で自分の伝えたいことを文章のみで相手にくみとってもらわないといけない。
そうなったとき、やっぱり必要なのは「丁寧に書くこと」かなと考えました。
なにもないところから始まった白紙の物語に入ってもらうために、
丁寧な描写はもちろんのことですし、相手に伝わる文章を書かないといけない。
凝った言い回しや聞きなれない言葉もいいけれど、
連続して使い続けると、やっぱり読み手には伝わりにくい。
このあたりは人によって好みや使い分け方が違うかと思うのですが、
どちらにしろ読んでいる人の脳内に描写が再現されないと意味がない。
自分が当たり前だと思っている世界は、おそらく読み手にとっての当たり前ではないから、どう書けば伝わるかいちから考える必要がある。
……とここまでは風景や人物の描写のことですが、
なにより丁寧に書きたいのは「心情の描写」です。
書きたいのは自分の心の中にたまっているものだけれど、
それをそのままどーんとぶつけられると、正直読みにくいですよね。
特にマイナスの感情が羅列しはじめると、そっちにひきずりこまれて必要以上にしんどくなってしまう。
もちろん人の感情はプラスのことばかりではないので、
マイナスの感情も書く必要があるのですが、
書くときは読んでいる人がどんな気持ちになるか、考える必要があると思うのです。
たとえば人生に苦しむ人がいたり、ときには死んでしまったりしても、
読む側への配慮がなされているかどうかは、読めば一目瞭然です。
そしてまたマイナスの感情が書きつづられているときでも、
決して読み手を不快にしようとしているわけではない、ということは、
丁寧に書かれていればわかることです。
このことは、たくさんの感想をいただいたときに気づきました。
長編小説の場合、どうしても中盤以降に、
書いている自分自身がしんどくなるような展開が必要になってくるのですが、
それでも最後まで読んでよかったと言って下さる方がいる……
いただいたメッセージの中に失礼なことなど何一つ書かれていないのに、
細心の注意を払って書いてくださっているんだなということが、
ひしひしと伝わってくる。
ああ、私もこういう文章を書かなきゃいけないんだな、と思えるようになったのは、本当につい最近のことです。
メールも、長文のメッセージも、そしてまた小説においても。
丁寧さは必ず相手に伝わる。
そのことをたくさんの方に教えていただいたので、
私もそのような「相手を思いやる」ものを書いていきたいです。
(ただ、小説の場合は説明文が長いと読みづらいので、
極力、描写とセリフで書く!ことは忘れずに。)
(蛇足ですが……私はかなり雑に突っ走って生きてきた人間です。えらそうなことは何一つ言えない立場ですが……この歳になってようやく「丁寧に生きる」ことに目覚めました。まだまだ脱皮中です。精進します)