人食いトロルと七色のバナナ
キーゴは慌てて、手で鼻と口を押さえた。
「うぅ…」
口を開けば胞子が入ってきそうで、しゃべることも出来ない。すでに頭がクラクラしてきた。
ジヴもキーゴの様子が気になったが、あまり気にかけている余裕はなかった。下目でチラチラとキーゴを見ては、疾走を続ける。
苔の地面はふかふかとして、確かな感触がなく、まるですでに夢の中を走っているかのようだった。ジヴの足は早く、身長もそれなりにあるので遅いということは決してないのだが、まだ平原の半分も走り切れていなかった。
キーゴよりも大変なのは全速力を出しているジヴだった。走っている分、どうしても息が切れるのだ。思わず開いた口から、胞子が忍び込んでくる。
『あかん、あかん!』
その時はキッと唇を結ぶものの、また少し疲れると思わず口が開いてしまう。
『さすがにきっついな…』
そこで、ジヴはスピードを緩め、逆に抜き足差し足で進むことにした。こうすると、胞子の舞い上がり方は多少抑えることができた。
その時ジヴは、自分の抱えているキーゴの異変に気が付いた。下を向くと、キーゴは下を向いたまま、全身が脱力していた。
「うーん…ムニャムニャ」
すっかり寝入ってしまっているキーゴを見てジヴは思った。
『やっぱり寝てしまいよってからに。ほら、起きへんと苔の毒が回って来よるで』
苔の毒自体はトロルのような体が大きいものにとっては特に大したことはなかったが、キーゴのような幼子では体にどう影響するのか、分からなかった。
『あー、もう起きろっちゅーに!』
ジヴはキーゴを向かい合うように両手で抱え上げ、ガクガクと揺さぶりながら、思わず叫んでしまった。
「起きんかい!おい!おーいっ!」
「あ、おはよう〜、おじさん」
すると、やっとキーゴは目を覚ました。
「だから、おはよう、おじさんやなくって…あ!しもた!…これは、あ、かん…」
言葉が突然途切れたかと思うと、ジヴは地面に膝をついてしまった。
「おじさん?おじさん!?」
「あ、あかん…叫んだら、思いっくそ吸い込んでしも…た」
言い終わるや否や、ジヴの頭は柔らかい苔の上に墜落した。キーゴは慌ててジヴの手から地面にジャンプした。その勢いとジヴの頭の重さも相まって、ものすごい量の胞子が放たれた。
「う…!」
キーゴは慌てて鼻を右手で塞いだ。
ジヴは横から見ると、ちょうどうつ伏せの「へ」の字型になって平原の上に倒れ込んでいた。
『おじさん…!』
これでは全く先に進めないどころか、ジヴが危険だ。
キーゴは息を止めつつ、必死でジヴを起こそうとした。髪の毛を引っ張ってみたり、瞼を無理やり開かせてみたり、助走をつけて、シヴのお尻を蹴っ飛ばしてみたりもした。それでもジヴは起きなかった。
キーゴがなんとかジヴを起こそうと飛び回るたびに胞子が舞う。起こそうと頑張るキーゴにも、限界が近づいて来た。
『ね、眠いよう…』
しかし、ここで二人とも寝てしまったら苔の苗床にされてしまう。時間は刻一刻と迫っていた。
『起きて!起きてよ、おじさん!』
キーゴはジヴの体毛を掴みながら必死で願った。と、その時、キーゴはいいことを思いついた。
『よし!』
キーゴは意気込むと、「へ」の字型になっているジヴの背中によじ登った。そうして、ジヴのリュックの中からキーゴの首の高さまである大きな水筒を取り出すと、ジヴのお腹の下まで持っていった。そうして、水筒の先端がちょうどジヴのおへその真下に来るように調節すると、キーゴはもう一度ジヴの腰の上辺りによじ登った。
『おじさん、ごめんね!』
