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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 4.武の章 追悼本番

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「ねえ、どうしたの? 小雪、真っ青だよ」
「紗弥が事故ったって。こいつ病院まで送ってくる。あと、頼むわ」

 客席にいる人間に聞こえないようにささやくと、一瞬、愛美の顔色が変わった。けれどそれは本当にわずかなことで、愛美は力強くうなずいた。

「まかせといて。ハウハイならできる人、いくらでもいるから」

 そう言ってにっこりと笑ってから、小雪を抱きしめた。かたくなっていた小雪の表情が見る間に溶けていく。

「ベースはノブの車で部室まで運ぶから心配しないで。紗弥さん、無事だといいね」

 末っ子でわがままで、人に頼ってばかりの愛美も、このときばかりは頼もしく見えた。
 瞳を潤ませた小雪が、涙を飲むのがわかった。武がそっと肩に手を置くと、愛美から体を離して「ありがとう」とつぶやいた。

 愛美がプレイヤーを集めているのを横目で見ながら、武は身支度をした。トランペットをケースにおさめてミリタリーコートをはおる。キッチンから出てきた綿谷が、状況を察したのか武に近づいてきた。

「紗弥が事故にあったみたいです。落ち着いたら必ず連絡します」

 綿谷は何も言わず、静かにうなずいた。眼鏡の奥にある瞳が彷徨っていて、動揺がうかがえた。ざわついている客たちをなだめながら、武の両親へ説明しに行ってくれた。

 ベースのソフトケースを締め上げている小雪のところへ、信洋がかけよっていく。
 武はダッフルコートとトートバックをつかむと、小雪が話し始める前にそれらを押しつけた。眉根をよせた信洋がこちらを見てくる。

「一体どうしたんですか」
「あとでマナに聞け」

 そう言い捨てると信洋が引きとめるのを聞かず、小雪の腕を引っぱっていった。愛美の性格からして、詳細な説明はせずにセッションを再開するだろう。信洋に話すのはすべての演目が終了したあとになるはずだ。その頃には病院について、小雪も携帯電話を切っているだろう。今はただ、わずらわしい思考を削除して、紗弥のもとに向かいたい――

 セッションの名残惜しさをふりきって扉を開けると、鼻先を切っていきそうなほど冷たい風が吹きこんできた。朝から降っていた雪は勢いを増し、道路と歩道の境目が見えないほど深く降り積もっていた。

 店に続く階段を登りきったところで、強烈な震えが体を襲ってきた。
 握っていた小雪の手を離し、自分の体を抱え込んでみるが、おさまる気配がない。

「大丈夫……?」

 心配そうにのぞきこんできた小雪を、思わず抱きしめた。首筋から感じられる小雪の体温が皮膚にしみて、体の内に閉じこめていた言葉が溢れ出してくる。

「あの時と……同じだ。俺が引きとめてたら」

 塀に押しつぶされる慎一郎の幻影が、紗弥にすり替わっていく。こんな雪の夜に自転車に乗っているはずがない、と考えればわかることなのに、悪夢のような光景は猛烈な勢いで武の心を蝕んでいく。

「あの時って……シンのこと?」
「そうだ……あの朝、自転車を出して学校に行こうとしてるシンを見てたんだ。今日はやめておけよって言ってれば、死なずにすんだかもしれないのに」
「そんなの違う」

 小雪が腕に力を入れてしがみついてきた。武は首筋に顔をうずめるようにして言った。

「違わない。今日だって紗弥はここに来てたのに、引きとめられなかった。紗弥が死んだら、俺が殺したのと同じだ。そしたらおまえは、俺を恨むだろ?」

 力の入らない口元をわずかにあげて言うと、突然、小雪にくちびるを塞がれた。

「紗弥ちゃんは死んでない」
「わかって……る」

 そう言った途端、途方もない恐怖が押しよせてきて足がすくんだ。病院にかけつけて、もし紗弥が死んでいたら、その現実を受け入れられるのか――

 腕の中にいる小雪の体温を確かめたくて、くちびるを重ねた。髪に落ちる雪は冷たいのに、口の粘膜も舌も吐息も熱かった。これ以上腕に力をこめたら雪に溶けてしまうのではないかと思うくらい、小雪の身体はどこも熱を帯びていた。

 肩越しに信洋の姿が見えた。性懲りもなく追いかけてきたらしい。人の心はひとつではない、思い通りにもならない――そのことを知らしめてやりたくて、これ見よがしに小雪に口づけた。
 大きく眼を見開いた信洋の反応をそれ以上確かめることもせず、小雪の腕を引いて、パーキングにむかった。



 病室に入ると、紗弥は意識を取り戻していた。

 小雪が泣きそうな顔をしながらかけよっていく。包帯をまいた細い腕が伸びて、ゆっくりと髪をなでた。ベッドにしがみつくようにして、小雪は涙をこらえていた。

 母親は必要なものを取りに家に戻ったらしく、父親が付き添っていた。小雪を見るなりほっとしたような表情になり、武に会釈をしてきた。

 あわてて出社しているときのような調子で頭を下げると、小雪の父は「遅い時間にきてくれてどうもありがとう」と微笑んだ。薄茶色のくせ毛や色素の薄い瞳が小雪にそっくりで、血のつながりを感じさせる温かな雰囲気が武の心をゆるませた。

「あの……交通事故だってきいたんですけど」

 遠慮がちにそう言うと、父親は息を吐いて笑顔を作ろうとしていた。

「いやなに、雪道で正面衝突したっていうから驚いたんだけどね、脇にある施設の植込みに突っ込んだおかげで、軽傷ですんだようだよ。足の骨にひびが入っているが、一週間ほどで退院できるらしい」

 小雪に心配をかけまいとしているのか、彼はゆるりと微笑んでそう言った。

「まったくこのおてんば娘は、どこまで親の心臓を縮めるんだろうね」

 横たわっている紗弥に視線を投げかけながら言ったので、武は苦笑してしまった。
 紗弥もこの穏やかな父の調子にはかなわないのか、苦々しい顔つきをしている。
 彼は財布を取りだすと、「コーヒーでも飲んでくるよ」と言って部屋を出た。
 薄暗い部屋でじっと押し黙っていると、紗弥が口を開いた。

「たいした怪我でもないのにドヤドヤ押しよせてこないでよ」

 いつもの口調に、武は胸をなでおろした。軽傷とはいえ、ただでさえでも華奢な体に包帯やテープが巻きつけられているのは痛々しかった。

「……あとで綿谷さんが来るから」

 そう言うと、紗弥は目を丸くして、顔をそむけた。表情の変化を悟られたくないのだろう。小雪に「ほらみろ」とばかりに紗弥を指さすと、二人の仲を知っている小雪もくしゃりと笑った。

「おまえ鈍くさいんだから、車乗るのやめたら」

 ぼそりとつぶやくと、紗弥は鬼の形相で武を睨んできた。

「むこうが勝手にスリップして突っ込んできたのよ。私の反射神経のすばらしさで、見事にかわしたでしょ」
「それで、それか」

 腕に巻かれた包帯を見下ろすと、紗弥は掛け布団の中にかくしてしまった。

「そうよ。足だって大したことないし、薬剤師なんて松葉づえついてでもできるわ」
「でも痛いんだろ」
「……まあまあ痛いわね」

 ようやく弱音を吐いたので、武は吹き出した。すると小雪も笑い出して止まらなくなった。強がって生きてきた武は、紗弥がいくつもの防御壁を築いて生きていることを知っている。武は一枚ずつ取り外すが、綿谷はいとも簡単に飛び越えてしまう。