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幻燈館殺人事件  前篇

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皆が退室し、広間には花明と蝶子そして柏原のみとなった。蝶子は思い出したかのように柏原に向って口を開く。
「そうだわ、柏原。花明さまの洗濯物はもう出来ているわよね?」
「はい。勿論でございます」
「お持ちして差し上げて。とても大切な物なのですから」
「畏まりました」
 柏原は二人に向って一礼をすると、広間を出ていった。
 二人きりになり、花明は聞きたかった事を正直に尋ねる事にした。
「なぜ助けて下さったのです?」
「助けたわけではありません。不審な点があったという、ただそれだけの事です」
「しかし……」
「花明さま、あなたが最も有力な容疑者である事に変わりはないのですよ。このような話をしていても、何の無実の証明にもなりません」
 蝶子のその言葉に花明ははっとした。この幻燈館で起きた殺人事件の探偵役を自分が務めあげなければ、このまま犯人として逮捕されてしまうのだ。その現実を再度突き付けられ、花明は考えを改めた。
「そうでした。では蝶子さんにお聞きします。あなたは夜明けから早朝までの間、何をされていたのですか?」
「先程小野田警部の前で言ったとおりです。部屋へと戻り、眠っていましたわ」
「それを証明できる方は?」
「いません」
 当然の答えだ。
「では質問を変えます。何か不審な者や音を聞いたりはしていませんか?」
「ありません」
 これも先ほど警部の前での発言をなぞった形だ。花明は今まで聞いていない事を聞かねばと脳みそをひねり、そして聞いて当前の事をまだ確認していない事に思い当たり、意を決して蝶子に尋ねてみる事にした。
「……失礼ですが代美さんは誰かに恨まれていたのでしょうか?」
「……思い当たる事は……何も……」
 蝶子は代美の実の妹である。その彼女にこのような事を聞くのは実に心苦しい事だった。見れば蝶子はたった一晩だと言うのに、少しやつれたようにさえ感じられる。気丈に振るまってはいるが、その実は参っているのだろうと思うと、花明の気持ちも塞いでいく。心情を察し俯いた花明を見て、蝶子は僅かに微笑むと言葉を続けた。
「正直なところを申し上げますと、私は花明さまを犯人だとは思っておりません。だって花明さまは私がこの館に招いたのですもの。仮に小野田警部の言われたように、何らかの衝動で殺してしまったとしても、犯人であれば既に逃走しているはずですものね」
 突然の告白に花明は思わず目を白黒させた。
「ではなぜ、このような……?」
 花明の問いに蝶子は小さく息を吐いた後、意を決した様子で言葉を紡いだ。
「……私は姉が誰に殺されたのか、それを知りたいのです」
「それならば何も僕にこのような役を与えなくとも、警察だって真犯人を見つける事は可能ではありませんか」
「そうですわね、でも……もし、犯人が九条家の者でしたら?」
「なっ!?」
 蝶子の発言に今度こそ花明は言葉を失った。
「九条の者が犯人でしたら、この家の名誉はどうなるでしょうか。使用人や外部の人間が犯人であれば、警察に任せておけばそれで良いのです。ですがそうでは無かった場合は? この家は守るものが余りにも多いのです」
「だから私に……?」
 やっとの思いでそう口にした花明に、蝶子は哀れっぽい眼差しを向ける。
「利用したようで申し訳ありません。いえ、利用したよう――ではなく利用しているのです、私は」
 自嘲気味に吐露した蝶子のその姿に、花明は胸を掴まれたような心地がした。
「犯人は九条家の人間だと思われているのですか?」
「……いいえ。けれどその可能性がたとえ一分でもあるのなら、私は最大限に注意を払わなければならないのです。それがこの幻燈館で奇咲家の私に与えられた役目でもあるのですから」
 蝶子の内に秘める複雑な思いを知った花明は、そのまま物思いに耽り、九条の者――それが正真蝶子であった場合へと考えを巡らせる。
 ……もし蝶子が犯人ならば、最初から自分をこのような形で助けはしないだろう――あのまま逮捕されていればそれで全ては丸く収まったのだから――そんな考えに花明が辿り着いた時、ふと思いだしたかのように、蝶子が口を開いた。
「そう言えば……」
「なにか?」
「心当たり……と先ほど仰いましたね」
「代美さんを恨むような……?」
「はい」
 蝶子はそこで一度言葉を区切ると、古い記憶を思い出そうとするかのように遠くの方へと視線を馳せた。
「昔の話ですが、怜司さまには恋仲の女性がいたのです」
「恋仲? それは代美さんと出会う前……という事ですか?」
「えぇ。確か……名前は‘サクラコ’さんと言ったはずです」
「それは誰から?」
「代美さまが……前に零していました。怜司さまが寝言で知らない女性の名前を呼んでいるって。それも一度や二度ではないのだと……。もしかすると今でも関係が続いているのかもしれない、と代美さまはそう疑っていたようです」
「なるほど……。それはいつ頃から?」
「私も詳しくは……」
「ふむ……」
 新たな証言に花明はしばし思案に暮れた。――この話が最近のものであるなら‘サクラコ’は使用人かもしれない。しかしここ数年単位であれば使用人の入れ替えの事も考えると、全くの外部の人間か、もしくは既に辞めてしまっている使用人かもしれない、いずれにしても寝言で呼ぶほどの女性なら、関係は深かったと見て間違いない――そこまで考えると、花明は再び蝶子に尋ねる。
「ではそのサクラコさんなら、代美さんを恨んだかもしれない――と」
「何度も何度も名前を呼ぶほどです。それも寝言で……。それ程までに怜司さまが思っている相手ならば、相手も同じように怜司さまを思っているのかもしれない。だとしたら、それは恨みに繋がらないでしょうか」
「確かに……可能性としてはありますね。とはいえサクラコさんがどのような方なのかすら分らない現状では、雲を掴むような話ですが……」
「仰る通りです。ふと思いだしただけなのです。それに……男女間の感情なんて、所詮他人には推し量れないもの、ですわ」
 蝶子はそう言うと、寂しそうに目を伏せた。
 その時ばたばたとした慌ただしい足音が二人の耳に届くやいなや、バタンと大きな音をたてて扉が開いた。はっとなった二人が視線を向けると、そこには千代が立っていた。息を切らしながらも凛としている千代に僅か遅れて、花明の衣服を持った柏原も困り顔で入室してきた。
「ああ、千代さま! どうかお部屋にお戻り下さい!」
「嫌よ!」
 千代はそう言うと蝶子の元へと駆け、そして彼女の手をぎゅっと握った。その様子を見届けると、柏原はさっと頭を下げた。
「申し訳ございません。途中で部屋から出られる千代さまを見かけ、何とかお部屋に戻って頂こうとしたのですが」
「いいのですよ。話は終わりましたから。千代さま、怜司さまはどうなさったのです? 先ほど千代さまのご様子を伺いに上がったはずですけれど」
「……私は蝶子といたいの」
 千代が小さな体を震わせながらそう言うので、蝶子は思わず彼女を抱きしめた。
「そうでしたか。花明さま、お話はこれで」
「はい、有難うございました」
「柏原、花明さまにまずは着替えて頂きなさいね」
「畏まりました。では花明さま、部屋へと戻りましょうか。ご案内いたします」