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からっ風と、繭の郷の子守唄 第16話~20話

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 いじめ煮は、鍋を沸騰させない。
透き通っただし汁を保つために、強火を極力避ける。
米粒ほどの弱火で、最小限の熱だけを加え続ける。
おでんを仕込む時に、よく使われている技法だ。
沸騰させることなく、80℃前後を維持することで、具の持ち味と
ツユの旨みが保存されていく。
「弱火」と「とろ火」は、煮物を美味しく完成させるの隠し技のひとつだ。
挑むような貞園の目線に、ようやく康平が気がつく。


 (おっ。本気で怒った目をしているな、貞園のやつ。
 迂闊なことを言うと後で油断した時、いきなり寝首をかかれてしまいそうだ。
 こいつ。今の愛人暮らしに引け目を感じているからなぁ。
 その話題に触れるのは、タブーだからな。変なことを言うと、
 ヤブヘビになる。
 うっかりと余計な事を言わないよう、要注意だぞ)


 適当にごまかそうと考えている康平を、貞園が横目で見透かす。
鋭い爪を胸の底に忍ばせたまま、鼻にかかった声で、静かに襲いかかる


 「ほら。ホントの事を言ってご覧よ、康平くん。
 いまさら何を言われても、もう、びっくりしないもの。
 何度も言うけど、私たちはあの時、ヤドリギの下で遠慮しないで
 キスをしておけば良かったのよ。
 覚満淵で見たあのヤドリギが、わたしたちの、最初で最後の
 チャンスだったのよ。
 あなたが躊躇をするものだから、大きなチャンスを逃してしまったのよ。
 だからいまだに、こうして、すれ違ってばかりいるんだわ。私たち」


 「あん時の君は、すっかりその気でいたのか?
 おかしいなぁ、初耳だ。
 そんなことにはまったく気ずかずにいたぜ、あん時の俺たちは」


 「あれから1ヶ月後、あたしは前橋へ引越してきたでしょう。
 それがなによりの証拠じゃないの。
 あなたにいつも会いたいために、不便きわまりない北関東の田舎町へ
 英断の思いで引っ越してきたのよ。
 それもまた、2度目のチャンスだったのよ。
 あなたは2度目も、また平然として見送ってしまうんだもの。
 あたしはそれ以上、どうしたらいいのかわからないわ・・・・
 あなたは絶好球を、2度も見送ったのよ。
 で、さぁ、一体なんなのよ。
 私が変わってしまったというのは、どういう事なの・・・・
 やっぱり気になるわ。
 ちゃんと聞かせてください!
 言いなさい、男らしく、きっぱりと。
 いったい私の何が、どんな風にかわってしまったと言うの」


 虫の居所の悪い貞園は、ちっとやそっとで収まりそうにない。
どうしたもんかなぁ・・・と、康平も煮詰まっていく。
ふたりが出会って早10年。
10年が経っても恋仲に収まらなかった2人が、初夏が近づいてきた
呑竜マーケットの康平の店で、お互いに次の一手を考えている。