Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ
シェリーヌが手を振ると、石の前面に展開していた魔法陣が消えた。彼女は今まで立っていた場所をリゼに譲り、自分は後ろに下がる。そしてリゼは悪魔除けに近づくと、目を閉じ、青い石に向って手を翳した。
一瞬の静寂の後に、リゼの纏う虹色の光が眩しいほどに瞬いた。光はリゼの右手を伝い、青い石へと吸い込まれていく。魔力が注がれるに従って、青い石はより青く輝き始めた。
石が輝くに従って、木の台座に彫り込まれた文字も青く光り始めた。悪魔除け全体が青い光を纏い始める頃、文字は台座から浮き上がり、帯のように連なりながら周囲を舞い始める。青く光る直線と曲線、そして文字は悪魔除けの真上に集い、一つの形を成していった。
組み上がったのは、一つの魔法陣だった。線を複雑に編み込んだような、正方形の魔法陣。それは悪魔除けの上でゆっくりと回転しながら、徐々に輝きを増していく。やがて直視できないほど眩く輝いた魔法陣は一瞬で拡大し、壁を突き抜けて広がっていった。
青い光に飲まれて、アルベルトは目を閉じた。悪魔祓いの時と似た温かいものに包み込まれているのを感じる。スミルナでのあの時のようだ。温かい力はしばし周囲を満たしていたが、やがて瞼の裏の光が弱まったのを感じて、アルベルトは目を開けた。
目の前にあるのは、光の粒子を纏いながら青く輝く悪魔除けのオブジェ。そして、その青い光の中に佇むリゼの後ろ姿。スミルナで、ザウンで、悪魔祓いをした時のような、神聖さすら感じる姿。それを、アルベルトはただ見つめた。
「すごい……起動した……」
ぼんやりと呟かれたシェリーヌの言葉に、アルベルトは我に返った。手近な窓に駆け寄り、空を見上げる。果たしてそこには、薄い膜のようなものが広がっていた。
ルルイリエやフロンダリアと同じだ。メリエ・セラスに結界が張られている。ルルイリエに比べれば力は弱いが、悪魔を弾く力は十分に備えているようだ。結界の向こう側で、黒い悪魔の影が蠢いている。魔術があれば、神の力がなくとも人の手で悪魔を阻む結界を創れるというのか。いいや、これもリゼの力なのだろうか――
リゼの方へ振り向くと、彼女はまだ光の中にいた。だがそれも、急速に弱まっていく。悪魔除けが放つ青い光の前で、リゼの虹色の光は蛍火のように弱く瞬いている。そして彼女は柱に手をつくと、そのまま崩れ落ちた。
「リゼ!」
アルベルトはすぐさまリゼに駆け寄ると、荒い息をつく彼女を助け起こそうとした。やはり相当魔力を消耗したようだ。リゼから放たれる虹色の光が弱まっている。リゼの肩に手を置くと、彼女は縋るかのようにアルベルトの腕を掴んだ。
「立てそうか?」
そう問いかけたが、リゼは一点を見据えたまま答えない。消耗が激しいのだろうか。
「シェリーヌさん。どこか休める部屋はありますか?」
「ええ、ここを出て右の奥に仮眠室があるわ」
リゼの状態を目にしたシェリーヌはすぐに場所を教えてくれた。アルベルトは頷き、うずくまったままのリゼへ向き直る。今のやり取りも耳に入っていないのか、リゼはぼうっと悪魔除けを見ているままだ。その様子は何かを考え込んでいるようにも見える。アルベルトは構わずリゼを横抱きにした。
「リゼ、聞こえているか? 仮眠室に移動する。いいな」
すると、無言だったリゼが不意に表情を変えた。不可解だと言いたげな、怪訝そうな表情で。
「聞こえてるわ。悪いけど背負う方にしてくれない?」
ようやく口を開いたかと思えば、リゼは事も無げにそう言った。声音から疲労は窺えるものの、話せないほどではなさそうだ。その割には上の空な様子に疑念を感じつつも、要望通りリゼを下ろし背中を向けた。するとリゼは躊躇わず背中に負ぶさってくる。妙だなと思いつつも、アルベルトは立ち上がった。
廊下の奥にあった仮眠室は、先に向かったシェリーヌのおかげで綺麗に整えられていた。新しく敷かれたシーツの上にリゼを下ろすと、一息ついたリゼの手をシェリーヌが握り締めた。
「ありがとう! あなたのおかげで悪魔除けが起動したわ!」
「……そう」
起動させた当人にも関わらず、リゼの返答はそっけないものだ。けれどシェリーヌは構わず話し続ける。
「これでメリエ・セラスは守られる。悪魔憑きも魔物被害もずっと少なくなるわ。後でお礼をさせて。あなたの功績と比べたら微々たるものだけど、私に出来る限り最大のお礼をさせてもらうわ」
口調にあふれんばかりの喜びをにじませて感謝するシェリーヌを、リゼはどこか居心地が悪そうに見やる。
「別にいらないわよ」
「そういうわけにはいかないわ。あなたの力にタダ乗りするなんて、私達はそんな図々しい人間じゃないわよ」
シェリーヌは当然だとばかりの口調で言った。リゼは少し納得のいかない様子だったが、反論はしなかった。
「あなたが魔力供給して動いたってことは、やはり相性の可能性が高いわね。理論は完璧なことがこれで証明された。これを足掛かりに量産できるようになれば悪魔対策がまた進展する……あの悪魔除けに込められたあなたの魔力、調べさせてもらうわ。それと、今後解析のために協力をお願いするかもしれないけど、構わない?」
「……手短にしてくれるなら」
「助かるわ!」
そう言って、シェリーヌは酷く嬉しそうな様子で立ち上がった。あの悪魔除けと、シリル用の悪魔除けの調整に行く必要がある。彼女は興奮したままそう述べると、仮眠室を出て行った。
シェリーヌが退室した後、入れ替わるようにやってきたのは悪魔除けの調整のために別室にいたシリルとゼノ、そしてリアムだった。兵士はみな工房の外で待機していたのだが、悪魔除けのことを聞いてやってきたのだろう。シェリーヌに大体の話を聞いてきたらしいシリルは真っ先にリゼの容態を心配し、ゼノは悪魔除けのことにとにかく感動していた。
「オレにはよくわかんねえけど、あの悪魔除けがあれば結界がない村や町の人達がもっと安心して暮らせるようになるのかな。すごいじゃねえか!」
「そうね。よく作ったわ。あんなもの」
「なんだよ。他人事みたいだな。あれを創ったシェリーヌさんもすごいけど、起動させたのはおまえなんだろ?」
ゼノが不思議そうに言うと、リゼは眉を顰めて言った。
「あれの魔術式は完璧だった。魔力さえ込めれば動くわ。私じゃなくても、魔力の相性さえよければ動く」
するとゼノは、そういうもんかなぁと首を傾げる。けれど魔術に詳しくない彼は自分が口を挟んでもと思ったのだろうか。納得してなさそうだったが、それ以上追及しようとしなかった。
「あれをやったのは貴女様なのですか?」
入れ替わるように口を開いたのはリアムだった。兵士の問いにリゼは不承不承といった様子で頷く。すると、リアムは険しかった表情を崩した。
「貴女の勝手な行動は大変目に余りますが、さすが殿下が見込んだお方。メリエ・セラスに結界まで作り上げるとはお見事です」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ 作家名:紫苑