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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 3.信洋の章 残骸

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 そういうことか、と信洋は思った。亡き弟を思い出させる女なんか抱けない、とでも言おうとしているのだろうか――
 武の表情をつぶさに観察した。紗弥の話をしていた時とは別人のようにさっぱりとした表情で、写真に映る慎一郎を見つめていた。

「小雪に慎一郎さんのベースを託したのは……やっぱり身代わりなんですか」

 武は不意をつかれたような顔をして、スクラップブックを閉じた。

「ユキコがベースを弾きたいなら、貸してやろうって思っただけだ」

 重荷になってるみたいです――と言いかけて、口をつぐんだ。もう笑ってはいなかった。

「本題終わったみたいだし、帰るわ」

 武がすばやくミリタリーコートをはおって店を出ようとすると、綿谷がめずらしくあわてた様子でカウンターからとび出してきた。

「車、うちの前に置いてっていいから、タクシー乗って帰れよ」
「わかってますよ」

 吹きこんだ風の中に、雪の夜の冷たさを感じた。眉を下げて綿谷に礼を言う武の姿こそ、偽らない彼の姿のような気がした。

「武さん、俺を追悼セッションに出させていただけませんか」

 とっさにそう言うと、トランペットケースを下げた武がふり返った。

「小雪のことはまだ納得いかないけど、やっぱり俺は武さんのトランペットが好きです。ずっとあなたみたいなプレイヤーになりたいと思ってました。慎一郎さんが残したハウハイを俺にも叩かせてください」

 地上から雪が吹きこんできた。信洋が思わず身震いすると、武はファーのついた帽子を頭からかぶって言った。

「好きにしろ。セッションに出るドラマーは綿谷さんの他に数人いる。出番があるかわからないが、やりたい曲があるなら死にもの狂いで練習してこい」

 喜びのあまり言葉より体が前に出てしまった。信洋の返事も聞かず、武は階段を上がっていった。「よろしくお願いします」と声を張り上げたが、武は吹雪の中に姿を消してしまっていた。

 入れ替わりに階段を下りてきたのは、ピンクのマフラーを巻いた愛美だった。

「タケ兄が出てくるところ見たから、下りてきちゃった」

 そう言って笑った愛美の髪にたくさんの雪がつもっていた。思わず信洋はそれを払い落とし、店の中に引きいれる。

「おやおや、千客万来だ」

 綿谷は愛美の雪に濡れた姿を見て、タオルをさし出してくれた。信洋がそれを受け取ってコートについた雪をぬぐっていると、綿谷はポットのお湯を沸かし始めた。

「あの、すぐ帰りますから」

 愛美はそう言ったが、綿谷は紅茶缶のフタをパカリと開けて言った。

「そんなこと言わないで。うちのロイヤルミルクティー、けっこううまいよ」

 この人の温かい笑顔は、どんなに尖った心も優しく溶かしてくれる。愛美は泣きそうな顔になりながら、椅子に腰かけた。

「どうしてこんな時間に?」

 向かいに座りながら信洋が聞くと、愛美はくしゃりと笑って言った。

「ノブとタケ兄が『ブラックバード』でケンカしてるから、近くにいるならノブを加勢してやってよって、紗弥さんが」

 目の前に、無言でスパゲティをすすっていた姿が思い浮かぶ。

「紗弥さんに会ったの?」
「ううん。ライブのあとに携帯見たら、メッセージが入ってたの」

 そう言いながら携帯の画面を見せてくれた。眼鏡をかけたキツネが「ファイト!」と腕をふっていて、信洋は笑ってしまった。

 綿谷が並べてくれたロイヤルミルクティーのカップから、ゆるやかに湯気が香り立つ。カップに口をつけた愛美の頬に色がさす。その姿を見るだけで心がほぐれた。

「その様子だと、ケンカは引き分け?」

 愛美の口元から温かな吐息が漏れ出す。信洋は頬の筋肉がゆるむのを感じながら言った。

「慎一郎さんの追悼セッション、俺も出させてもらうよ」

 愛美はカップを持つ手を宙に浮かせたまま、信洋を見た。

「武さんと慎一郎さんと、それからマナのこと、聞いたよ。写真も見せてもらった。武さんに聞いたんだ、小雪は慎一郎さんの身代わりかって。どうもそれは違うみたいだし、それなら小雪を助けたいと思ってさ」

 愛美は目を見開いて信洋の言葉を聞いていたが、カップを置いてゆっくりうなずいただけだった。信洋は愛美の冷えた手をとって言った。

「マナも出よう。俺と小雪とマナの三人で、武さんがびっくりするようなハウハイ、やってやろうよ」

 握った手に力をこめると、愛美の大きな目はさらに大きく開かれて、そこに太陽の種が眠っているように輝いていた。

「ノブが出るなら、楽しいかもね」

 くすりと笑ってから、「インフルエンザにかからないでね」といたずらっぽく付け加えた。「善処します」と頭を下げたところに綿谷がやってきて、三人で笑いあった。

 後片づけをして店を出ると、街は一面深い雪に覆われていた。濡れた路面に足を取られた愛美がバランスを崩し、信洋は思わずうしろから支えた。

 愛美は雪が舞い降りる空を見上げたまま、白い息を吐きながら言った。

「タケ兄は……シン兄のかけらを集めながら生きてるの」

 頬に落ちた雪が溶けて、愛美の頬は赤く染まっていく。

「五年も経てば、シン兄の話ができる人は少しずつ減ってく。私はそれでいいと思ってるの。だってみんな前に向かって歩いてるんだから。でもタケ兄は、シン兄が残したものをひとつ残らず抱えて、落としては拾い集めて生きてる。シン兄の写真を見たなら、タケ兄が小雪にこだわる理由、なんとなくわかるでしょ?」

 スクラップブックにあった写真を思い返しながら、信洋は首を垂れた。

「きっと小雪の中にかくれてるシン兄のかけらを、ずっと探してるのよ」

 愛美のロングブーツがざくりと雪を踏みしめた。綿谷が鍵をかけるのを待って、信洋も街頭に出た。夜になってから降り始めた雪が、静まり返った街を深い眠りに包んでいく。

 武が小雪にこだわるのは、慎一郎の残骸を集めるため――本当にそれだけなのだろうか。それだけで、人はあんなに屈託ない笑顔を見せられるものなのだろうか。

 不意に湧いた疑念は消えることなく、雪のように信洋の中に降り積もっていった。