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からっ風と、繭の郷の子守唄 第40話~45話

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 「樹齢が、80年をはるかに超えている?。
 桑という木は、人の背丈ほどの高さに切りそろえて管理されています。
 背丈が低いのが当たり前と、思い込んでいました。
 でも自然界へ放置すると桑もここまで長寿で、大木に育つのですか」

 「驚くことはない。
 沼田市には、日本一の桑の巨木がのこっておる。
 『薄根の大桑』と言ってな、樹齢は1500年、幹の周りは5.3m、直径が1.7m。
 樹高が13.7mもある山桑だ。
 お前が見たのは、養蚕用に畑に植えられていた桑の木だろう。
 桑の特徴は枝が伸びるに従って、地面に接している部分から旺盛に
 根を張ることだ。
 四方へ伸びる根によって支えられることで、枝と葉の勢いも強くなる。
 低木で根をよく張るものが、養蚕に適しておる。
 だが残念ながら、このあたりにクワはほとんど残っておらん。
 桑の木を見ること自体、珍しくなったからな」


 「この木が養蚕業にとって特別な役割を果たした、と言われましたが
 それはいったいどう言う意味なのですか」

 「こいつは、一瀬(いちのせ)と品種じゃ。
 養蚕用クワ苗木の原木で、農林水産省によって一瀬と名付けられた。
 大正から昭和初期にかけて、養蚕業の発展に大きく寄与した。
 原木は、山梨県西八代郡市川三郷町に今でも有る。
 山梨県指定の天然記念物として、いまでも大切にされている。
 1898年(明治31年)、三郷町に住んでいた一瀬益吉という人物が、
 中巨摩郡忍村から桑苗を購入した。
 「鼠返し」と呼ばれる桑苗じゃ。
 通常の鼠返しとは異なる良質な苗木を、3株ほど偶然に発見した」

 「突然の変異種ですか?」


 「3つの苗木は枝の色合いから、シロキ(2株)、アカギ(1株)と呼ばれた。
 益吉はこれを原苗として、自らの桑園で増やした。
 近隣の村々へこれを配布した。
 葉の質、収穫量ともに従来のものとは明らかに異なった。
 葉は光沢があり大きく、病害虫にも強い優れた品種のものになった。
 1916年(大正5年)、西八代郡農会主催の「桑園品評会」に
 出品され優秀賞を取った。
 同年の大日本蚕糸会山梨支会主催の「第三回蚕糸品評会」においても、
 優等賞が下賜され、日本全国に知られることとなった。

 養蚕業が外貨獲得のための輸出産業として、
 盛んに行われていた時代のことだ。
 一瀬益吉によって発見されたこの桑は、農林水産省により、
 一瀬の姓を冠した。
 栽培品用として正式に登録され、またたく間に日本全国へ普及した。
 シロキは一瀬の青木、アカギは一瀬の赤木と呼び変えられた。
 今日に至るまでの養蚕用桑の、すべての原型になっておる。
 一瀬益吉はその後も桑園の改良や、製糸工場設立など
 養蚕業の振興に尽力しておる。
 1921年(大正10年)、5月28日、55歳で死去した。
 この木は、それらの血筋を受け継いだ一瀬だ。
 ここへ植えられて以降。多くの子孫たちをこの一帯へ広げていった。
 一瀬という桑は、それほどまでに優れたものではあった。
 だが時代の波と製糸業の衰退の現実には勝てず、今はここに
 こいつを残すのみとなってしまった」


 巨木を見つめている古老の瞳に、感慨深い想いが深く潜んでいる。
康平が初めて聞く、桑の大木にまつわる養蚕業の栄光と挫折の物語だ。
目の前にそびえるクワの古木が、長い年月にわたって養蚕業の衰退の道を見つめてきた、
生き証人に見えてきた。