からっ風と、繭の郷の子守唄 第16話~20話
「明治に入ると、男たちが髷を落とす断髪が強制的に行われた。
急速に西洋化が進んでいくわけだが、女性のあいだでは、
日本髪が主流だった。
働く女性の髪型として、銀杏返しなどを結う人が多かったと記録に
残っている。
ダンスとドレス姿が脚光を浴びるようになると、洋装に合う髪型が
考えられるようになったようだが、いずれもそれまでの日本髪を、
洋風にアレンジしたのに過ぎなかった」
「明治時代はまだ、女性の髪は長いままだったわけですか。
道理で日本の男児が女性の長い髪に、ことさら執着するわけだ。
でも最近は、短い髪の女性もたくさんいます。
長い髪にも当然、歴史の転換点がどこかでやってくるわけかしら」
「女性の髪の歴史が、急激な変化を見せるのは大正時代だ。
日本女性の定番だった長いストレートの髪と、それを結い上げる
日本髪の歴史が一度、終止符をうつことになる。
断髪してショートボブを取り入れたモダンガールの登場が、それにあたる。
この頃になると、日本にもパーマネントの技術などが入ってきた。
髪を切り、パーマをかけるという女性が急増する。
『アメリカ人の真似をしている』と非難されたようだが、実はこのころから
日本髪から開放された女性たちによって、社会的地位を向上させていく
動きや、運動がたかまってくる」
「日本髪は、見るからに優雅です。
でも日常生活的においては、すこぶる不便だと思う。
箱枕というのかしら、変な形をした枕で髪を守って寝るなんて、
私には考えられません。
あんな不便なもので夜の夫婦生活が営なめるなんて、日本女性は
我慢強いですねぇ。
おしとやかというか、辛抱が良いのねぇ、ホントウに・・・・
あら、ごめんなさい。ついつい、はしたない妄想などを挟んでしまいました。
で、いつ頃からなの、ほんとうの意味で日本女性が
長い髪から開放されたのは」
「ヘアスタイルが多様化するのは、終戦後のことだ。
アメリカ文化に近づこうとして茶髪にしたり、パーマ・ヘアーにする
女性が増えた。
1960年代に登場したヴィダルサスーンが、ハサミで髪をカットするという、
新しい技術を実現した。
「ヴィダルサスーンカット」と呼ばれるボブスタイルが、
全世界的に流行した。
髪の毛を人差し指と中指の間に、1cm程の厚みで引き出しながら切る
『サスーンカット』は、現代の理容師や美容師たちの基本技術になっている。
サスーンの技術は日本にも入ってきて、髪をカットする道具が、
カミソリからハサミへ移行はじめた」
「あらまぁ、たった半世紀前のことかですか・・・・
長髪だった女性の髪が、いまのように変わり始めたのは」
「最終的な変化を遂げたのは、つい最近のことだ。
1990年代へ入ると、日本にバブル経済がやってきた。
ダンスブームが、日本中を席捲した。
クラブやディスコが林立して、華やかに踊る女性たちがマスコミに
取り上げられた。
ソバージュや、ワンレングスの女性があふれはじめた。
(※ワンレングスはヘアスタイルのひとつで、正式には
ワンレングス・ボブと呼ぶ。
ストレートの髪でフロントから後ろまで、同じ長さに真直ぐに
切り揃えたもの)
1993年ごろになると、茶髪ブームがはじまる。
1996年に、安室奈美恵のファッションを真似た「アムラー」が増殖する。
こうして日本に、茶髪の一般化がはじまる。
「茶髪なんて……」と、当時はまゆをひそめられたものだ。
だがじょじょに、女性のファッションのひとつとして一般女性に
浸透していった。
あれから20年。
茶髪は今や、日本女性の定番として定着している。
この国では生まれついての黒髪が、異性に目覚めはじめるとそれと同時に、
茶髪や金髪に生まれ変わっていく・・・・
カラーリングは、女性が子供から大人へ脱皮していく儀式のように見える。
嘆かわしい現実だと思っているけどね、もう、停めることは
できないようだ」
(だから康平はいまだに長いストレートの黒髪に、こだっているんだ・・・
日本の男って本当は単純にただ、黒くて長い髪が好きっていう
ことなのかしら?)
ふう~ん・・・・そんなものかしらねぇ、と貞園が、
カウンター越しに熱弁中の康平を見上げながら、ふんと小鼻を鳴らす。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第16話~20話 作家名:落合順平