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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 3.信洋の章 残骸

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 言葉を失ったままいると、武は「真面目くさった顔すんなよ」と言って信洋を叩いた。頭を押さえると、彼は「綿谷さん、酒ない?」と言ってキッチンの方に首をのばした。

 綿谷が持ってきたのはウイスキーのボトルだった。あんなきついものを飲んでまともに話が聞けるものか、とひるんでいると、綿谷はにっこり笑ってサワーのようなものをさし出してくれた。

「俺のおごりだ。飲めよ」

 武がグラスを突き出してきたので、信洋は軽くグラスを合わせた。
 注がれていたのは先ほど紗弥といたときに話題に出た、好物の青りんごサワーだった。
 綿谷の気遣いに思わず涙腺を緩ませていると、武は「なんだっけ」とつぶやいてウイスキーを喉に流しこんだ。

「会社はシンが継ぐって言うからそれでいいと思ってたけど、現実は違う。いくら傾いて倒れる寸前のアパレル会社っていっても、放り投げて家を出れば、もらわれっ子の俺は行くところがない。別に育ててもらった恩返しってわけじゃなくて、ただの臆病者なのさ」

 自嘲気味にそう言ってグラスを置いた。綿谷は背を向けてボトルの整理をしている。信洋は武の本心がどこにあるのか、どうすれば本音を聞けるのか、必死に考えた。

「ご両親もそう望まれているんですか?」
「親父は自分の代で会社をたたむつもりだったらしい。百人も二百人も従業員抱えて、そんなこと容易にできるわけないだろって言ったら、残りの人生をかけて償うつもりだ、みたいなこと言いやがった。他人のために人生捨てるなんてそんな馬鹿らしい話があるか? 俺が継げばすむことだ。だいたい俺はこのまま会社を潰すつもりもない。どうせやるなら、儲けたいだろ?」

 酒が入ったからなのか、武はどんどん饒舌になってきた。軽い口調でそう言って、信洋に言葉をはさませない。ウイスキーを口にするペースもどんどん早くなる。
 信洋はタイミングを見計らって、こう言った。

「それで取引先の女性と結婚することにしたんですか?」

 ボトルを傾けようとした手が止まった。少し落ちたまぶたの奥に、鈍く光る瞳があった。

「好きな女と一緒になるのが、結婚だろ?」

 会社のために結婚するのかと責めたつもりだったのに、肯定とも否定ともとれない返事に、信洋は意表をつかれた。

「だったらどうして紗弥さんと結婚しないんですか?」
「紗弥と? 何言ってんの、おまえ」

 武はわざとらしく吹き出して笑い始めたが、チラリとこちらに視線をふった綿谷は全く笑っていなかったことを、信洋は見逃さなかった。

「武さんが結婚するって聞いたとき、相手は紗弥さんだって思ったんです。『モーニン』のフロントだってあんなに紗弥さんにこだわってて、もしかしたら結婚式で披露するつもりだったのかなって」
「そんなの、とっくの前に断られてる。『私をあんたの遺産にするな』ってな」

 グラスを片手にそう言いながら、武はずっと笑っていた。
 現役を退いた紗弥にこだわる理由を、信洋はずっと探していた。武ほどのプレイヤーなら、一緒にやりたがるテナーサックス奏者は多くいるだろう。けれど武は「紗弥でないと」と言って首を縦に振らない。

 紗弥といたいから小雪が必要なのか、小雪といたいから紗弥が必要なのか――どちらかにこだわっているに違いないのに、生涯の伴侶に別の女性を選ぶ神経が理解できない。

「紗弥さんと一緒になりたいと思ったことはないんですか?」

 自分でもしつこいと思ったが、武が本当に大切にしたいものは何なのか、知りたかった。
 武はグラスを置くと、ぐいと髪をかき上げて言った。

「俺と紗弥は同じ穴倉からはい出たネズミなのさ。そんなのが一緒になったって、待ってるのは奈落だけだ」

 ふと視線を上げた武の目を見て、信洋はギクリとした。彼の瞳の奥には途方もないほど深い闇が広がっている。かすかに笑ってさえいるが、その口の端には未来をあきらめた男の絶望が刻まれていた。

 何を言っても意味をなさないことが、武を覆う暗い影から感じ取れた。聞いてしまったことを後悔するくらい、「奈落」という言葉は信洋に深く突き刺さった。
 この人の闇に取りこまれてはいけない――信洋は覚悟を決めて、サワーを飲みほした。

「だったら小雪と二人で会うの、やめてもらえますか」

 グラスをテーブルに置く音が甲高く響く。武は口元に手を持っていくと、またくつくつと喉を鳴らして笑った。

「おまえが本当に言いたかったの、それだろ?」

 見透かされていた――そう思った途端、アルコールではない別の物質が頭のてっぺんを目指してかけ上っていた。「まったくめんどくせえ奴だな」と、武は天井を仰ぐ。
 スツールに座ったままぐるりと半回転すると、レジカウンターの前で帳簿をつけていた綿谷にむかって声をあげた。

「ここがオープンしたときの写真ってあります?」

 綿谷はずり下がっていた緑のスクエア型眼鏡をぐいと上げると、「ハイハイ」と言ってカウンターの下を探り始めた。
 武がウイスキーのボトルを逆さまにして「あーないや」とつぶやくと、綿谷は一冊のスクラップブックをテーブルの上に置いた。

「これ、見ろ」

 武が指さした写真には、髪が金色だったころの武が映っていた。うしろのドラマーは綿谷のようで、ベーシストもよく見知った顔をしていた。
 今よりも髪の短い小雪だった。Tシャツにジーンズ姿で昔はボーイッシュだったんだな、と微笑ましく思っていると、なぜか胸の底がざわついた。

 武がこちらをじっと見ている。写真に映る五年前よりもずっと精悍で、男なら誰だって一度はこういう風貌になってみたい、と憧れるような整った面立ちをしている。

 ――五年前? 小雪がベースを始めたのは大学入学時の三年前のはずだ。
 そう思った瞬間、胸の中に湧いたざらざらとした感情が言葉になって吹き出した。

「これ、小雪じゃないですよね。……男?」

 写真を見て言いながら、性別さえ違うことに気づいた。華奢な体型とはいえ、首の上にのる喉仏がたしかに男だと主張している。

「誰ですか、これ……。小雪に男兄弟がいるなんて、聞いたことないんですけど……」

 武は信洋からスクラップブックを取ると、光に当てるように掲げて言った。

「こいつが弟の慎一郎だ」
「うそでしょ……」

 呆然とする信洋の頬を、武はおもむろにギュッとつねった。あまりの痛さに叫ぶと、武は「ナイスリアクション」と言って笑った。

「お前が疑うのも無理ない。顔だけじゃなくて声までそっくりで、電話でしゃべってると声変わり前の慎一郎がそこにいるのかと錯覚するくらいだからな。この二人がどうしてこんなに似てるのか、理由はわからない。親の印鑑をくすねて勝手に戸籍謄本を調べたこともあるけど、手がかりになることは何もなかった」

 話しているうちに、武にさしていた陰りが薄くなっていくようだった。愛美の相手をしているときのような、優しい兄のまなざしで写真に視線を注いでいる。

「だから心配すんなよ」

 そう言って唐突に信洋の肩を叩いたので、思考がついていかず混乱した。

「死んだ弟にこれだけ似てるんだ。手ぇなんか出せるかよ」