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奴隷

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「ああもう、やめませんか? せっかく久しぶりの兄弟水入らず。いつもと同じ議論じゃつまらないじゃありませんか。まあ、貴方のそういう頑固なところは好きですけどね」
「俺はお前のそういう性悪な所は嫌いだよ」
ザフォルは、そうやって金を無心にきながらも、いつもヴァシルの行動に苦言を呈していくような男だった。飄々としていて胡散臭い。けれど、心の奥では人間味のあふれた熱い男だったのだろう。
「旦那様、――の件について少しよろしいでしょうか」
奴隷の執事が、分厚い扉の向こうからきっちり二つ、音を響かせる。
「そのようなこと、お前たちで処理しなさい」
「申し訳ございません。ですが――」
厳しく言い渡してもなお、引き下がる気配のない筆頭奴隷の声は、切羽詰まった様子だった。どうやら、奴隷たちではさばき切れない難題が降りかかったらしい。ため息をつけば、向かいでザフォルが、琥珀で出来た灰皿でタバコの火をつぶしている。
「相変わらず忙しそうだな。俺はこれで失礼するよ」
「申し訳ありません。まったく、せっかく貴方が来てくれても奴隷たちに手を煩わされるのでは、ろくに話もできない」
「そう言うな。爺様は大事にしてやれよ。長く仕えてくれてんだから」
「はいはい。本当に、貴方の奴隷に対する甘さには、いつもいつも頭が下がります」
ザフォルが爺様と呼ぶのが、この商館の筆頭奴隷である今の執事の事だった。もともとザフォルは奴隷の母親から生まれたのだから、奴隷に対して寛容であるのは仕方がないとは思っていたのだが、この所、それ以上の何かがあるようにも見えていた。そしてヴァシルには、その寛容の度を超えた感情が、理解できなかった。
奴隷を打ち据えるために館の中では常に持ち歩く乗馬鞭を手に、ヴァシルは部屋を出ようとする。それにすら眉間を険しくするのだから、呆れてしまう。しかしそこで一つ、ヴァシルは思いついた。
「そうだ。貴方に奴隷を一つ与えましょう」
「奴隷? 別に俺は……」
「それで資金難が増えるようでしたらまた私のところにくればいいでしょう? 聞きましたよ。貴方の家、荒れ放題だと言うではありませんか。不衛生で死なれても困りますし。性奴隷は嫌だとおっしゃるでしょうから、家事奴隷を持ってお行きなさい」
奴隷を使いたくはないと、常々ザフォルは言っていた。しかし、あまりにも潔癖すぎるのはどうかと、ヴァシルは常々思っていた。だからいっそ、押しつけてしまえば、彼も使う側の人間として、少しは自覚してくれるのではないか。そう、ヴァシルは考えたのだが。
粗相をした奴隷の背に容赦なく鞭を振るいながら、ヴァシルは次に会った時、ザフォルがどのように変わっているか思い描いた。
だが、ザフォルはヴァシルが思ったようには、変わらなかった。


