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セツエン

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 鍋が出来ると皆がむしゃぶりついた。米や餅を持っては行くものの、山の中では精をつけるため肉を主に食べる。男達の顔が脂でてかてかと光る。セツエンもたくさん肉を食った。体が温まっている内に干し草の布団にくるまり、一同は何も語らず眠りについた。
 他の男達と同じように青年の両目も塞がれている。人に溶け込んだ彼は赤と白の夢を見なくなったのだろうか。安らかに寝ているのだろうか。セツエンは目を見開いた。囲炉裏の火はかき消え、辺りは暗闇に包まれている。それでも、憎しみがこもる瞳は熱された鉄のように鈍く光る。炎のような想いは彼の胸を焦がし痛みつける。それは、かすかな音だった。けれど狼の遠吠えは確かに彼の耳まで届いていた。
 布団をのけて、静かに立ち上がり、背に毛皮をかけ、頭に笠をかぶり、槍を手に取る。眠りについた四人へ見向きもせず、ただ一人暗い森へと進み出た。
 濃紺の空に青白い星がいくつも沈み、雪の積もった大地は淡い光を発していた。小さな雪片が舞い落ちる中、冷たい空気をゆっくりと吸い込む。右手で槍を杖代わりに用い、左手で松明を掲げた。
 狼、狩人の古老であるモンの父から奴らの暮らしを聞いた。獣の肉を食らう四つ足の畜生で、この山には決まって秋の終わりから冬の間だけ数年おきに姿を現す。村の子馬が襲われたこともあった。十数の群れで狸や狐などを囲んでなぶり殺す野蛮な獣である。凶暴な群れに囲まれてカンムは命を奪われた。恐ろしくて、悔しかっただろう。鋭い牙と爪にカンムが襲われるその時を思い浮かべ、セツエンは己を苦しめる。雪を踏みしめる音を聞くたび心も潰されるような気がした。
 腰に下げられた二つの巾着の片方を手に取り、短刀の切っ先を当てた。小さな穴からぽつぽつと赤い雫がたれ落ちる。昼に狩った兎の血をためていたのだ。血の跡と臭いを残しながら彼は独り山奥へ進む。
 雪の中から骨が飛び出ているのを見つけた。頭蓋についた角の形から鹿のものらしい。死ねば肉は腐り、残った骨もいつしか消えて無くなる。カンムの亡骸も今や土に帰ったのだろうか。山では産まれて死んでが繰り返され、死は珍しいものではない。青年はそう知っている。
 それでも皆、死を恐れる。カンムと共にいた頃、山の麓で子連れの狸と遭遇した。親の獣はすさまじい執念で抗った。その力強さへ恐れは感じず、青年はただ心を打たれた。大切なものがある輩は死ねない。残されるものを想って死を恐れる。セツエンはそう感じた。
 去年の秋頃、己を取り戻した青年がすべき事と定めたのは、復讐だった。彼女を殺して尚、のうのうと生きる物の血で雪を溶かす。そう決めた。足も遅く、爪も牙もない。己の非力さを知る彼は人としての武器を身に付けようとした。昔の仕打ちを忘れたふりをして己を偽り、村人たちと接した。そうして鋭い刃を手に入れ、獣の習性を知り、奴らの殺し方を学び得た。
 村の子供たちはこの風変わりな青年へと懐いていった。幾つかの家族と接するうちに、青年が小さい頃から持ち続けた一つの恐れ、村という大きな敵への恐れは薄れてゆく。大切なものを守るために生きるのは人も獣も変わらない。共に暮らす者たちは互いを想い合うからこそ守りあう。だが、その信頼を裏切る者には相応の罰が与えられる。彼はこう考えた。
 セツエンは己に問う。カンムを守るため力を尽くしたのか。彼女を小屋へ置いていくと決めた時、残される者の気持ちなど考えず、彼女に守られる立場から守る立場となって浮かれていたのではないか。彼女を殺したのは狼であり、己であろう。ならば罰せられるのは野蛮な獣だけではない。青年はそう答えを出す。
 木々の奥、カンムがこちらを向いて尾を振りながら自分を待っている。舌を出してのんきに笑っているようだ。愚かな幻だと彼は知っている。それは雪が積もった小山だ。彼女はもういない。胸の痛みが彼女の存在の大きさを青年に思い知らせる。
 カンムを裏切ったまま彼は生きていけなかった。彼女を殺めたものに罰を与える。獣と己の死であがなうのだ。カンムを失った今、死は恐れるべきものではない。全てを済ました後、あの世のカンムの隣で眠ることが唯一残された幸せだとセツエンは信じていた。
 雪の層が薄く、開けている場所に着くと、セツエンは血の入った袋に切目を入れて上へと投げた。空中で広がる赤い花、舞う雪を染めてゆく。白い雪面に幾つもの鮮やかな染みができる。赤が広がることを願い、彼は来訪者を待った。

作品名:セツエン 作家名:周防 夕