キーゴはぎゅっと目を瞑り、最後の力を振り絞って思い切り腰の上で大きくジャンプをした。
ジヴの腰にキーゴの重みがかかると、今まで「へ」の字だったジヴの姿勢が、一気に一直線になった。
そして見事水筒の先端はジヴのおへそに見事に命中した。その途端…
「んぎゃああああーーーーーー!」
まるで恐竜が吼えたかのような悲鳴を上げて、ジヴが飛び起きた。
そして、目を見開くと一瞬で状況を把握したのか、キーゴをまるでフットボールのボールのように掴むと、先ほどとは比べものにならない速さで走り出した。
最初の時の倍以上の量の胞子が二人の周りを飛びかったが、今のジヴにはそんなことどうでもいいようだった。ただものすごい声を上げながら一心不乱に走り続ける。あんなに広かった平原なのに、あっと言う間に二人は端に着いてしまった。向こうの端に着いた途端、ジヴはキーゴを投げ落とすと、
「おまっ…ヘソは、はぁはぁ…」
息も絶え絶えに言った。
「え?なーに?」
キーゴにはジヴが何を言いたいのか分かっていたが、わざと分からないふりをして聞き返した。
「はぁ…あかん言うたやろが…はぁ、はぁ、ヘソは!痛すぎてヘソが痔になるか思ったわ!!」
その様子がおかしくてキーゴはまたふきだしてしまった。
「笑い事やない!このクソガキ、いつか、いつか絶対食ってやるからな!」
「いいじゃない。そのおかげでおじさん助かったんだよ」
キーゴは苔の毒と眠気で内心ふらふらしていたが、ジヴをからかうのが楽しくて笑いながらジヴより先に歩き出した。
「ちょ、待ち!」
ジヴも小走りでキーゴを追いかけた。こうして二人は無事平原を渡り切った。
15、キーゴの能力
その夜、空は星たちがキラキラと光り輝き、まさに満天の星空というにふさわしいものだった。
ジヴとキーゴは野宿の準備を済ませ、焚き火に当たっていた。
「おじさん、この空を見てどう思う?」
突然キーゴがジヴにたずねた。
「どうって…きれいな星空やなぁ、明日もいい天気やろな、思うけど」
「そうだよね。でもね、だいたい二週間後くらいかな?嵐が来るんだよ」
キーゴが突然空を仰ぎながら、奇妙なことを言いだした。
「は?なんでお前にそんなこと分かるん?」
「僕にもよく分からないんだ。だけど、僕はいつも天気がどうなるか分かるんだよ」
キーゴは自信満々に言った。
「はぁ、そりゃ便利やなぁ」
「お母さんは、僕を神様のご加護がある子って言うんだ。でも上のお兄ちゃんは、『悪魔の子だ』って僕をいじめるんだよ」
「ほお〜、で、それが嫌になって家飛び出してきたわけか」
「ううん。違うよ」
キーゴはきっぱりとした口調で言い切った。
「半年くらい前から、お母さんの体調が悪くなりだして、上のお兄ちゃんとお姉ちゃんがお母さんの代わりに働きだした。けど、僕はまだ小さいからって言って、家のお手伝いくらいしかさせてもらえなかった」
キーゴの目は星が輝く空のさらに遠くを見ていた。
「上のお兄ちゃんは毎日僕に言ったよ。『ただ飯食らいの役立たず』って。時々僕をぶったりした」
「そういう時は殴り返しとけばええねん」
ジヴはこともなげに言った。
「でも僕けんかは弱いから。???でもね、お母さんは僕に優しくしてくれたんだよ。僕の頭を撫でて、『キーゴは神様に守られている子だから、いつかきっと素晴らしいことをするわ』って。それを言ってもらえると、僕は嬉しかったよ。でも、おんなじくらい悲しかった。僕は何にも出来ないのかなって。お母さんのご飯運んだり、家の片付けをしたりしたけど、お母さんは良くならないし…」
作品名:人食いトロルと七色のバナナ 作家名:シーラカンス