人食いトロルと七色のバナナ
ジヴの鏡像だったものは、キーゴを抱きしめると突然真っ白な女の子に変身した。
「なぁっ!?」
あまりに一瞬の出来事に、ジヴは頭がついていかず、ただ立ち尽くすばかりだった。
30、雪の精との対決
ジヴの視界から女の子とキーゴが消えてしまった後、声だけがあたりに響いた。
「毛むくじゃらの大男さん。あなたとも少し遊んであげるわ。早く頂上にいらっしゃい」
そしてまた「ふふふ」という笑い声と共に、ジヴを取り囲んでいた壁の一部がなくなり、再び上へ上る道が現れた。
どうやらそこから上って来いという意味のようだ。
「あいつ、キーゴを誘拐しよった。取りもどさな!よし、首洗って待ってろよ。あの真っ白女!」
ジヴが道を上り始めると、そこから吹雪はますます強く、まるでジヴの進行を拒むかのようになってきた。しかし、怒りに燃えるジヴの歩みが止まることはなかった。
「あの女、突然人の連れ誘拐しよってからに!」
山の九合目に差し掛かると、もう道さえなくなり、断崖絶壁の氷の壁をそこから生えている氷の突起を頼りによじ登っていかなくてはならなくなった。
「なんやねん、こんなもん。たいしたことあらへん…!」
ジヴの手はかじかみ、そのうち感覚さえなくなってきた。命綱さえなく、振り返ればはるか下に氷の道が見える。
それでもジヴは頂上だけを目指して登り続けた。
「なんやねん、こんなもん…こなくそっ!」
ジヴが最後の力を振り絞って叫んだ時、ついにジヴの手が頂上の地面を掴んだ。
「はぁ、はぁ!はぁ、はぁ!」
ジヴは体力の限界と登りきれた緊張の緩みから、しばらくは何も言えず、荒い息だけがあたりに聞こえていた。
「おい!このふざけ真っ白女!着いたで!はよキーゴ返せや!」
少し落ち着いたジヴはあらん限りの大声で怒鳴った。するとまたしてもあの笑い声がした。
「ふふふ…」
「『ふふふ』はもうええねん!聞き飽きたわ。気色悪い!」
「やっぱり、毛むくじゃらさんは寒さに強いのかしら?それとも大男だから寒さに鈍いだけかしら?」
やっぱり声だけで、姿は見えない。
「んなことええから、早く姿見せ!」
ジヴが怒鳴ると、どこからともなく、オーロラのような緑色の光が、ジヴの前に風のように現れた。そしてそれが渦を巻いたかと思うと、中から一人の女性が姿を現した。
真っ白いワンピース、腰まである長い髪も、肌も真っ白で、ただ瞳だけは、先ほど見たオーロラのように妖しく緑色に光っていた。
気のせいか、キーゴを連れ去った時は少女の姿だったのに、今回は大人びた女性の姿をしている。姿形を自由に変えられる相手のようだった。
「お・待・た・せ」
女性は妖艶な笑みを浮かべている。しかしそこにキーゴの姿はなかった。
「おい!キーゴがおらんやんか!どこや!?」
「あら、あの子キーゴちゃんっていうの?可愛い名前」
「おい!」
ジヴは雪の精に掴みかかろうとした。
「はいはい、いるわよ。せっかちさん」
雪の精が人差し指を一振りすると、空中に緑色の光の渦が出来、その中から目を閉じてうずくまっている状態のキーゴが現れた。「キーゴ!」
ジヴはキーゴを抱きとめようとした。しかし、
「ダメよ」
そう言うと、雪の精はまたしても人差し指を一振りし、キーゴを自分の左腕の中にすっぽりと収めてしまった。
「なっ…」
「ここまでこられたのは上等。だけど少し時間がかかりすぎちゃったみたいね。この子はもう少しで私の『お人形』になる」
その時、雪の精の腕の中にいたキーゴの唇がかすかに動いた。
「ジ…ヴ…」
「キーゴ!」
「あら、まだこの子しゃべれたのね」
