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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ

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「だから待ってくれと言ったんだ。あれは魔物の集合体だ。むやみに攻撃しても避けられる」
 “巨人”から目を離さぬまま、アルベルトは咎めるように言った。次の瞬間、彼の前に躍り出た腕が切断されてべちゃりと地面に転がる。リゼも振り向くと、右手から近づく腕を魔術で吹き飛ばした。
「避けられる可能性ぐらい考えてたわ。あいつの出方を探る必要があると思ったのよ」
 腕の束が上空から襲い掛かってくる。リゼとアルベルトは各々前方に飛び、迫り来る腕の束を避けた。リゼは氷刃を生み出して氷壁に向かって伸びる“巨人”の腕を蹴散らし、アルベルトは流れるような剣閃で斬り払う。
「で、待てと言うからには手があるのかしら?」
「ああ」
 リゼが問いかけると、アルベルトは振り返らずに答えた。
「俺が囮になって隙を作る。あの魔物の変形スピードはそれほど速くない。避けるのも限界があるはずだ。そこを狙ってくれ」
「なるほど。単純な作戦ね」
 それしか手はなさそうだ。魔術でまとめて氷漬けにすることもできるが、あの自在な形態変化を見るに内部へ逃げられてしまうのがオチだろう。問題は要の魔物。見た目にこれといった特徴はないようだ。力の流れが澱んでいる場所と言われても、リゼではその位置を特定できない。
 正確な位置を捉えられないなら、囮作戦に意味はない。
「でもそれじゃ駄目」
 そう言うと、アルベルトが驚いたのかこちらを振り返った。
「囮になるのは私よ。あなたじゃない」
「……! しかし……!」
「私じゃ弱点の位置が正確に分からない。だからってあなたの指示を待ってたんじゃ時間がかかるわ。だったら!」
 レイピアを振るうと“巨人”の黒い腕がざっくりと裂けた。体液で濡れた切断面を揺らめかせながら、腕はすっと離れていく。
「私が囮。あなたが攻撃の方が確実でしょう」
 そう。リゼには視えない。叩くべき弱点がどこにあるか分からない。そんな状態なのに視えるアルベルトが囮なのは得策ではない。
「それはそうだが――」
「魔力の消耗なら気にしないで。普通の魔術くらいで早々倒れたりしないって前にも言ったでしょう」
「……そうだな」
 強い口調で言うと、沈黙の後にアルベルトは首肯した。渋々といった様子だったがそれは無視する。リゼは咆哮する“巨人”を見上げると、砂を蹴って魔物の前に躍り出た。 
 呟くように詠唱すると、周囲に魔力の風が巻き起こる。檻のように張り巡らされた腕をその風で斬り払い、再び“巨人”の頭部に向けて魔力を奔らせた。たくさんの魔物の頭部が集まった、複眼の如き“巨人”の目。それに向かってレイピアを振り、氷の嵐を呼び起こす。氷刃は血走った魔物の目を貫き、凍り付かせた。
 “巨人”の喉から鼓膜が破れそうなほどの啼き声が迸る。魔術の氷に裂け目が入り、欠片が飛び散っていく。だが構わない。もう一度食らわせてやれば済むことだ。もう一度で駄目なら、何度でも。襲い掛かる“巨人”の腕を避け、砂の上を移動しながら、魔術を練り上げる。それに浄化の力を乗せて、“巨人”の顔に真正面から氷槍を叩きこむ。直撃を食らいたくなかったのか、“巨人”の頭部がぐにゃりと曲がった。今だ。
 隙が生まれた“巨人”の前に、アルベルトが躍り出た。



 リゼが魔術を操るのを視界に捉えながら、アルベルトは砂を蹴って“巨人”の周囲を移動した。
