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セツエン

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十一



「なあ、兄ちゃん。どうすれば良い?」
「この前さ、ねずみを狙ったんだけど、ぜんぜん、届かんの」
「矢が地面にぽとっと落ちたんだ」
 村はずれの空き地で三人の少年たちが青年を囲っている。子供たちの手には狩りを練習するための小ぶりな弓矢が握られていた。青年はそれを受け取り、表情を変えずに調べる。
「弦がゆるいから張り替えろ。矢の扱いは気をつけろよ。手が滑るとお前らが死ぬぞ。親に見てもらえ」
 死ぬという恐ろしい言葉に顔を青くしながらも、少年たちは彼から離れない。道具を子供に返して青年は白をかぶった山を見つめる。
「なら、兄ちゃんが手伝ってよ。親父より弓がうまいでしょ」
「うちのおっとうも言ってた。セツエンの弓の腕前は村一番だって」
 青年、セツエンは淡く微笑み、少年の頭をなでた。なでられた少年は心から嬉しそうにえくぼを作る。あの冬の別れから二年が経とうとしていた。一昨年の青年はここに居ない。彼は今、共同で狩りを行い、米や布を物々交換して暮らしている。彼の周りに人は居ても、彼の隣にあの雌犬は居ない。
「あっ、おっとう!」
 こちらを見ている初老の男に気づいて一人の少年が駆け寄った。男は狩頭のオヤユであり、少年は彼の息子だった。経た年の割にオヤユは随分と老け込んでいた。髪はさらに薄くなり、白髪の方が多くなった。用があると告げて、彼は少年たちからセツエンを連れ出した。
「明日からの狩りの支度は出来たか」
「ああ。後はまとめるだけだ」
 互いの家に向かって二人は並んで歩く。オヤユの体は変わらず大きかったが、その姿が何故かセツエンにはとても小さく見えた。
「槍と短刀を研いでもらったらしいな。切れ味はどうだ?」
「問題ない。……用は狩りについてか?」
 立ち止まり、辺りに人が居ないのを確かめてからオヤユは小声で尋ねる。
「お前、本当に大丈夫なんか」
 セツエンはじっとオヤユを見つめる。その問いをどう感じたのか顔には出ない。青年から目をそらし、老いた男は俯いた。
「……すまん」
「オヤユ、何を謝ることがある」
 青年の問いを受け、男はうめくように語る。
「お前のことを親父に頼まれていたのに、助けてやれんかった。犬と暮らすのが楽しそうで、それで良いと思った。……いいや、違う。わしの家までのけ者にされるのを恐れたのだ」
 村人として暮らす内にセツエンはあることを知った。自分が疎まれたのは駆け落ちした母の為だけでは無かった。父の病は山の祟りとされ、セツエンの家が呪われていると噂になっていたのだ。母が逃げ出した一因もそこにあったと彼は察していた。
「仕方がない。過ぎたことだろう」
「お前があの犬と村で暮らしていける気がした。あんな事になるとは思わなかった」
 一瞬、青年の顔がゆがむ。目を伏せ、小さく息を吐いた。
「親父が死んでから一、二年、食べても食べても味噌も米も減らなかった。あれは、あんたが気づかれないよう足してくれたんだろう? あんたは助けてくれたさ」
 当時は何の疑問も持たずにいた。一人と一匹でだけ生きていたように思えて、その実は人々に助けられてきた。今のセツエンはそう認められる。
「あんたの娘も良くしてくれた。これを見ろよ。あいつが作ってくれたお守りだ」
 青年は懐からどんぐりほどの大きさの毛玉をとりだしてオヤユに見せた。狐の尾のような形のそれは家に残されたカンムの毛を集めて作られたものだ。昨年の梅雨の間、セツエンはずっと寝たきりの生活をしてきた。その頃のことは彼自身よく覚えていない。ただ、オヤユの娘が親身になって飯を用意してくれていたのだけは朧気に思い出せた。
「あんたは家が守りたかった。娘も坊主も良い奴らだ。恥じることは何もない」
 己が流ちょうに言葉を並べているのが滑稽に思えた。偽りはない。オヤユは過ぎた行いを悔やみ、罪を許されることを求めている。その心をどうして責められるだろうか。自分の心の内は外に出さぬまま、セツエンはオヤユの背をなでた。彼と別れて独り家につく。
 家の中には毛や落ち葉などなく片づいていた。オヤユの娘が掃除してから、その状態を保つように過ごしてきた。獣と暮らした面影は床や柱についた爪痕くらいだろう。
 去年は崩れた心をかき集めようと奇行を繰り返した。そんな時も、彼女は青年との会話を試み続けた。ずっとうわごとばかり呟いていた彼が、彼女の問いに、一言、二言、言葉を返すようになる。その年の夏には人並みに頭が回るようになっていた。人との繋がりが青年を人に戻した。秋になれば今までの己の立場を省みる余裕さえあった。そうして、ある決意が生まれた。
 セツエンは人として生きることを決めた。肉と米を交換し、しっかり飯を食らい体力をつけた。狩人の古老たちに畜生どもの暮らしを、殺める術を学んだ。その為の武器も得た。
 全ては、ある目的のために。彼の決意は胸に秘められ、他の誰にも知らされることは無かった。

 日暮れ前、青年の家にモンが訪れた。しかめっ面をして不機嫌そうな面持ちだ。いつも喧嘩腰で接してくるので、セツエンは彼の相手をするのが億劫だった。
「何か用か?」
「ふん、お前にこいつをやる」
 土のついたままの大根をモンは乱雑に床へと下ろした。特に貰う理由もなかったのでセツエンは戸惑う。
「急に何だ」
「倅が世話になったみてえだから、その礼だ。受け取れ」
「別に俺はあいつに何もしてねえ」
「うるせえ! やるつってんだから黙って貰え」
「分かった。じゃあ置いて帰ってくれ」
「ああ、帰ってやらあ! 狩りの支度で忙しいからなあ」
 言葉と裏腹にモンは玄関に立ったままだ。セツエンの顔をにらみつけて大声を出す。
「うちの大根はうめえんだ。犬が好物になるぐらいな。お前が食わねえんだったら、あいつに供えてやれ。お前なんかより、よっぽど舌が肥えてたみてえだしな!」
 そう告げてモンは踵を返した。しばらく呆然としていたセツエンだったが、己のすべきことを思い出して腰を上げる。山で採ってあった草と根を器に入れて黙々と棒ですり潰す。目当ての物が出来上がると皮の巾着に入れた。それは、彼が山に持って行く道具の中で最も重要な物であった。

 朝早くに川の冷水を浴びてから、セツエンは四人の男達と山へ向かった。簡素な山小屋へ着くと、オヤユが神棚に秘伝の巻物を供えて狩りの成功を祈った。セツエンも餅を神へ捧げる。米などを置いてから、装いを整えて狩りに出た。
 秋から冬にかけて数多くの鳥や兎、ムササビなどをセツエンは狩ってきた。変わった男と思われながらも、獣を見つける早さと弓の腕に長けていることは狩人たちから認められていた。獲物を快く分けてきたので村人たちも自然と彼を受け入れるようになっていた。この日もセツエンは兎を二羽狩って皆に感心されていた。
 初日は山奥まで狩りに行かず小屋へ戻った。晩飯は山菜とモンの持参した大根を入れた兎の味噌鍋だ。鍋を煮ている間、セツエンは研いだばかりの小刀を炎に照らしていた。頬は橙に染められ、瞳には刃を反射した赤く鋭い光りが映り込む。その様をオヤユは静かに眺める。
作品名:セツエン 作家名:周防 夕