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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ

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 使えないものを学んで、一体どうするのだ。突き放すようにリゼはそう呟く。しかし、アルベルトは諦める様子はない。それなら、と彼は引くことなく言った。
「ならあの言葉だけでも教えて欲しい。君が術を使っている時に使う言葉だ」
「――精霊言語を?」
 魔術で使う、精霊に語り掛けるための特殊言語。精霊言語そのものはただの言葉なので、誰でも学べば読み書きは身につけられる。だが、
「言葉だけ覚えても魔術は使えないわよ」
「分かってる。でも、出来ることからやりたいんだ」
「大した熱意ね」
 どうしてそんなに必死なんだか。リゼは天井を仰いだ。悪魔祓いができないことなんか気にしなくていいって以前も言ったのに。リゼは再び溜息をついた。
「――精霊言語は魔術師の基礎科目よ。魔術師になる者はみんなこれを学ぶわ」
 天井を見たまま、リゼは言う。
「教本はいくらでもあるっていうことよ。私は教えられないけど、教本の紹介くらいならしてあげてもいい。言語の勉強ぐらい、あなたなら本で十分でしょう?」
 すると、アルベルトは驚いたように目を丸くしてから、嬉しそうに破顔した。彼はリゼの手を握り締めると、感激した様子で言う。
「ありがとう。リゼ」
 短いながらも感謝の念がこもった声音で言われ、リゼは居たたまれなくなる。本を見繕ってやると言っただけなのに、そんなシェリーヌのような喜び方をしないで欲しい。というかさっさとどいて欲しい。壁に張り付いた格好のまま、リゼは渋面を作る。痺れを切らしてまっすぐアルベルトを見つめ返すと、リゼは不機嫌さを隠さずに言った。
「ところで、さっさと離れて欲しいんだけど。近い」
「――! す、すまない!」
 どうやら無自覚だったらしい。アルベルトは飛ぶように身を引いて、リゼから距離を取る。何故そんなにあたふたしているのだろう。そういえば、少し前に眼を見ようとした時も挙動不審だったか。野営の時にやたら距離を置いて寝たがることといい、対人距離が広いのだろうけれど、その割に先程のように近づいてきたり躊躇いもなく抱きかかえたりするのだからよく分からない。
 やはり、アルベルトは変な奴だ。やたら動揺しているアルベルトを見ながら、リゼはそう結論付けたのだった。



 迎賓館の客室に入ると、そこは静寂に満ちていた。
 部屋の中央まで進んでから、リゼはリビングを見回した。どうやらティリーとキーネスは不在らしい。ティリーは悪魔研究家の研究所、キーネスは情報収集中といったところだろうか。レイピアを棚に押き、椅子に腰を下ろして、リゼは一息ついた。
 悪魔除けの起動にかなり魔力を持って行かれたせいで、頭の芯が重い。少し休もうと、目を閉じて椅子に身体を預ける。リビングに満ちる静寂が心地よい。悪魔除けの調整のためにシリル達は工房に残り、一緒に戻ってきたアルベルトは悪魔除けの結界についての報告――リアムはリゼが行くべきだと言ったが、アルベルトが休ませるべきだと主張した――に行ったから、しばらくはこの静寂に浴することができる。約束した以上、精霊言語の教本を探しておきたいところだが、今はさすがに疲れた。しばらくの間、椅子に座ってぼうっとしていたリゼは、何気なく目の前のテーブルを見た。
 テーブルの端には本が一冊置かれていた。タイトルを見るに、どうやらシリルが使っていた刺繍の本らしい。本を開いてみると、縫い方や練習用の図案がページに並んでいた。円、四角、多角形。直線と曲線で構成された様々な形の図。馴染み深い図形が白いページを飾っている。シリルはこれを縫おうとしていたのか。ゼノに渡すつもりか? ページを繰りながら、リゼは思考を巡らせた。
 その時、不意にこんこんとノック音が響いた。アルベルトやティリー達なら、入室するのにノックはしない。とすると、使用人の誰かか。振り返らずにいると、がちゃりと扉が開いた。
「お茶をお持ちしました」
 入室してきたのはメイドだった。いつもの茶の香りがふわりと広がり、鼻腔をくすぐる。リゼは溜息をつくとページから視線を逸らした。
「頼んでない」
「グリフィス殿下のご指示です。ご帰還されたばかりでお疲れでしょうから、疲労回復にと」
 メイドはさらりと言い、ずかずかとテーブルへ向かってくる。余計なことを。リゼは顔をしかめて、王太子の顔を思い浮かべる。アルベルトが報告を終えていてもおかしくない時間だ。一連の経緯を聞いたのだろうけれど、だからといって飲み物を寄越すとは。リゼは溜息をつくと、本に視線を戻した。
 陶器がぶつかる軽快な音が響く。メイドがテーブルにカップを並べ始めたのだ。たった一人分の茶器を運ぶのにワゴンを使ったらしく、メイドはリゼの後方に止めたワゴンとテーブルを往復しながら準備を進めていく。長い茶色のおさげが、メイドの背中で揺れる。リゼは刺繍の本に視線を戻すと、ぱらぱらとページを捲った。そして身体で隠れる位置まで本を下げてから、音を立てないようにゆっくりと閉じる。陶器の音はしなくなった。準備は終わったらしい。メイドはワゴンの方へ戻って、何かをしている。リゼは斜め前、テーブルの左手に障害物がないことを確認すると、振り返ることなく肩越しに手に持った本を投擲した。
 紙に何かがぶつかる鈍い音がした。背後で何者かが息を飲む。リゼは前方に身を投げると、椅子を思いっきり蹴り上げた。床を転がり、勢いを利用して立ち上がる。視界に映りこんだのは、本と椅子をぶつけられてひるんだ襲撃者。茶を持ってきたメイドだ。彼女は体勢を立て直すと、即座に襲い掛かってきた。
 メイドの手の中で光っているのは鋭い銀のナイフだった。袖に隠せるほど小さいが、首を掻き切るには十分だ。咄嗟に先程メイドが弾き返してきた本を拾い上げて、振り下ろされたそれを受け止める。本を駄目にしてしまった。後でシリルに詫びなければ。そんなことを考えつつ、リゼはすぐさまナイフが貫通した本を叩き、攻撃の軌道を逸らした。体勢が崩れたメイドの腹に膝蹴りを見舞う。だがメイドは身を捩ってそれを避けた。銀色が煌めく。床に倒れこむ瞬間、メイドの手から銀のナイフが放たれたのだ。ナイフはリゼの頭部をかすめ、毛髪を数本巻き添えにして飛んでいく。リゼがひるんだ僅かな隙に、メイドは体勢を持ち直していた。
 メイドの手にはすでにナイフが握られていた。二本のナイフから繰り出される連撃を、リゼは辛うじて避ける。速い。反撃することは諦め、リゼはどうにか距離を取った。
「何者? 悪魔教徒か?」
 だがメイドは答えない。余計なお喋りをするほど馬鹿ではないということか。こんな暗殺紛いのことをしてくるのだ。悪魔教徒に間違いない。そう思うものの、
(それにしては気配がおかしいような――)
 悪魔教徒にしては悪魔の気配が感じられない。悪魔憑きでないにしても、何かが違う気がする。この気配は、確か――