 蒼い煌めきがリゼの前で踊っている。それは氷の刃となり、“巨人”の頭部へと奔っていく。それは“巨人”の目を貫き、凍り付かせた。響き渡る“巨人”の咆哮。しかし魔術は“巨人”の弱点まで届いていない。アルベルトはその眼で、要の位置を正確に捉える。要がある場所は頭部上方の奥深く。人間でいうと脳の真ん中に当たる位置だ。もしそこまで攻撃が届いたとしても、先程のように身体を変形させて避けられてしまう。要を捉えることができるのは、奴が攻撃を避けた直後の一瞬だけ。
 “巨人”から、次々と黒い腕が伸びる。その狙いは魔術を唱えるリゼだ。彼女は魔物の攻撃を紙一重で避けながら、たゆまず魔術を紡いでいる。急がなければ。囮役なんて危険なこと、一刻でも早くやめられるように。 アルベルトは地面を蹴って“巨人”へと肉薄する。そして突っ込んだ勢いのまま、“巨人”の胴に剣を突き立てた。
 祈りの力を注ぎ込むと、地を震わすような咆哮と共に剣の周りの黒い肉が弾けとんだ。“巨人”の肉体は次々に浄化され、細かい塵に還っていく。飛び散る魔物の残骸を見つつ、さらに魔物を滅してしまおうとアルベルトは剣を握る手に力を込めた。
 だがほどなくして、不意に肉体の浄化が止まった。
 不意に“巨人”の肉体から飛び出した無数の腕がまるで抱き締めるようにアルベルトの身体を捕らえた。鋭い爪が皮膚に食い込み、血が滴り落ちる。腕は万力のような力でアルベルトを締め上げ、圧迫された腕が痺れるように痛んだ。再生が速い。祈りを唱えると、聖なる光が腕を蹴散らしていく。それらが再生する前に、アルベルトは“巨人”に向かって跳躍した。
 犇めく無数の腕を掻い潜り、“巨人”の腕の一つに降り立つ。“巨人”の身体は柔らかく、気を抜くと脚を捉えられてしまいそうだ。そうやって取り込まれてしまう前に、アルベルトは“巨人”の体表を駆け上がる。“巨人”の二の腕まで達したところで、下方から飛んできた魔術が“巨人”の顔面を凍り付かせた。
 耳障りな叫び声が上がる。“巨人”の顔を覆う氷が、咆哮に押されて崩れていく。だが間髪入れず、巨大な氷槍が“巨人”の頭部に向かって飛来した。それを避けようと、“巨人”の頭部がぐにゃりと曲がる。要の魔物は二つに割れた頭の左側。その奥底の方に逃げていた。
 “巨人”は魔物を寄せ集めて出来ている。ならその繋がりを絶てばこの巨体を維持できなくなるはずだ。狙うのは魔物を引き合わせている“巨人”の要。力の流れが集結しているところ。
「そこだ!」
 アルベルトはありったけの祈りを聖印と剣に込めると、その“眼”で探し出した一点に刃を突き立てた。
『神よ、我に祝福を。汝は我が盾、我が剣なり。その栄光は世々に限りなく、あまねく地を照らす。至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!』
 閃光と耳障りな断末魔が乾いた空気を震わせた。祈りの力は“巨人”の悪魔を打ち砕き、塵へと返していく。要を砕かれて“巨人”は再生が止まり、傷口が崩壊し始めた。
 どす黒い肉の塊がぼとぼとと落ちていく。“巨人”の身体は泥のように崩れ、ただの肉塊になっていく。それでも滅しきれなかった悪魔が悪魔憑き達に向かって腕を伸ばしたが、アルベルトの剣がそれを断ち切った。
「悪しきものよ。滅せよ」
 白光。祈りの力は悪魔を断ち切り、“巨人”は完全にその形を失った。黒い巨体は崩れ去り、黒い山が築かれる。しかし“巨人”を構成していた“番犬”達の幾匹かは祈りの力から逃れ、しぶとく生き残っている。“番犬”達は怒りに満ちた咆哮を上げると、アルベルトに向かって襲い掛かった。迫りくる魔物に応戦しようと、アルベルトは振り返る。そして、
 “番犬”はアルベルトの元にたどり着く前に、光に貫かれて完全に浄化された。悪魔は塵に還り、魔物はただの肉塊と化す。魔物の残骸の向こうには、レイピアを構えたリゼが立っていた。