「ジ…ブ。さ…むい…よ」
キーゴの言葉にジヴは怒りが再燃した。
「おい、お前!人の連れいきなりさらっといて『お人形にする』とかわけの分からんこと言いよってからに!」
「そう。私、お人形遊びが好きなの。でもこの山に来るのはみんなむさいおじさんばっかり。凍らせてお人形にするのも飽きちゃって。でもこんな可愛い男の子は初めてだから、私のコレクションに加えてあげるの」
「ふざけたこと抜かせ!キーゴは俺と七色のバナナを取りに行くねん!こんなとこで氷漬けになっとる場合ちゃう!」
ジヴは何度も雪の精に掴みかかるが、そのたびにうまくかわされてしまった。
「ふうん。バナナを取りにねぇ」
雪の精はしばらくジヴをじろじろと眺めた後、こう言った。
「不思議ねぇ。見たところあなた人食いトロルのようだけど。なんで人間と旅なんか」
「なんでもええやろ。お前に教える義理ないわ」
「…そんな態度とって。今すぐこの子を殺しちゃってもいいのよ」
雪の精は吹雪の中ふわりと空中に浮き、右手をキーゴの喉元にかざした。キーゴは雪の精の腕の中でぐったりとしている。
「何する気やねん!やめろ!」
「じゃあ、なんでこの子と旅をしているの?教えて?」
「ジヴは…人が食べれない、から、それを、バナナで治しに行くんだよ」
ジヴの代わりに息も絶え絶えになったキーゴが意識を取り戻して答えた。しかし、顔色は徐々に悪くなっていくようだった。
「人が食べれない人食いトロル!?」
雪の精はびっくりして、その後けたたまましい笑い声を上げた。
「ふ、ふふふふふ!面白いわ!珍しい!そんなのって!」
雪の精はさもおかしそうにひとしきり笑った後、思いついたようにこう言った。
「…いいわ。いいこと思いついた。人が食べれない人食いトロルさん。あなたが私のお人形になってくれたら、あなたの可愛いキーゴちゃんは諦めてあげる。どう?」
「なっ…!?」
ジヴは一瞬戸惑いの表情を見せた。しかしすぐ何か思いついたような顔をすると、リュックの肩ベルトをぎゅっと握り締め、そして短くポツリと言い放った。
「ええで。それしか選択肢ないようやしな」
「ふん。割といさぎいいのね」
「ジ…ヴ」
「その代わり、先にキーゴをこっちに返してもらうで」
「ええ、いいわよ」
そう言うと、雪の精はジヴの前にふわりと降り立ち、キーゴを目の前に差し出した。
「さぁ、どうぞ」
「案外あっさりやな」
「私、約束は守るの」
雪の精はジヴに微笑みかけた。
「そうか…」
「それじゃあ、さあ、行きましょう?」
雪の精が手をジヴに手を差し出した。しかし、
「ちょっと待って欲しいねん」
「なによ?今さら命乞い?」
雪の精が少しイラッとしたように眉をひそめた。
「ちゃうねん。キーゴを解放したら、このリュック持たせて欲しいねん。この中には旅を続けるのに必要なものとかいろいろ入っとるから」
「ジヴ…だめ…」
キーゴは最後の力を振り絞って呟いた。唇は完全に青くなり、声が震えている。
「ふん。まあ、いいでしょう。じゃあ、早くそれをこちらによこして。契約成立よ」
これを聞いた時の、ジヴの一瞬のしてやったり顔を雪の精は見逃した。ジヴはリュックをおろすと、こっそりとリュックの留め金を外した。
「そうやな。契約成立や。人食いトロルもな、みんな約束は必ず守んねん…ま、俺はそうでもないけどな!」
そう言ったジヴはすばやくリュックの中に手を突っ込み薬壷のふたを外すと、中に入っていた星の砂を、雪の精の目を目掛けて思い切りぶちまけた。
「きゃっ…!」
作品名:人食いトロルと七色のバナナ 作家名:シーラカンス