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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ

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 だが、思考している暇はなかった。再びメイドの連撃が襲ってきたからだ。こいつ、かなりの手練れだ。攻撃に隙がないし、手数を多くすることで魔術を使う時間を与えまいとしている。ただでさえ疲れているのに、丸腰のままでは反撃の糸口を掴めない。リゼは繰り出された刺突を避けると、テーブルの上のポットを取り上げた。お茶を持ってきたというのは本当らしい。熱い液体が詰まったそれをメイドに向けると、中身を思いっきりぶちまけた。手と顔に熱湯を被り、メイドは武器を取り落とす。顔を抑え、メイドは苦しげに呻く。その状態で武器を握ってはいられないだろう。その隙に、リゼは武器を手に入れようと、レイピアを置いた棚へと走った。
 だがレイピアまであと少しというところで、投擲されたナイフが頬をかすめていった。振り返ると、ナイフがもう一本眼前に迫る。かろうじてそれを避けた瞬間、飛び出してきたメイドに体当たりされ、リゼは絨毯の上に転がった。
 火傷で顔の一部を赤く染めたメイドは、それでも構わず倒れたリゼに飛び掛かる。振り下ろされた腕を掴み、何とか斬られることを防いだが、メイドはまだ左腕が自由なのに対して、リゼの右手はメイドの膝の下にある。まずいと思った矢先、メイドは左腕を振り上げた。
 途端、扉が蹴破られる音が響いた。突然の物音にメイドの意識が逸れ、扉の方へと向く。それと共に、鞘に収まったままの長剣が飛来した。長剣は今まさに振り下ろされようとしていたナイフを弾き飛ばし、乾いた音を立てて床に転がる。思わぬ横やりで獲物を失ったメイドは一瞬何が起こったのかわからなかったらしい。空になった手を見つめて静止する。その隙にリゼはメイドを蹴り飛ばすと、投げ入られた長剣を掴み、その刃を鞘から引き抜いた。
「そこまでよ!」
 倒れたメイドの胸部を踏みつけて動きを抑え、喉元に剣の切っ先を向けたリゼは、鋭く警告を発した。身動きが取れなくなったメイドは、悔しげな表情をしつつ抵抗をやめる。油断せずメイドの動きを封じていたリゼの元に、アルベルトが駆け寄ってきた。
「リゼ! 無事か!?」
「なんとか」
 アルベルトはすぐさまリゼに代わってメイドを取り押さえる。メイドは暴れたが、無駄な抵抗だ。アルベルトは更に祈りを唱え、悪魔祓い師の光の鎖でメイドを縛り上げると、険しい表情で呟いた。
「どうして」
 その声は、いつもと違って低く硬い。
「どうして悪魔祓い師がここにいる?」



「悪魔祓い師?」
 こいつが? リゼは眉を寄せ、拘束されたメイドを見やる。気配から悪魔教徒ではないだろうとは思っていたが、悪魔祓い師がどうしてメリエ・セラスの役所でメイドをしているのだ。すると正体を看破されたメイドは、見抜いた相手をきっと睨みつけた。
「裏切り者アルベルト・スターレン! こんな異教徒の国に身を置き、魔女に味方する貴様には、いずれ天罰が下されるだろう!」
 今までだんまりを決め込んでいたメイド――悪魔祓い師は、ついに口を開き、強い口調でアルベルトを非難した。しかしながら悪魔祓い師は声が高く、何というか可愛らしいので迫力はない。威勢だけはいいが。
「そういうのはいいから質問に答えなさい。悪魔祓い師がこんなところで何をしているの」
 リゼは悪魔祓い師の喉元にレイピアを向け、詰問する。悪魔祓い師相手に手心を加えるつもりはない。いつ悪魔祓い師の術――特にあの白い炎を使ってきてもいいように、絶えず魔力を張り巡らせておく。自分に向けられる魔力の流れを感じたのか、悪魔祓い師は顔をしかめた。
「決まっているだろう。国外へ逃げた魔女を捕らえるためだ」
 悪魔祓い師は好戦的な眼差しでそうのたまう。捕らえるどころか殺る気だったように思えるのだが、それだけ本気だったということか。
「大した自信ね」
 皮肉っぽく言うと、悪魔祓い師はさらに顔をしかめ、リゼを睨みつけた。リゼの口調が悪魔祓い師の正義感をさらに掻き立てたらしい。拘束されているとは思えない堂々とした態度で話を続けた。
「神の道を穢す者は赦されない。異教徒も異端者も、我々は必ず打ち倒す。特に貴様のような“救世主”を騙る輩は……!」
「私は“救世主”じゃないし騙った覚えもない。周りが勝手にそう言っているだけよ。それなのに詐欺師扱いされて、こっちもいい迷惑よ」
「貴様が邪教の術で民衆を惑わせているのは事実ではないか。言い逃れをしようとしても無駄だ」
 話が通じない。いいや、通じると思ったこちらが馬鹿だったか。リゼは溜息をつき、冷ややかな視線を悪魔祓い師に投げかける。こんな決まりきった問答は聞き飽きた。時間の無駄だ。
「とにかく王太子殿下にお伝えしよう。彼女以外にも悪魔祓い師が入国しているかもしれない。そうなれば、また君が狙われる」
「全く面倒ね……そんな暇があるなら、悪魔場教徒を捕まえるなり悪魔憑きを一刻でも早くなくすならいすればいいのに」
 吐き捨てるように言うと、悪魔祓い師は燃えるような怒りを込めて言い返す。
「まるで己が悪魔教徒とは違うとでも言わんばかりだな。間もなく来たる千年祭のため、悪しき者を討伐するのは当然の務めだ」
 そう悪魔祓い師は芸のない物言いを繰り返す。鬱陶しい奴だ。リゼは苛立ちと疲労感を吐き出すように大きく溜息をついた。付き合っていられない。我慢の限界が来たリゼが、速くグリフィスに引き渡そうと踵を返した時だった。
「貴様のような人心を惑わす魔女も、有害な薬を売る異教徒も、こそこそと動き回っている悪魔教徒も、悪魔祓いを行ったと嘯くデミトリウス派の神父も、近く捕らえて裁きを――」
 聞いたことのある単語が耳に飛び込んできた。それも不穏な言葉と共に。
「――今なんて言った?」
 リゼは悪魔祓い師に詰め寄ると、声のトーンを落として問いかけた。突如今までと違う詰問されて、悪魔祓い師は面食らったのか呆けた顔で固まる。すぐに答えが返ってこないことに、苛立ちがつのった。
「なんて言ったか聞いてるの。最後に言ったやつよ」
 胸倉をつかむと、悪魔祓い師は我に返ったのか、再び好戦的な眼差しでリゼを睨む。彼女はなおも尊大な態度のまま答えた。
「悪魔祓いを行ったと嘯くデミトリウス派の神父を捕らえる、と言った。貴様と同じ、邪法で民衆を謀る輩だ。そのような輩を我々は決して赦さない」
「――クリストフのことか」
 血の気が引いていくようだった。おまけに頭痛もして、思わずこめかみを押さえる。すると労わるように肩に手を回したアルベルトが、心配そうに問いかけた。
「リゼ、神父が行ったという悪魔祓いは、もしかして君の――」
「……」
 リゼは頷くと、爪が食い込むほど手をきつく握り締めた。冗談じゃない。頭痛と眩暈が襲ってきて、リゼは思わず目を閉じる。けれど、この悪魔祓い師が言うことが真実ならば、このことから目を逸らすことはできない。
 バノッサの悪魔憑きを救うために行った悪魔祓いが、クリストフを殺すのだということを。