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からっ風と、繭の郷の子守唄 第36話~40話

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 突然のことで、なんのことだか意味が分からなかった。
 運転席に座ったまま、ぼんやりしていたら
 『あんた。そんな酷い顔のまま家に帰ったら、家族が心配するだろう。
 縁が有って、わたしどものテナントへ遊びに来てくれた、お客さんだ。
 絶望したような顔のまま、家に帰すわけにはいきません。
 美味しいコーヒーをいれるから、あたしの店に寄っていきな』ときた。
 俺も馬鹿だ。『寄っていきな』に騙されて、つい、車を降りちまった。

 ママの入れてくれたコーヒは、うまかった。
 豆から挽いて、時間をかけてドリップで落とす。
 誰もいなくなった店内に、挽きたてのコーヒーのいい香りが漂っていく。
 『4時まで仕事を頑張って、後片付けをすませてから、コーヒを入れて飲む。
 その時間が、わたしのいちばん幸せな時間さ。
 だけどね。相手が居なんだ私には。いつも一人ぽっちでコーヒーを呑む。
 でも今日は、運が良い。 今日のあたしは幸せだ。
 そう言いながら、『砂糖を摂ると肥るから、何も入れない苦いコーヒーだよ』
 といいながら、俺の前にコーヒーのカップを置いてくれた。
 うまかったぞコーヒーは。俺には心の奥まで染み込んだ。
 こんなところで、人の情けにめぐり合うとは思わなかった。
 だから、よけいに滲みたんだろう。
 最高の一杯というやつを、生まれて初めて、俺はこの店で御馳走になった。
 
 人からもらった情けというやつは、しまいこんでおくと宝の持ち腐れになる。
 嬉しかったあの時の気持ちを、なんとかママに返す方法がないかと思って
 考えあぐねた末、トシに打ち明けた。
 そうしたらこの野郎。
 ろくに女の経験が無いくせに、サプライズが大切だなんて言い出しやがる。
 鉄は熱いうちに叩けだ。
 俺は、なるべく早いうちに決着をつけたかったんだが、
 『急いては事を仕損じる』なんて言って、少し待てと俺をおさえる。
 感謝の気持ちをあらわすために、ママの誕生日に、年齢分の花束を持って
 訪ねていけばいいだろうという結論を出した。
 探偵じゃあるまいし、簡単にママの誕生日がわかるはずが無いだろうと
 タカをくくっていたら、トシが簡単に探り当てた。
 同じ飲食業界の同業者だ。
 会員名簿からママの生年月日を見つけ出した。
 幸運なことにわずか3ヶ月後だった。
 だがそれからの3ヶ月が、俺にしてみれば実に待ち遠しい3ヶ月だった」