純愛
ネットを観ていると並洋子の詩を発見した。昇は大塚弘子のペンネームであることを知っていた。
ふたたび
流れ流れる小さな川の水
岩や土の間から沁み出た時は
処女の乙女のように清らかであったろうに
既にここを流れる水は
透き通ってはいるけれども
汚れてしまっているようだ
小さな川から
大きな川になり
大きな責任を背負い
汚れて行くのだろうから
そして
雨になり浄化されて戻ってくるがいい
わたしの
わたしたちのもとに
昇はコメントを書いた。今まで何度も弘子に手紙が書きたかった。淋しさを紛らしてくれるかもしれないと思っていた。しかし、弘子の家庭の事を考えるとその勇気もなかった。すでに67歳になっているのに、弘子に手紙を書くことはまだ大学時代の気持ちの様に考えてしまうのだ。
弘子から長いメッセージが届いた。その末尾に逢いたいと記されていた。
あなたのくち紅の色
紅少女の赤い葉に
春の冷たい雨がその赤さを出すように
埃を洗い流すかのように
忘れ去った過去を
探し出す様になのかもしれません
あなたの家の庭に
紅少女がありました
いまぼくの庭に有ります
あなたがいるように思えるのです
初恋なのですから
忘れる事は出来ませんでした
思い出します
あなたのくち紅の色を
お日様にあたった紅少女の
透きとおった赤い色を