からっ風と、繭の郷の子守唄 第31話~35話
「12年前といえば、高校を卒業して、東京に住んでいた頃です。
歌手としてデビューするために、歌のレッスンを受けていました。
事務所の関係者に呼ばれて、斎場へ同行した覚えはあります。
格式の高い、盛大なお葬式の会場で、ただただびっくりしたことを
覚えています。
浅草あたりの飲み屋さんで、練習中の歌を披露した記憶もございます。
もしかしたらその席に、岡本さんもいらしたのでしょうか?」
「やっぱりそうか。
あのときのお下げ髪で、歌のうまかった少女は、やっぱり君か。
そうか、それで納得した。
だがそれとは別に、まったく違う場所で君を見たような気がする。
予想外の場所で出会ったような気がするが、それも、残念ながら思い出せない」
「その話は後ほど、内緒でお話いたします。
岡本さんたら、まったく酔っていませんねぇ、飲みが足りないようです。
美人のお酌で、もう一杯いかがですか?」
さらりと美和子が、話題を変える。
「そうだな。すこしばかり、余計なことに足を踏み込みすぎたようだ」
余計なことは考えず、とりあえず呑むかと岡本がグラスをもちあげる。
「ねぇ。12年前の葛飾四つ木斎場といえば、抗争事件の発端になった
場所でしょ。
たしか、2人の死亡者が出た、発砲事件の現場です。
へぇぇ・・・・
岡本ちゃんがそこに居たのはわかるけど、美和ちゃんまでそこに居たの。
奇遇というか、なにか運命的なものを感じますねぇ」
辻ママが、収まりかけた話題に乱入してきた。
「おい、ママ。その話は・・・・」制止しかけた岡本の手を、
ママがするりと抜ける。
楽しそうな話題がはじまりましたねぇと、辻ママが目を輝かせる。
「わたしねぇ、高倉健の大ファンなの。
鶴田浩二も素敵だけど、彼は歌も上手いし、芸も達者でスマートすぎる。
その点。高倉健はいつだって寡黙に、背中で無骨な男を演じてみせる。
それが、いいのよ~、私みたいな女には。
上電の西桐生駅の駅前に、東映の映画館があったの。
映画館は取り壊されて、コンビニに変わってしまったけれど、
そこが任侠映画の聖地だったのよ。あの頃は」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第31話~35話 作家名:落合順平