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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 3.信洋の章 残骸

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 そう言いながら労わるようにボディをなでる。皺だらけの節だった指が弦をはじき、細部をチェックし始める。

「君が所有するようになってからよくリペアに来てくれるから助かるよ」

 彼が目を細めてそう言うと、小雪は「いえ、私なんかが」と言ってうつむいた。
 たしかに室内に並べられたベースに比べると、ネックのあたりに傷が多く、本体にも削れている部分がある。このベースは小雪が一回生の頃から使っていると聞いているが、所有に至った経緯は知らない。そもそもクラシック音楽に使われていたベースがジャズプレイヤーのもとにやってくるなんて、そのこと自体が信洋には不思議だった。

「あの……このベースってそんなに古いものなんですか?」

 信洋はそろりと声を出していった。男性は曇りガラスのむこうから信洋の姿をみとめると、口元に皺を寄せて言った。

「これはね、私が駆け出しのリペアラーだった頃に、この手で旅立たせたものなんだ。一度は行方知れずになったのだけど、晴樹くんが見つけ出してリペアに持ってきてくれた時は、本当に感慨深かった」
「晴樹って……」

 信洋がそうつぶやくと、小雪はソフトケースをたたみながら言った。

「マナのお父さんよ。古い楽器店に眠っていたのを偶然見つけて、リペアに出したって聞いてるけど」
「マナの親父さんが、前の所有者ってこと?」
「えっとそれは……」

 小雪が言葉を濁した。
 リペアラーの男性は、ずり落ちていた眼鏡を上げて小雪を見つめた。信洋は彼女の様子をつぶさに見つめた。うつむいて髪に顔がかくれたが、くちびるを噛むのがわかった。
 小雪がゆっくり息を吸った。

「前の所有者は、マナのお兄さんの慎一郎っていう人なの。高校生のときに事故で亡くなって弾く人がいなくなったから、今私が弾かせてもらってるの」
「……亡くなったお兄さんのことはマナから聞いたよ」

 そう言いながら、小雪はまだ肝心なことをかくしていると思った。慎一郎が亡くなって小雪の手に渡るまでに、仲介した人物がいるはずだ。

 夕方、紗弥が言った「人身御供」という言葉が頭にこびりついて離れない。小雪を生贄にした者がいる。小雪は今朝その人物の家に行っていた――
 くだらない妄想が膨らみすぎたことに気づいた信洋は、ぶんぶんと頭をふった。

「なんにせよ、弾いてくれる人がいるだけで、私は嬉しいよ」

 男性はそう言って微笑むと、調弦を始めた。その指先に、小雪が視線を送る。二人がベースの状態について話し始めたので、信洋は取り残された気持ちになって、ガラスケースのそばにある椅子に腰かけた。
 ケースの中にはベース用の備品が並べられているが、信洋にはよくわからない。
 いつもなら小雪にも椅子を薦めているところだが、ベースを見上げる小雪の熱っぽい視線がそれを拒んでいるようで、信洋はぐるりと首を回した。

 有川家の人たちと小雪との間に、入りようのない絆があることは以前から感じていた。

 特に武に関しては、友人の兄というだけでない、直接的な関係があることはずっと気になっていた。しかし今日初めて姉の紗弥と武が一緒にいるところを見て――二人の間には恋人などという浅はかな関係を越えたものがあると感じたのも事実だった。
 ずっと伏せられたままになっている、生きていれば自分と同い年になるはずの有川慎一郎のことをちゃんと知らなければ、靄がかった気持ちは晴れそうになかった。

「あのさ小雪……マナのお兄さんのこと、話してくれないかな」

 ずるい聞き方と思った。けれど長兄と次兄、どちらのことも信洋は知りたかった。

「シンのこと……?」

 小雪がふりかえってそう言ったので、信洋はうなずいた。
 空いていた椅子をさし出すと、小雪はベースの指板に視線を注いだまま話し始めた。

「シンとは学年は違ったけど、生まれ月が二月しか変わらないこともあって、すぐ意気投合したの。よくマナと三人で遊んだわ。明るくて人なつっこくて、いつも笑ってる人だった。シンがいた頃の有川家はとってもにぎやかで、タケ兄とマナもケンカばっかりしてたけど、笑顔も絶えなかった。私たちにはどうしてもシンが必要だった」

 小雪は遠い目をしたまま椅子に座った。組んだ指先がかすかに震えている。
 信洋は次の言葉を待った。余計なことを言って小雪の感情を壊してしまいたくなかった。

「あ……ごめん。なんか暗くなっちゃったね。シンのことで悔やむのはもうやめようって、何度も心に決めたのに」

 小雪は笑顔を作って言った。いつものように感情を取り繕い始めたのを感じて、信洋は言葉を重ねた。

「小雪はそいつのこと……好きだったの?」
「好き……?」

 小さなくちびるから漏れ出した言葉が宙を舞う。過去の記憶のふたをこじあけるようなことはしたくないと理性では思っていても、小雪を前にすると止められなくなってしまう。
 小雪は手にしていた赤いチェック模様のマフラーを握って言った。

「恋人になりたいとか、そういうのとは違う気がする。初めて会った時から他人の気がしないというか、ケンカしても全然わだかまりがなくって、一緒にいてすごく楽だった」

 ごく自然な微笑みだった。頬の緊張をといてベースを見上げる穏やかな表情は、信洋がずっと欲していたものだった。自分といるときの小雪はいつもどこか作っているところがあって、決して心を許しているわけではない、という疑念が核心に変わった。
 信洋は小雪に気づかれないように深く息を吐きだした。

「あの、さ……もしその慎一郎って人が生きてたら、小雪はベースをやってた?」

 小雪は信洋を見て目を丸くした。それからゆっくりと笑った。

「わからないな。でも例えばさ、ノブがドラムでマナがピアノ、それからシンがベースで私がギターなんか弾いたら、一緒にリズムセクションが組めて楽しかったかも」

 小雪の笑顔は晴れた日のゲレンデのように眩しくて、信洋は思わず顔をそらした。彼女は悟りきっている。そんな夢のような未来なんて二度と訪れないことを――もしもの話なんて言ってから後悔した。一体どんな情けない顔をしているのか、鏡でも見たくなかった。

「もう、ノブったら真面目すぎ。私たち、シンが生きてたらさーみたいな話、しょっちゅうしてるよ。死んだことを受け入れたくないんじゃなくて、シンは私たちの中でずっと笑ってるから、ついそういう楽しい想像が働いちゃうんだよね」

 小雪はそう言って信洋の肩を叩いた。

「でも……ギターでもよかったかな」

 ポツリとつぶやいたので、信洋は顔を上げた。小雪は遠い目をしている。

「小雪……」

 信洋がそれ以上言葉を続けられずにいると、小雪はパッと表情を明るくした。

「ゴメン、今のナシっ。このベース、メンテナンスが大変だからちょっとそう思っただけ」

 ねえ島田さん、と小雪が声を上げると、リペアラーの男性はかがめた腰を持ち上げて、まったくだね、と言って笑った。

 ふと、運転免許を持たない小雪は、今まで誰の車でこの工房を訪れていたのだろうかと思った。愛美の父、有川晴樹か、姉の紗弥か、それとも――