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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 4.武の章 追悼本番

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 小雪に経過報告を聞いたら、信洋は本当に紗弥に直談判をして撃沈したらしい。
 先日、小雪とカフェに立ちよった帰りに、『ブラックバード』で遭遇したときは目を疑ったが、紗弥の穏やかな表情からどうも信洋には心を開いたらしい、ということがわかってかえって苛立ったりした。
 
 テナーサックスのソロに入ってちらと斜め後ろを見ると、小雪が懸命にベースを弾いていた。同じオリエンテのウッドベースを使っていても、小雪と慎一郎では音色が異なる。

 空気がはじけるような軽快なリズムが得意だった慎一郎に対して、小雪にはミディアムテンポの落ち着いたスイングの方があっているようだった。
彼女がはじくベースの弦はゆったりと鼓膜に響いて、聴くものの心を温めてくれる。

 慎一郎がいなくなってから、武と愛美以上に憔悴していたのが小雪だった。血のつながりもないのに、半身を失ってしまったような虚ろな状態が長く続いて、愛美は自分の悲しみも忘れてあれこれと画策していた。小雪に早くもとの快活さを取り戻してほしいと願っていたのは武も同じで、ベース奏者になることを望んでいた彼女の慰めになればと思い、あのベースを譲り渡した。

 一心不乱に練習する姿を見て、これでよかったのだと思っていたが――それも今ではよくわからない。この頃は負担の方が重くなっていそうだということは島田からそれとなく諭された。それなのにドライバーに信洋が選ばれたという事実を受け入れられない自分がいて、身勝手なわが身にため息が出るばかりだ。

 終わりのテーマを演奏しながら、綿谷と小雪がアイコンタクトを取る。事前に打ち合わせていたのか、いたるところにぴたりと合うリズムがあって、武の背筋を震えさせる。

 武は瞬時に規則性を見つけて、二人に寄り添っていく。反射神経のいい愛美がさらにピアノのフレーズをかぶせてくる。

 信洋が一番前の席で悔しげな眼差しをむけてくる。「紗弥がいなくてもいいから出ろよ」と言ったのに、あの生真面目さが邪魔をするのか頑として首を縦に振らなかった。

 そうやって散々悔しがってるといい、どうせ俺はもういなくなる――そう思いながら武はトランペットを振りかざした。

 力の限りハイノートをふりしぼって、まわりのプレイヤーに目配せをする。武の足下から吸い上げられる音の塊がトランペットのベルに向かって凝縮していく。ピアノもドラムもテナーサックスの音色も、武の全身に渦を巻くようにして天井に向かっていく。
 小雪が前かがみになってベースの高音をかき鳴らす。一瞬、慎一郎の横顔が垣間見える。
 悔恨の偶像をふりきり、武はトランペットを振りおろした。

 こめかみに汗がつたうのを感じながら顔を上げた。熱くなった口元をぬぐい、歓声にこたえて腕をふる。

 ふと、客席の一番奥に座っている父と目が合った。口の端を持ち上げると、それに応えるように両手を上げて拍手をした。
 向かいには母が座っている。ウェーブのかかったセミロングの髪は愛美にそっくりで、一目見れば母娘だとわかる。武のほりの深い顔立ちはどちらにも似ていない。

 自分を生んだ母親も同じような顔をしていたのか――思春期の頃は鏡を見るたび気が滅入ったものだったが、同種の悩みを抱えていた慎一郎があれこれと馬鹿話に変えてくれたおかげで、自分の生の姿を見つめられるようになった。

 ――私たちにはどうしてもシンが必要だった。

 そう言った小雪の気持ちは痛いほどよくわかる。ひとりでは立つこともままならないから、より集まって生きているのに、ある日突然、天にかっさらわれてしまうその命――
 そんな脆いものに頼らずに生きていけたらと何度切望しても、また求めてしまう。

 綿谷に代わって信洋がドラムセットの前に座る。譜面をさしかえている小雪に何か話しかける。『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』のテンポの話をしているらしい。

 武はツバ抜きをあけてたまった水分を床に落とす。くちびるをなめてマウスピースに口をあてる。口の両端にある筋肉にうまく力がこめられない。
 セッションが始まって一時間半になる。吹きすぎなのはわかっていても、引き下がれない。ちらとうしろを見ると、テンポマシーンで拍をとっている信洋の姿が見える。

 どうやら二人の話は堂々巡りをしているようだ。ベリーファーストだろうという小雪と、そんな早いハウハイはハウハイじゃないと引き下がらない信洋。
苛立った武は「俺が出すから」と横から割りこんで言った。

 事前にどれくらいのテンポで演奏するのか、誰にも伝えていない。エラ・フィッツジェラルドの歌もののようにミドルテンポで行くのか、カウント・ベイシー楽団並みのファーストテンポを出すのか――その場の雰囲気とメンバーで気持ちはころころ変わる。

 自分勝手で腹が立つ、と紗弥にはよく言われたが、だからこそセッションはおもしろいと思っている武には無意味な言葉だった。

 接客に戻ろうとしていた綿谷が、小雪にそっと携帯電話を手渡した。

「勝手に見てしまって悪いね。でもお父さんからみたいだし、ずっと鳴ってるから出た方がいいんじゃないかな」

 そう言って武にも目配せをしてきた。興奮が冷める前に演奏を始めたかったが、小雪に出るように指さした。小雪は小さくうなずくと、床にベースを寝かせ、申し訳なさそうに体を縮めて店の隅に立った。

 武もスタンドにトランペットを立てて、肩を回した。思っていた以上に力が入っていたらしい。凝り固まった筋肉がごりごりと音をたてる。
 電話をしている小雪と何度も目が合う。気のせいかと思っていたら、腰のあたりでこっそり手招きをしているようだった。
 首を回しながら近づくと、小雪はぎゅっとくちびるを噛んでから言った。

「……紗弥ちゃんが事故にあって、病院にいるって」

 小雪の声が耳に届いた途端、眼前に激しい音を立てて塀に突っ込む大型トラックの映像が浮かんだ。事故現場を見たわけではないのに、夢の中で幾度も再現されたその光景は強烈な衝撃を伴って武に迫ってくる。雪に覆われた街、坂道でスリップした運送トラック、真横にいた慎一郎、乗っていた自転車ごと塀に押しつぶされていく瞬間――

「もう処置は済んでるみたいだから」

 ささやくように言った小雪の声に体がビクリと反応する。冷え切った指の先を、小雪の小さな手が遠慮がちに握っている。

「……それ……で?」

 容態を聞こうとしたが、それ以上うまく言葉が紡げない。動揺を悟られないように震えを押さえようとすればするほど、体中の筋肉がこわばっていく。ぎりぎりとしめつけられた心臓が悲鳴を上げるように、脈動を速めていく。

「麻酔が効いて眠ってるから、セッションが終わってから来ればいいって言ってるけど……どうしよう」

 うつむいた小雪を見て、武は我に返った。自分が動揺してどうする――姉が事故にあったと聞いて小雪が平常心でいられるわけがない――

 武は小雪の肩を抱きよせると、そのまま人目もはばからずステージ上を横切った。酒の入った同窓生たちは軽い感じでひやかしてきたが、信洋はドラムセットから身を乗り出して訝しげな視線を送ってきた。

 異変を感じたのか、愛美がうしろから追いかけてくる。