からっ風と、繭の郷の子守唄 第16話~20話
「髪の話題で、なにかと盛り上がる一日だ。
自慢の黒髪を染めるようになったのは、日本社会の急激な経済発展と、
実は、密接な関係があるようだ。
島崎藤村の、まだ上げ初めし前髪のという『初恋」』という詩に関心を持って、
日本女性の黒髪について、少し調べたみたことがある。
興味深い雑学を発見をした。
長い話になるが、少しそいつに付き合うかい?」
「付き合います、喜んで。
どうせ今夜は独りだし、暇なら十分に持て余しています」
「いつの時代においても、女性の髪は女性の命だった。
女性のヘアスタイルは、常にその時代を象徴するものだった。
髪型の変遷に、長い歴史が秘められている。
『髪を結う」のが一般的になってきたのは、江戸時代になってからだ。
それまでは大垂髪(おおすべらかし)と呼んで、髪を長くたらした形が
主流だった。
百人一首に描かれている女性たちのように、髪の長い女性が
「美人」とされた。
長髪が、長いあいだ維持されてきた。
おしゃれといってもせいぜい、びんの前方を切りそろえたり、
ひとつに束ねたり、というくらいだった。
長い髪をそのまま垂らすというスタイルが、定番だったようだ」
「長い髪が美人の象徴だなんて、きわめて日本的です。
中国でも、多くの女性たちが髪を長く伸ばしているけど、大抵は
シニヨン(元はフランス語: シニョンとも言う)と呼ばれる形に
束ねているわ。
サイドや後頭部で髪をまとめるの。
今でいうポニーテールのことです。編んだ髪をお饅頭のようにして、
ひとつにまとめるの」
「女性の髪型を変えるきっかけを作ったのは、江戸時代初期に活躍した、
出雲の阿国(いずものおくに)といわれている。
歌舞伎の前身と言われる「お国歌舞伎」を舞ったのが出雲の阿国だ。
役づくりをするため、髷(まげ)を結った。
阿国が結った若衆髷(わかしゅまげ)が「かっこいい」
と江戸で評判になった。
遊女たちの間で、この髪型を結うのが流行りはじめた。
若衆髷を起点となり、後に日本髪を代表する島田髷(しまだまげ)
が生まれた。
日本髪の結い方は、全部で100以上あるといわれている。
江戸中期からは、時々の世相を反映する結い方が流行るようになる。
そうした流行は、常に遊女からはじまった。
それがやがて、市井の一般の女性たちの間に広まっていった」
「ふぅ~ん、遊女たちが日本髪の先駆者なのか。
なるほどねぇ・・・・遊女と言えば、殿方の目を引くのが職業です。
当然すぎる話だわ。派手で目立たなければお仕事にならないもの・・・・
へぇぇ、日本髪の原点には、『女を演出する』プロの遊女が居たのか。
道理で日本髪が女の私の目から見ても、艶っぽく見えるはずです」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第16話~20話 作家名:落合順平