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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 7.小雪の章 花吹雪 (最終話)

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 そこへ信洋が姿を見せた。リズムのメンバーが行きつけのファーストフード店へ先に行ったと思い込んでいたらしく、赤面しながらかけよってきた。
 武の姿を認めると、途端に真剣な面持ちになった。

「今夜はよろしくお願いします!」

 商店街の通行人がふりむくような大声を上げて、大仰に頭を下げた。柔道部出身の彼なら「押忍!」とでも叫んでも不思議ではない勢いだ。
 武はわざとらしくため息をつくと、下がったままの信洋の頭を見つめた。

「あのさあ、おまえのそういうくそ真面目なとこ、どうにかなんないの?」
「生まれつきなんで、あきらめてください」

 信洋の素早い返答に、まわりにいたものは皆、唖然とした。

「なにおまえ……性格変わった?」
「変わらなきゃやってられません」

 そう言ってちらりと小雪を見た。遠回しに責められている――と思ったが、意外にも信洋はいたずらっ子のように笑っていた。

「俺は武さんがくそ真面目に練習する姿が好きなんです。真似しただけです」

 今度はさわやかに白い歯を見せて切り返したので、小雪は目を丸くした。

 愛美が笑い出すと、一瞬不穏になった空気は吹き飛んで、ギタリストが「俺もラブです!」と叫んだ。武は「おまえらなあ」と言いながら長い腕を伸ばして、信洋の首に巻きつける。

 信洋は得意げな面持ちで「そんなかけ方じゃ俺の首はしめられませんよ」と言って武の腕をかわし、突然、機敏な動きになって武の背後に回った。しかし背の低い信洋の腕は武の首に回らない。今度はギタリストと二人がかりで武を押さえこもうとする。

 その滑稽なやり取りに笑っていると、怒りにひきちぎれそうだった神経はいつの間にか静けさを取り戻していた。

 この五年間、いつだってそうだった。絶望の淵に追い込まれてもう死んでもいいやと思うこともあったのに、気づけば仲間が小雪を取り巻いて、腹がよじれるほど笑わせてくれたり、日が暮れるのも忘れて慰めてくれたりした。

 武もきっとそうなのだろう。彼が無意識に発する眩いオーラが人を惹きつけて、どれだけ過去を悔やんでも、いつも誰か前へと背中を押してくれる。

 信洋たちがふざけながら商店街の中を進んでいく。うしろからトランペットのメンバーが追いかけてきて「ノブばっかりずるいぞ」と言って武をかっさらっていく。

 隣で愛美が笑っている。そのあどけない笑顔に何度救われたかわからない。感謝するような気持ちで見つめたが、いつもより固いその表情が少し気がかりだった。

 緊張をほぐしてやりたい気持ちが湧いてきて、先を行く信洋の背中を見つめながら小雪は言った。

「マナも好きな人と上手くいくといいね」
「ええっ! 私、ノブが好きだなんて一言も……!」

 言うやいなや、愛美は顔を真っ赤にして口を塞いだ。思わず飛び出した言葉が失言だと気づくのに、三秒もかからなかったらしい。

「私もまだ何にも言ってないよ」

 苦笑しながら言うと、愛美は「もー小雪ってば!」と叫びながら握り拳で肩を叩いてきた。前を歩いていた信洋たちが、何事かとふり向いてくる。愛美の顔はさらに上気して、「男子はさっさと歩く!」と命令口調だったが、耳まで赤くて可愛らしかった。

 他に話さなければいけないことはあったが、あえて避けていた。本番に集中したい愛美は、直前になって不穏な空気が漂うのを嫌う。いつでもストレートに感情をぶつけてくる彼女も、この習慣だけはずっと守り続けていた。

 当の本人は顔を赤くしたままあれこれと弁明していたが、これくらいのことで演奏に支障をきたしたりはしない。ほんの少しのスパイスがよりいい演奏になってくれればと、微笑ましい気持ちで本番に臨めそうだった。



 午後七時、ビッグバンドの演奏は『ディナー・ウィズ・フレンズ』で始まった。

 ベイシー楽団の曲は、リーダーのベイシー卿がピアニストということもあり、多くが特徴的なピアノのソロで始まる。三、四年ビッグバンドをやっていればイントロだけで何の曲か判別できるくらい覚えやすくキャッチ―なものが多い。

 この曲も愛美が軽快なピアノのイントロを弾くだけで、どこからか口笛が鳴る。追従するように信洋のハイハットが続き、ホーンセクションが大音量で飛び込んでくる。

 ソロを吹くことになったのか、武が真横にあるマイクスタンドの前に立っている。
 小雪はランニングベースを弾きながら、胸が疼きだすのを感じる。

 サックスソリ、トランペットの複雑なフレーズのあとにソロの入り口が待っている。

 現役のトランぺッターたちが高速スイングの難しいユニゾンを吹き鳴らし、武はトランペットのベルを下にむけて待機する。

 小雪はピアノ、ギター、ドラムと一拍目のタイミングを合わせる。武が顔を上げる。

 トランペットのベルがソロマイクと対面する。天井からのスポットライトを浴びて、黄金色のボディが光を反射する。

 トランペットのユニゾンを引き継ぐように、武のソロが始まった。

 同じ音の連続をダブルタンギングでつづり、コーラスの頭へ突入する。定番のソロフレーズに会場がわき立つ。

 ビッグバンドのソロは小節数が固定され、バッキングのタイミングも決められているので、アドリブを披露するにはかなりのテクニックがいる。

 プロでも多くの場合は前もって決めたソロがあり、小雪たちのようなアマチュアのビッグバンドではプロの演奏を模倣することが何よりの練習になる。

 この曲のように短い小節数でいくつものソロが含まれている場合、武のレベルでも完璧にコピーしたものを吹きこなす。いくつかパターンはあるが、聞きなれたものは「あのソロを聞きたい」という期待感もあって、予想通りのソロが披露されると大歓声が上がる。

 低音から徐々に高音を織り交ぜながらテンションを上げていく。ファーストテンポなのに武のソロには余裕があって、時おり観客席に視線を投げかける。決めのフレーズが鳴るたびにどこからか指笛が聞こえる。

 以前、『ディナー・ウィズ・フレンズ』の話をしたときは「俺には荷が重い」と言っていたが、そんな雰囲気は微塵も感じさせない。

 ハイノートの入り混じったソロ後半を吹ききると、テナーサックスのソロが始まった。

 武がマウスピースから口を離して腕を上げると、また歓声が起きた。バッキングを吹かないメンバーが、三列目に戻っていく武とハイタッチを交わす。

 その後、トランペット隊がシェイク奏法を繰り返す見せ場へと突入し、アルトサックスのソロ、ドラムのソロと続く。

 数少ないドラムのフリーソロがあるのに、信洋はあくまで自己主張をせず、曲の延長線上にあるフレーズだと言わんばかりの淡々とした演奏をする。

 目立つのを好まないところが信洋らしく、まるで壁紙を張る職人のように黙々とドラムと叩くところが、小雪は好きだった。

 そう――好きだったから付き合っていた。男女の関係は壊れてしまっても、彼のドラムが好きだという気持ちは変わらないと思った。

 ギタリストが立ち上がり、最後の二音にあわせて手を振りかざす。

 歓声が鳴りやむのを待たずに、信洋のカウントで次の曲が始まる。