からっ風と、繭の郷の子守唄 第26話~30話
「夜中にバンビちゃんが現れるの!。
うふふ。それって逆に、可愛い遭遇になると思いますけど」
「あのなあ・・・・アニメに出てくるバンビの話じゃないんだ。
野生の大型動物だぜ。
オスのシカは巨大な角を持っている。体長も、170cmを超える。
大きなものになると、100kgを超える大物もいる。
臆病な性格の持ち主だから、常に人を警戒している。
しかし真夜中の出会い頭では、何が起こるか予測がつかない」
「知っています、それくらい。
18歳までは、ここの山里で育った田舎娘です。
赤城の大沼や小沼の周辺や、裏赤城の根利の林道などで
目撃されているけれど、
とうとう尾根を越えて、こちらの南面まで出没するようになったのね。
ホント、物騒ですね」
「それほどまで、シカの個体数が増えてしまったということだ。
シカは秋に交尾期を迎えて、初夏に出産する。
交尾期にはいったメスシカは、24時間だけ発情して交尾を受け入れる。
ちなみに発情期のメスは、複数のオスと交尾するそうだ。
この時受胎できなかったメスは、20日後にまた再度発情する。
その後も、受胎するまで発情を繰り返すそうだ。
このような発情期と受胎の繰り返しは、動物界では珍しいと言われている。
発情期の確率と受胎率の高さが、シカの大繁殖を生む。
妊娠率も、1歳で90%、2歳以上になるとほぼ100%の高確率になる。
シカは一夫多妻の動物だ。
だからオスの個体数が減少しても、繁殖力は一向に衰えない。
年間、16~20%の勢いで増加し続け、4年から5年でシカの個体数は倍になる」
「すごい繁殖力ですこと・・・・
ひとりも産んでいない私からみれば羨ましいというか、
耳が痛くなるような話です」
カクンという軽い衝撃のあと、電車がゆっくりと北原駅の
ホームを離れていく。
電車に揺られた美和子が、思わず康平へ身体を預ける形になる。
康平の胸に、思わず両手を添えてしまう。
「あら・・・・降りるはずの駅から、電車が発車してしまいました。
2の足を踏んでいた私のこころを、電車に見透かされてしまったかしら・・・・
うふ。どうしましょう。困りましたねぇ」
「ホっとしているような顔に見えるぜ。君。
もしかしたら夜道以外に、実家には帰りたくない事情でもあるのかな」
「先日兄が、ようやくお嫁さんをもらいました。
おかげでもうあたしは、いつのまにか嫌われ役の、小姑(こじゅうとめ)です」
「へぇぇ、なるほど。
お嫁さんから見れば鬼千匹に匹敵するという、小姑に昇進したわけか。
なるほどね。夜道で出会うシカも怖いが、邪魔者になっている実家へ、
真夜中に帰るのは、いかにも不具合がある。
いまの時間。実家へ帰れないというのは困ったねぇ。・・・・」
「大丈夫。
このまま終点まで乗って、桐生へ着けば、行きつけのお店があります。
漫画喫茶かネットカフェで、夜明かしをしても平気です。
気にしないで、次のあなたの駅で降りて下さいな。
あたしのことなら大丈夫、ひとりでなんでもできるもの。
あなたに迷惑を、かけたくないもの」
「大丈夫に見えないから、気になるんだ。
なんなら付き合おうか。一晩くらいならどうってこともない。
家で待っているお袋も、それほど気にしないだろう」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第26話~30話 作家名:落合順平