からっ風と、繭の郷の子守唄 第40話~45話
「なるほど、お前の直感は正しい。
千尋という子でなぁ、まだ30そこそこかな。
最近、チョコチョコわしの所へ来る。
いま飼っている黄金の糸を吐くオカイコは、その子に熱望されて
飼い始めたものだ。
知っておるかお前。今時のオカイコは黄金の糸を吐くのだぞ」
「それくらいは知っています。
群馬黄金の糸のことなら、養蚕関係者から聞いています。
え・・・ということは、徳爺さんは、養蚕を復活したのですか!」
「うむ。千尋という女の子に根負けしてのう。
その子はここの桑の大木を目印に、下の駅から坂道を登ってくる。
アメリカに占領されていくこの桑の姿に、来るたび、心が痛んだそうだ。
お前。理由はともあれ、女の子を泣かせるのはよくないぞ。
そんな理由(わけ)じゃ。一瀬の枝を切ることには、わしも反対じゃ」
「じゃ、消毒するしかありませんね、こいつを退治するためには」
「お。ようやくやる気を起こしたか。
うん、女のためにやる気になるのはいいことじゃ。康平」
「そう言う意味ではありません。やらざるをえないからです。
放置すればこのまま大繁殖を繰り返して、周囲へ迷惑をかけます。
被害も増えるでしょう。
それにしてもどこの誰なんですか、その千尋という女の人は?」
「おう。とびっきりの京美人じゃ。
あ、いやいや本人は、和歌山の海岸沿いに生まれたと言っておった。
京都で呉服商に勤めていたが、絹の糸地に興味を持ったそうじゃ。
ひとりで群馬までやって来て、安中の座ぐり糸見習いとして就職したそうだ。
この地に根付いて、座ぐり糸作家になるのが夢だそうじゃ。
節のある赤城の糸に魅せられて、ここへやって来た。
ここへやって来るたび、この桑の大木を見上げるのが楽しみだそうじゃ。
わしと出会ったのもこの木を見上げていた3年前のことだ。
それからじゃ、わしらの付き合いがはじまったのは」
「その子との出会いがきっかけで、また養蚕を始めたわけですか。
なるほどねぇ・・・・美和子だけじゃなかったんだ。
生糸に興味を持つ女の子は」
「うん?、何か言ったか。よく聞こえんが。
わしのところに、動噴(動力噴霧器)があるが、それでも苦戦するだろう。
この大きさとこの繁殖ぶりだ。ちっとやそっとの消毒では歯が立つまい。
まさに『沈黙の春』とも言うべき勢いがあるからな」
「なんですか。その『沈黙の春』というのは?」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第40話~45話 作家名:落合順平