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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ

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 おばさんが指差しているのはアルベルトだ。指された当人は我に返った様子で周囲を見回したが、当然他に該当する人間はいない。しばらくして自分のことだと気付いたようで、困惑しつつも屋台の方へと足を運んだ。
「俺ですか?」
「そうだよ。お兄さん。焼き菓子を買わないかい? お安くしとくよ」
 商品棚に並べられているのは、色とりどりにデコレーションされた焼き菓子だった。クッキー、マフィン、マドレーヌ、ケーキ。各種取り揃えられている。屋台の屋根を確認すると、今大人気の菓子屋の名前が書かれていた。どうやら支店のようだ。
「焼き菓子、ですか」
「焼き菓子なら何でもそろっているよ。好きなものはあるかい?」
「いえ、あまり食べないので……」
「そう? ならこの機会に是非どうぞ。それとも、彼女へのお土産にはどうだい? 今人気の商品はこれで――」
 そこから、おばさんのセールストークが矢継ぎ早に繰り出された。まずいのに捕まった。ミガーの中でもメリエ・セラスの商人達は特に商魂たくましいのだ。こっちの流儀に慣れていないアルベルトは体のいいカモだろう。こうなると何か買うまで解放してくれないので、無視して帰るしかない。捕まってしまったアルベルトを救出しようと、ゼノは屋台に近づいた。しかし、ゼノが声を掛けようとしたその瞬間、商品を眺めていたアルベルトが不意に顔を上げた。
「女性に好まれるお菓子はどれでしょうか?」
 購入の意志を感じさせる口調に、ゼノは肩を叩こうとしていた手を止めた。買っちゃうのか。彼女へのお土産にどうという文句に乗せられたのか。買うと決めたのなら、ゼノに止める権限はない。有名店なので大丈夫だとは思うが、万が一、法外な値段を吹っ掛けられた時は助けに入ろうと、ゼノは黙って買い物を見守ることにした。
 アルベルトに問われておばさんが差し出したのは、小さなマフィンの詰め合わせだった。かなり可愛らしくデコレーションされていて、女性に好まれるのも頷ける。が、ああいうのはリゼの好みじゃなさそうだと、ゼノは正直に思った。ひょっとしたら意外と少女趣味的なところがある可能性もゼロではないかもしれないが、とかくイメージに合わない。
「彼女さん宛てだね。これでいいかい?」
「はい。あとはこちらも」
 菓子屋のおばさんは見事な手際でマフィンをラッピングし、アルベルトは財布を開いて提示された額を支払う。菓子屋の店主は会計を済ませ、ラッピング済みの商品を手渡しながら言った。
「はい。ウチの自信作だからね。彼女さんも喜ぶと思うよ」
「ありがとうございます」
 アルベルトは店主に丁寧に礼を言うと、マフィンの包みを持って戻ってきた。量が明らかに一人分ではないので、全員分買ったのだろう。律義だ。……というのは置いといて、買い物も終わったのでさあ帰ろうと思っていると、包みを見たキーネスが呟いた。
「……ランフォードへの土産か。ご機嫌取りも大変だな」
 するとアルベルトは、
「いや? どちらかというとお詫びかな。最近負担をかけているから……」
 と健気なことを言う。アルベルトだってリゼの面倒を見たり手伝ったりしているのだからお相子ではないだろうか。そうゼノは思うのだが、アルベルトはそうではないらしい。そんなことを考えていると、アルベルトは何か思い出したのか、不思議そうな表情をした。
「そういえば、あのお店の方はどうして女性の連れがいると分かったんだろうか」
「……え」
 本気で不思議がっているアルベルトを見て、ゼノは目を丸くした。焼き菓子屋のおばさんは呼び込みのつもりで適当に言ったのだろうが、この場合の彼女は女性を指す代名詞じゃないと思うんだが。そうだよな?という同意を込めて隣のキーネスに視線を送ると、悪友は肩を竦め、放っておけと視線で返してくる。うまく説明できる気もしないので、結局ゼノも黙っていることにした。



「いたっ……!」
「いったーい! もう、最悪ですわ!」
「……何してるの」
 扉を開けた途端響いてきた二人分の声に、リゼは面食らって呟いた。
 メリエ・セラスの迎賓館。リゼ達に与えられた客室のリビングで、シリルとティリーが何かをやっていた。机の上には布きれと糸巻が散乱し、大きな針山が置かれている。二人の手には布と糸の通った針が握られていて、二人そろって指に針を刺していた。
「リゼさん! あ、あのこれは……!」
 リゼに気づいたシリルは、何故か焦って手の中の物を隠そうとする。しかし、今更遅い。リゼは二人を交互に眺めた後、手近な棚から目当ての物を取り出した。
「シリル、手を出しなさい」
「えっ、でも……」
「さっさとする」
「はっ、はい!」
 シリルは素直に布と針と糸を持った両手をリゼの前に広げる。布を持つ左手の人差し指には、玉のような赤がぷっくりと浮かんでいた。結構豪快に刺したらしい。リゼはシリルの手から布を奪うと、傷ついた人差し指に包帯を巻きつけた。
「怪我した状態で縫物なんてしたら布が汚れるでしょう。気をつけなさい」
 練習用の布切れのようだから、汚れても問題はないだろうけれど。リゼは手早く包帯を巻き終えると、シリルに縫いかけの布を返した。
「ありがとう、ございます……!」
 恐縮した様子で頭を下げるシリル。大げさな。大したことじゃないのに、とぼやくと、横手から別の声が割り込んできた。
「リゼ! わたくしは??」
「包帯ならここにあるわよ」
 ティリーの手に包帯を押し付けると、彼女は不服そうに顔を顰めた。
「なんでわたくしは手当てしてくれませんの? 酷いですわ」
「なんであなたを手当てしてあげる必要があるの? 自分でやれば」
「――リゼってシリルには優しいですわよね。やっぱり子供には甘いんですの?」
「子供に甘いんじゃなくて、あなたに優しくする必要性を感じないだけよ」
 そう言い放つと、ティリーは嘘っぽく嘆いて見せる。そんなに大げさな演技をして疲れないのか。リゼはティリーを無視して、机の上に散乱している布切れを眺めた。
「それにしても、なんで刺繍なんか」
 使用済みと思われる布切れは、直線や曲線、規則的な模様など、様々な形の縫い方で彩られていた。どれも刺繍で使う特有の縫い方だ。針を再び動かしながら、シリルは答える。
「あの、わたし、刺繍が好きで。こちらの国の縫い方も知りたいなと思って」
「その割に派手に指を怪我したわね」
「この格好だと、身体が重くて……ちょっと動きづらくて……」
「……それもそうね」
 目の前の少女の姿を見やり、リゼは頷いた。
 髪飾り、耳飾り、首飾り、指輪、足輪。悪魔除けの術を刻んだ様々な装身具を身に付け、更には悪魔除けの陣を織り込んだ外衣を羽織っている。シリルの現在の装いは、そんな状態だ。グリフィスが“憑依体質(ヴァス)”を封じこめる手段としてシリルに施したのは、徹底的な悪魔除けだった。魔物襲撃時に利用する避難所と原理は同じである。無数の悪魔除けの術を重ねて、悪魔遮断の精度を上げるのだ。だが、確かにこの格好では身体が重くて仕方がないだろう。ここまでしなければ、“憑依体質(ヴァス)”を封じ込むのは難しいようなのだけれど。