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バラードが嫌いな彼女は

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 店内の有線放送から、私が好きなあのバラード曲が流れ出した。CMソングとして採用された影響で注目され始めたらしい。
 彼女は食べるのを止めて両手で耳を塞いだ。俯いていたが、悲痛の表情を浮かべているであろうことは容易に想像できた。
 私はテーブルを二回叩き、曲が終わったことを彼女に伝えた。
 彼女は耳から手を離したが、俯いたまま顔を上げられないようだった。
「なんで?」
 私は沈黙に耐え切れずに訊ねてしまった。
「苦しいんです」
 テーブルに置かれていた彼女の小さな手が、きゅっと握られる。
「他人の恋にずかずかと土足で踏み込んで! 勝手に上がり込んで! 私の気持ちなんか……少しも…少しも分かってないのに!!」
 小さく抑えられたその声は、何よりも強く私の胸に響いた。
 彼女はきっと、『切なさがいいよね』なんて言われるのが嫌なのだろう。
 彼女はきっと、その歌詞を実際に経験した苦い思い出と重ねてしまうのだろう。
 彼女はきっと、自身の恋する気持ちを誰にも汚されたくないだけなのだろう。

 彼女に別れが訪れたのだ。
 どんなに望んでも、二人の気持ちは再び繋がることはない。
 どんな奇跡が起きようとも。
 それを分かっていて、それでも認められずに。

「私は忘れたくなんかない……忘れたくないんです」
「忘れなければいい」
「……!?」
「その人を好きになったことを後悔していないのなら、『私はこんな恋をしたよ』って堂々と胸を張ればいい。それだけは誰も汚すことはできない。自分以外は誰も、ね」
 彼女の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「コンタクトが……」
「車、近くに止めてあるから」
 私は彼女の強がりを受け止め、その上で車のキーを差し出した。
 カーオーディオにはハードロックのCDがセットされている。好きなだけ泣けるだろう。
 私からキーを受け取った彼女は、私の脇を小走りに駆け抜けた。すれ違いざまに「ありがとうございます」という言葉が私の耳に届いた。

 それから彼女を家まで送り届けた後、私は私の恋人に一部始終を報告した。
 チクチクと嫌味を言われながら、一晩で二度も喧嘩をして仲直り。
 長い夜が終わった。