Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ
それにアスクレピアで悪魔教徒の刺客を退け、物資と宿を提供し、シリルを保護してくれる相手だ。恩があるのにと苦言を呈したが、リゼは取り合わない。彼女は冷めた目をこちらに向けて、淡々と言った。
「研究以外のことには興味ないのかと思ってたけど、王族には素直に従うのね。意外だわ」
「そりゃ貴女ほど傍若無人でも恩知らずでもありませんもの」
肩をすくめて言ってみせたが、リゼは憮然とした表情でこちらを見るだけだ。痛いところを突かれたのか会話が面倒になったのかしらないが、話を続ける気はないらしい。都合が悪くなると黙り込んだり立ち去ったりするのが彼女の悪い癖だ。ティリーは椅子の背もたれにだらりと寄りかかると、栗色の髪をかき上げた。
「もう、そうやってだんまりを決め込むんですから。会話ぐらいちゃんとしてほしいですわ」
恨みがましく言ってみるも、リゼは表情一つ変えない。その様子にティリーは溜息をついた。まったく困ったものだ。こう自由気ままにやられてはついていくのも一苦労。やはりこの分だと仲良し作戦は難航しそうだ。今後取るべき行動についてティリーは取り留めもなく思考を巡らせる。頼みの綱はアルベルトだけか。それともリゼに合わせた方がいいのか。いやいやそれはめんどくさい――
「ティリー、一つ聞きたいんだけど」
「はい?」
「魔力の譲渡って可能かしら」
突然の質問にティリーは面食らった。何を突然。驚いてリゼを見つめたが、彼女はいつも通りの仏頂面でこちらを見ているだけだ。でも魔力の譲渡。譲渡か。面白い話題だ。ティリーは脳内の書物を開くと、該当する情報を引き出し始める。
「出来る人は出来るらしいですわね。文献にも幾つか記述があります。でも、使い物になるレベルではありませんわ。なんとなく元気になった気がするとか、その程度らしいですわよ。譲渡出来ると言ったって、所詮は他人のものですもの。異物を取り込んでも排除されるだけですわ」
「そう……よね」
ティリーの説明を聞いて、リゼは腕を組んで考え込む。何故彼女はこの話題を出したのだろう。何か気になることでもあるのか。探りを入れようと、ティリーは話を続ける。
「でも逆を言えば、他人の魔力を受け入れることさえできれば元気になる以上の力を得ることができるということですわ」
すると、リゼは興味を持ったのかこちらに視線を投げかけた。
「魔力を受け入れる……例えばどんな?」
「そうですわねえ。まず渡す側と受け取る側の魔力が全く同質であることが考えられますけど、これは実際不可能ですわね。魔力の質は一人一人違うものですから」
「他には?」
「受け入れる側が異物を受け入れやすい状態であることが考えられますわね。例えば“憑依体質(ヴァス)”は悪魔に憑かれやすい。これは言い換えれば異物を受け入れやすく排除しない体質であると言うこと。このような体質であれば、魔力の譲渡はスムーズに、より実用可能なレベルで行えるはずです」
けれどこれも理論上の話でしかない。何故なら異物を受け入れやすい“憑依体質(ヴァス)”ですら、最後には強大になりすぎた悪魔(異物)に耐えきれず死んでしまうからだ。“憑依体質(ヴァス)”にも異物の吸収には上限が存在する。つまり少量の魔力なら可能かもしれないが、大規模魔術を行使できるほどの魔力を受け渡すのは不可能だろう。魔力とはなかなかに強大なエネルギーなのだ。いやはや魔力の少量譲渡という現象自体はたびたび観測されるのに、これについての研究はほとんど進んでいない。やはり五百年前の魔女狩りで古代の魔術の資料が失われてしまったのが痛かったか。それに、父の成果も――っとこれは今は置いといて。
「で?」
「……『で』って?」
「なんでそんなこと訊くんですの?」
急にそんな話題を振るなんて怪しい。怪しすぎる。何か目的があるはずだ。ティリーは意気揚々とリゼに迫ったが、彼女は何も答える気はないらしく、こちらを無視する。協力的になってくれたらもっと知恵を貸せるのに。そう言っても、リゼは冷たく「嫌」と言うばかり。冷たい。本当に冷たい。全くアルベルトはこんなリゼのどこがいいのだろう?
「全くどこがいいのかしら。アルベルトは」
「は? どうして今アルベルトの名前が出てくるの?」
「いいえなんでも」
話がこじれそうだから今は適当に誤魔化しておく。リゼだってやってるんだから文句を言われる筋合いはない。さっきだって王太子相手にあんな態度、目に余るから注意したというのに――
「……ってリゼ。いきなり魔力譲渡のことを言い出したのって、先程の話を逸らすためじゃありませんわよね?」
「よく分かったわね」
悪びれもせずそう言い放つリゼ。つまりまんまと乗せられたということか。ティリーはため息をつき、椅子の肘掛けにもたれて頬杖をついた。
「本当にめんどくさい人ですわね貴女って。少しはコミュニケーションを取ろうという気概を見せて欲しいですわ。付き合わされる方の身になってくださいませ」
「付き合いたくないならついてこなければいいのに」
「そういうわけにはいきませんわ。貴女の能力ほど興味深い研究対象はありませんもの」
「研究したいからわざわざついてくる、ねぇ……」
「当然でしょう? でなければ貴女についていったりしませんわ。はっきり言って、貴女のようなタイプは嫌いですもの」
「奇遇ね。私もよ」
「まあ。そんなにはっきり言われると傷つきますわ」
「自分が先に言っといて何言ってるのよ」
「あら。言うのは良くても言われるのは嫌なものでしょう?」
「そう。どうでもいいわ。言おうが言われようが」
投げやりに言って、リゼは視線を逸らす。気のない淡泊な口調からして、強がりを言っているわけでもないらしい。まったく理解できない人だ。意地っ張りなのか、傍若無人なのか、わからない。
「あの! お二人とも喧嘩しないでください!」
すると、シリルが真剣そうな声を上げて、割って入ってきた。おとなしくしていたので彼女の存在を忘れていた。シリルはこれまでのティリーとリゼのやり取りに相当心を痛めたらしい。少し泣きそうな顔をしている。そんな少女を一瞥し、リゼは平坦な声で言った。
「喧嘩じゃないわよ」
「ええ。喧嘩じゃないですわ」
当惑するシリルをよそに、ティリーはリゼの言を肯定する。そう。これは喧嘩ではない。だって喧嘩は、本音をぶつけ合ってするものだろう。
本音を言わないのに、喧嘩なんてできるわけがないではないか。
アルヴィア帝国とミガー王国の間には内海が広がっている。さして広い海ではないのだが、常に荒れていて航路が限られており、横断にはかなりの時間がかかる。その間、アルベルト達はフロンダリアの時と同じように客室を与えられ、そこでの待機を命じられた。
与えられた客室は、船内とは思えないほど立派だったが、少々広すぎるのが難点だった。フロンダリアでもてなされた時もそうだったが、あまりに豪華なので気おくれしてしまう。現在などたった二人しか部屋にいないから、人数に対して部屋が広すぎて寒々しい印象を受けてしまうほどだった。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ 作家名:紫苑