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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
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切れない鋏 7.小雪の章 花吹雪 (最終話)

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 二曲目は『スイッチ・イン・タイム』だ。ミディアムテンポのこの曲は小雪のお気に入りで、軽快なドラムのリズムに乗って、ダークな雰囲気のサックスソリが展開される。

 今度はカップミュートを持った武がソロマイクの前に立つ。

 これも短いが、ソロ冒頭のカップミュートを開けたり閉じたりするしぐさが魅力的で、思わず見惚れてしまう。

 ラストのベルトーンで曲が締めくくられ、ようやくMCが入る。

 例のギタリストがいつもの調子で軽妙なトークを繰り出す。客席の人たちは彼のくだらない話にくぎ付けだが、トランペット隊の真ん中に立つ武が後輩たちと笑いあっているのを小雪は見逃さなかった。

 ビッグバンドの演奏に武も参加してもらうという案が出た時、賛成するべきかどうかずいぶん悩んだ。不調を目の当たりにしていたし、後半のコンボに支障が出るのではという不安もあった。

 けれどそのあたりは武なりに調整しているらしく、曲の後半に必ず登場するハイノートを激しく吹き鳴らしたりはしなかった。三曲目以降もトランペットのソロがあったがそれには手をつけず、今夜限りのビッグバンドを彼なりに楽しんでいるようだった。

 MCのあと、『スィーティ・ケイクス』『ウィンド・マシーン』『コーナー・ポケット』と続く。演奏中、時々武が目配せをしてくる。

「1stトランペットはベースの音を聞いてキィの微調節をしている。俺がぶれなければ、ホーンセクション全体がまとまった音色を響かせられる。だからお前は揺るがずに弾け」

 初心者の頃から、彼に何度そう言われたかわからない。今も間違いなくその考えは変わっていなくて、小雪の音色をつぶさに聞き取っている。二人の音色がビッグバンドの根幹を支えている――ベースをやってきてよかったと、何よりも実感できる瞬間だった。

 最後に用意しているのはトランペット・フィーチャーの『ナイト・イン・チュニジア』だ。もちろん武に吹いてもらうために持ってきた曲だが、バンドと合わせる時間は取れない。もし断られたらベリーファーストテンポの『マジック・フリー』を吹ききって終わってしまおうという愛美らしい算段だった。

 黒いカットソーの袖をまくり上げた武が、前に出てくる。MCの「最後の曲は……なんと!」という前フリと、悠然とソロマイクの前に立つ武の姿を見て、これから何か始まるのではないかという期待に満ちたざわめきが客席から起こる。

 『マジック・フリー』にはテナーサックスのソロしかない。手のひらにうっすらと汗をかいていることに気づいて、小雪はこっそりブラウスの裾で拭いとる。

 愛美が指でバンド全員に指示を出す。「1」なら『マジック・フリー』、「2」ならピースサインで『ナイト・イン・チュニジア』だ。

 彼女の短い指が見せたのは、星のように輝くピースサインだった。

 バンドメンバーは満面の笑みで譜面をさしかえる。最後の曲は――

「ナイト・イン・チュニジア!」

 ギタリストが声を上げると、信洋がカウントを始めた。

 ドラム、ベース、バリトンサックスの三名でラテンのリズムを刻む。そこへピアノとギターが乗り、トランペット隊がメロディを吹く。4ビートに切りかわったあと華麗なサックスソリが流れ、再びラテンのリズムに戻る。

 トランペット隊が楽器を構える。同じリズムで音程の変化をつけながらフレーズを吹いていく。ソロマイクの前に立った武がくちびるを舐める。

 コーラスのラスト四小節、全ての音が鳴りやむ中で、武のソロが始まった。

 次の瞬間、金髪を逆立てて演奏する武の姿が眼前に浮かんだ。 

 ソロを聞きながら、一体いつの記憶なのか、必死で探った。弦をはじく手がおろそかにならないように、記憶の根底に腕を伸ばす。
 あの髪の色は彼が大学現役時代、慎一郎が亡くなるよりも以前のはずだ。

 ――隣に座っている愛美が高校の制服を着ている。半そでから細い腕が伸びている。狭いライブハウスは熱気に満ちて、金髪の武が世界を凝縮するようにトランペットを吹いている。小雪は息をのむこともできず、彼の引力に引き寄せられていく――
 生まれて初めてジャズの生演奏を聴いた、あの時のソロだ。

 あの曲が――『ナイト・イン・チュニジア』だったのだ。

 あの時、反対側には慎一郎が座っていた。暗闇の観客席で目を輝かせ、指がベースのポジションを取っていた。「いつか兄貴と一緒にやるんだ」演奏中、彼はこっそりそう言った。情熱に満ちた眼差しで小雪を見つめていた。

 慎一郎に代わってオリエンテのベースを弾く。そのことにもうためらいはない。きっと彼は月にいて、武の演奏を聞いている――

 あの頃とは違って血が煮えたぎるような興奮はないけれど、自分の弾くベースが確かに彼の演奏を支えているのだという手ごたえがある。

 武が髪を揺らしながらソロを奏でる。あの時抱いた、金色のたてがみを持つライオンが闇夜を疾走していくイメージは、遠からず当たっていたようだ。

 ――異国の夜を彩る星々はいっそう輝きを増し、人々の心に降りそそいでいく。一日の心配事は不思議に消え去って、夜の訪れとともに自由をもたらしてくれる――武が追い求めた自由が、今ここにある。

 ラテンのビートが挟まり、武のソロは小休憩をする。信洋のリズムに合わせてホーンセクションが場をつなぐ。

 4ビートに戻るところからトランペット隊がシェイク奏法でハイノートを鳴らし、からみつくように武がソロを吹く。後半からアドリブに入った彼のソロは揺るぎなくそそり立ち、聞いたものの心臓を貫いていく。

 迷わず、惑わず、一心不乱に前にむかって突き進んでいく。

 二回繰り返したところで一斉に音は鳴り止み、トランペットのフリーソロに入った。

 武はうつむき、呼吸するように十六分音符をつづっていく。

 チラリと視線を投げかけて、この場にいる観客たちが喜びそうなソロのフレーズをいくつか模倣する。ベイシーの定番だったり、メンバーの誰かが吹いたものだったりする。

 反応のいい学生たちが、指笛を鳴らしたり笑い声をあげたりする。口の端を上げた武はさらにフレーズを重ねて笑いを起こす。

 それから口を離した。マウスピースを親指でぬぐって、くちびるを舐める。 また誰かが嬉しそうに声を上げる。ゆるく笑った武が、少し体を傾けて小雪に視線を送ってくる。

 心臓が焼けそうなほど憧れ続けたトランぺッターが、真横で微笑んでいる。

 小雪はベースのネックを握りしめた。もうすぐ最後の瞬間がやってくる――

 武はトランペットをふりかざすと、眉をつりあげ、頬に力を込めた。
 ラストをしめくくる『ナイト・イン・チュニジア』のテーマだ。

 わずかな静寂。ダイヤモンドのように輝く夜空の星を打ち抜いていくハイノート――
 
 ギタリストが立ち上がる。メンバー全員が楽器を構える。

 武がこの夜一番の輝きを放つと、ギタリストの手が下がった。

 バンド全員で最後の和音を鳴らす。

 トランペットのハイノートが全ての音を集約していく。

 武がベルを振りおろすと、観客席から一斉に拍手が沸き起こった。