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からっ風と、繭の郷の子守唄 第16話~20話

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 「それはいいのよ、企業の戦略だから。
 そうやって仕事を取ろうという作戦だから、私は何も言いません。
 問題は社長の行動なの。
 みんなの接待のついでに、社長まで温泉コンパニオンと遊んでくるの。
 流石に私自身も頭にくるわ。
 愛人とは言え、私にだって、女としてのプライドがあるのよ。
 康平。頭へきたからあたしと火遊びしょうよ。この際だから」


 「勘弁しろ、穏やかじゃないなぁ。
 そんな不謹慎な言葉を、女の方から簡単に口にするな。
 なりゆきとはいえ、社長だって取引を成功させるためには一枚噛む
 必要がある。
 英雄、色を好むという格言は、昔からよく使われてきた。
 女遊びというものは、仕事ができる男の勲章だ。
 あまりカッカするな。
 この呑竜マーケットは、第二次大戦の前橋空襲と昭和57年の大火で
 二度もひどい目にあっているところだ。
 火遊びなんて言葉は、禁句だ、貞園。あっはっは」


 第二次世界大戦の大空襲というと、東京大空襲をはじめ太平洋側の
大都市に集中していたと思われがちだ。
しかし、終戦を目前にした昭和20年8月5日。
関東地方の最北部の前橋市へ90機あまりのB29が現れ、無差別爆撃が
行われた記録が残っている。
奥地にある地方都市を狙うのであれば、陸軍師団が置かれていた高崎市が
目標になってもいいはずだが、こちらに空襲の記録は一切ない。
爆弾は、ひとつも落とされていない。


 大量に落とされた焼夷弾により、亡くなった人が535人。
負傷者は600人におよんでいる。
3日3晩、燃え続けた前橋の市街地は、8割が焼け落ちたと言われている。
灰は30センチあまりも、焼土の上に降り積もったと記録に残っている。

 しかし。後になってから米軍が、衝撃的な事実を公開する。
無差別と思われていた焼夷弾の投下も、実は正確な爆撃だったことが
明らかになった。
カトリック教会や学校、病院には、爆弾と焼夷弾は落とされていない。
お寺や神社の建物なども避けている。

 空襲直後の写真展が、毎年のように公開されている。
焼け落ちた瓦礫の中で、無傷のままの教会の礼拝堂の姿が写っている。
礼拝堂はその後、平成3年のNHK「ゆく年くる年」で、歴史の証言者として
テレビで放映されている。
教会の尖塔の俯角によって爆撃を逃れた直下の、白い土蔵と家屋には、
当時の火災の凄まじさを伝える傷跡が、刻まれている。
言語を超える痛ましい光景として今も、毎年、市民に紹介されている。

 「呑竜マーケット」と呼ばれている「呑竜仲町商店街」は、
1947年(昭和22)に、その歴史がはじまった。
大蓮寺の土地に復員者たちが生計を立てるに、闇市をたてはじめた。
飲食店をはじめ、雑貨や総菜、青果などの売るトタン張りの店舗が作られた。
こうして誕生した闇市は、「呑龍マーケット」の愛称で呼ばれるようになった。
焼け野原が一面に広がっていた前橋市の、復興のシンボルとして、
市民たちに親しまれてきた。

 戦後の復興が急速に進む中、市民の胃袋を支える役目を果たし終えた
「呑竜マーケット」は、時代の変遷と共に姿を変える。
飲んべェ達が気軽に詰まる、下町の飲み屋街に変身していく。
終戦直後に突然現れたこの粗末な闇市は、うなぎの寝床のような形をしている。
古い建物たちをそのまま残し、さらにトタン構造の増築を繰り返していく。
10数年後。もっとも「燃えやすい町並みの」として、指摘を受ける。
だが「呑竜マーケット』は近代化が進んでいく前橋市の中心部で、その存在を
かろうじて守り続けていく。