からっ風と、繭の郷の子守唄 第31話~35話
「アウトローにも言い分があるというわけね。
さすが岡本ちゃんだ。
それで、その致命的な欠陥というのは、いったいどういうことなの?」
「俺たちが生きているこの世の中は、お釈迦様がひろげた五本の指の上、
ということになる。
『お釈迦さまの手のひらの上で生かされている』ということだ。
孫悟空はいくら飛んでも、お釈迦様の手のひらから外へ飛び出せなかった。
手のひらの上で踊らせるとか、遊ばせるという表現がある。
最近。お釈迦様の手のひらを狭く見せる、危険な風潮が目立ってきた。
手を広げてみると、中指へ向かってまっすぐに伸びていく一本の道がある。
この一本みちのことを、正しい道と呼んでいる。
この道を外れず、まっすぐに歩いていくことが人の生きる道だと強調する。
せいぜい外れたとしても、人差し指と薬指の間までだ。
手のひらの上にある三本の指の幅が、人が許される許容範囲の
生き方だという。
じゃあ聞くが、残っちまった親指と、小指はどうしたらいいんだ。
学校が教えてくれるのは、中指へ向かってひたすら真っ直ぐに歩けと
いう教育だ。
それがすべてだと言う」
「どこまでもまっすぐ進めか。
たしかに今の教育は、そんなことばかり言ってるな。
あれも有る、これも有ると言ったら、きりがねぇ。
だいいち。いまどきの先生は教育者ではなく、ただのサラリーマンだ。
難しいことは教えずに、まっすぐ走れと教えたほうが楽だからな」
「その通りだ、トシ。世の中には、右もあれば左もある。
表もあれば裏もある。
そういう事をいちいち学校教育で教えていた日には、なにが真実なんだか、
子供たちが理解できなくなる。
それを説明するのが面倒くさいから、少々外れてもいいから三本の指の
範囲を、ひたすら歩けと教えこむ。
問題はそこからはみ出した、親指と小指の生き方だ。
お釈迦様の手のひらからはみ出したり、落っこちたりすれば、
その時点でアウトだ。
犯罪を犯せば、刑務所へ行く。
人の道を外れればとうぜん制裁を受けるし、処罰される。
だがよ。人の生き方なんてものは、それほど単純なものじゃない。
生きていく範囲は、幅があるし、奥に深いものがある。
額に汗して真面目に働いて、小金を貯めこんだ奴が成功した例が
何処に有る?。
夢のマイホームを建てるくらいが、せいぜいだ。
それ以上、成功なんかするものか。
成功するのは、悪どく儲けぬいた奴だけだ。
悪知恵を使って、法律の解釈ギリギリで、刑務所の塀の上まで
歩いた奴だけが、たんまりと金を貯め込むし、
事業で大成功する。。
つまり、悪いやつほど、たんまり肥え太ってきたんだ」
「そうだよな。貧乏人はいつまで経っても、貧乏なままだ。
貧乏なのは、人が好過ぎるからだ」
「高学歴の象徴といえば、東大や京大を出たエリートだ。
こいつらが日本のために、何かをやってのけてくれていると思うか?
政治家連中はもちろん、ほとんどの高級官僚たちだって天下りと、
利権でしこたま私腹を肥やしている。
世の中はよくできている。
右の端も左の端もあるのに、そこは危険地帯だから歩くなといわれる。
ロクな事がないと、叱責される。
ということで結局。真ん中ばかり歩く人間が、量産されることになる。
選択の範囲は、イエスとノウだ。
それ以外の選択肢はないと、教え込まれてくるんだ。
イエスとノウの間には、「どちらでもありません」がある。
白と黒の間には、「グレー」がある。
だけど今の子は、そんな事は教わってこない。
そんなことだから個性的な子供も、柔軟に物事が考えられる人間も
育ってこない。
だから、行き詰まった者は、簡単に自殺に走ることになる」
「そうだよな。俺らが育った時代は、個性豊かな先生が開いた。
生徒もまた、野生児のような奴が多かった」
「人生ってのは、常に、臨機応変の対応が問われる。
どれだけの揺れ幅で、善悪の範囲内で、どう結論を出すのかが問われる。
イエスと答えるその外側に、まだイエスと言える生き方がある。
ノウと答える外側にも、さらにノウが通じる生き方がある。
聞き分けの良い、優等生ばかりが生きているわけじゃない。
ハミ出し者や、落ちこぼれた者だって人間だ。
優等生たちと同じように、生きる権利を平等に持っている。
お釈迦様の手のひらの上、親指から小指の端まで、全て平等とされる
生き方がある。
指定暴力団の構成員(準構成員含む)は、7万8600人もいるんだぜ。
同じ右のサイドに、右翼組織と右の政治団体がある。
こいつらは日本共産党が生まれたことを契機に、誕生した。
新左翼の連中よりも、はるかに古い歴史を持っている。
『民族派団体』と名乗る右翼組織は、1980年代から毎年
20~30団体ずつ増え、いまでは840の団体に、
12万人が加盟している。
日常的に活動している行動右翼は、50団体で、2万人。
法治国家だというのに、暴力団と右翼組織が、いまだに放置をされている。
わかったかい。お釈迦様の手のひらの上には、右から左まで、
こんな現実がゴロゴロと転がっている」
「たしかに。指定暴力団や右翼団体にも、いろんな人たちがいるわ。
社会のルールに従う者、従わない者、みんなそれぞれの生き方で
成り立っている。
やくざにだって、いろいろとある。
岡本さんが、任侠の人情派だってことは、よく知っている。
でもさ。やっぱり暴力団であることに違いはないのよねぇ、残念ながら。
ねぇ、どう思う、トシさん?」
「ママ。突然、俺に質問するな。
公(おおやけ)に発言しにくい、微妙な話を。
だいいち当の岡本を前にして、そうだとも言えねぇし、違うとも言えねぇ。
こつが人情に脆いことと、熱い男であることだけは、確かだけどね」
「もういい、歯がゆくて仕方ねぇ、俺の話ならもう十分だろう。
ママ。そろそろ勘定をしてくれ。たっぷりと夜も更けた。
おじさんたちは眠たくなった。、ぼちぼちと、ここらあたりで退散だ」
精算のためにカウンターへ戻って行くママの背中を見送りながら、
岡本が小さく、ポツリとつぶやく。
「だがよ・・・・なんだかんだといったって、どんなことをしたって、
辻のママが持っている、暖かさには敵わねぇ。
人の優しさというやつがママさんには、たっぷりと有る。
ママの気風に惚れて、俺もここへ通い始めた。
それには深いわけが有るんだが、これがまた、話せば長い話になる」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第31話~35話 作家名:落合順平