それからザフォルが再び館を訪れたのは、半年もたたないうちだった。思いの他早い訪れにヴァシルの方が驚いたほどだ。
「いや、いろいろそろえようと思ったら結構あっという間に金がなくなっちまって」
と、いつものように苦笑するザフォルだったのだが、その笑みがどこかいつもよりしまりがないように見えたのも、ヴァシルをうろたえさせた一因だった。
「それほど、あの奴隷を気に入りました、か」
「ああ、――はいい子だよ。よく働いてくれるし。それに、最近やっと普通に笑うようになってくれたんだ」
そのザフォルの言葉は、明らかにヴァシルを不快にさせた。奴隷を番号ではなく名前で呼ぶのはまだ許せた。奴隷を飾り立てたり良い暮らしをさせると言うのも、そういう趣味だと言うのなら否定する気はない。だが、笑うようになった、と言うのが解せなかった。
ヴァシルの商館で、性奴隷になる奴隷はまだともかく、家事奴隷にさせる奴隷は、戦闘奴隷ほどではないにしろ徹底的な教育を施す。無意味な表情を浮かべることも許さない、という徹底ぶりは、一部の上流階級にはひどく好評であったのだ。そして、ザフォルに渡した奴隷も、例にもれずそういう奴隷であったはずだ。
躾が足りなかったのか。ヴァシルはそう考えた。だとするのなら、それはヴァシルの商館においては不良品であり、回収の対象である。再度躾し直せば出荷できるようであっても、一度戻された商品を再び売りに出すようなことは絶対にしない。せいぜいどこか別の店に売り払うか、それもできなければ、処分する。
しかしそんなことを伝えれば、ザフォルはまた食ってかかってくるに決まっていた。
「仕方ありませんね」
ザフォルをヴァシルはいつもより長くひきとめた。そしてその間に、配下の者に例の奴隷を回収させた。
奴隷が連れてこられるのと、さすがにザフォルが痺れを切らして帰宅の途に就くのとはほぼ同時だった。ヴァシルはザフォルを見送り、そして例の奴隷に会った。
女の家事奴隷は、地下の独房で足を鎖に綱がれ、既にいくつか青痣を作りながら怯えていた。なぜか腹を仕切りにまさぐっている姿に、ヴァシルは奇妙な違和感を覚えた。
「旦那様、この奴隷、子を孕んでおるようです」
耳打ちしてきた拷問奴隷の言葉に、ヴァシルは己の耳を疑った。なんということだろう。売ったばかりの、それも家事奴隷がこんなにも早々に妊娠するなど、ありえない。
「奴隷。その子は一体誰の子です。まさか、ザフォルの許しなく孕んだと言うわけではないでしょうね」
もしそうだとするなら、重大な欠陥品である。しかし、奴隷はしきりに首を振る。
「ならばザフォルが許したと? まったくあの男は一体何を考えているんです。家事奴隷にこうも簡単に子を孕ませるなんて。繁殖でもさせる気ですか。それで、一体だれの子だと?」
「ザ、フォル」
か細い声で答えた奴隷の言葉に、戦慄が走った。
「今、なんと言いました」
直後、鋭い音が空を切り、女奴隷の肌を容赦なく打った。
悲鳴を上げ、女奴隷は倒れ込むも、それでも腹をかばうようにヴァシルに背を向け、うずくまる。
「もう一度聞きます。誰の子だと、今お前は言いましたか」
しかし、奴隷は震えるばかりでまともに応えようとはしない。
「答えろと言うのがわからないのか!」
更にヴァシルは鞭を振るった。もはやただの激昂だった。容赦なく打ち据えるたびに、女奴隷の背にみみずばれのように赤い傷が幾筋も走っていく。
女奴隷はそれでもなお、腹の中の赤子を守るようにうずくまるばかり。だが、そのうちに女奴隷は鞭うたれた痛みに悶えるのとは明らかに違って、自分の腹を押さえて苦しみ始めた。同時に擦り切れた股の間からは、赤い血がおびただしく流れだす。腹の中の子が、ヴァシルの容赦ない折檻によって流れたのだ。
ヴァシルはそれを鼻先で笑って、更にひときわ高く鞭を打ちつけた。
「始末なさい。今すぐに。こんな汚らわしいもの、一秒たりとも生かしてはおくものですか」
鞭を放り投げ、ヴァシルは血まみれになった牢を後にした。直後、女奴隷の喚き声が激しくなり、そして唐突に止んだ。
それを聞き届け、見計らったように執事奴隷がある人物の再来を告げた。ザフォルが再び、戻ってきたのだった。


ヴァシルは自分の執務室に戻ると、来客用のソファでぐったりとうなだれるようにして待っていたザフォルを見つけた。
「お待たせして申し訳ありません」
「――をどこにやったんだ」
作品名:奴隷 作家名:日々夜