毒の華
俺はバイト先に着き、更衣室で身支度を整えた。誰もいない更衣室で小さなため息が漏れる。愛翔の言葉が頭に響く。何度も何度もあの言葉が繰り返される。
「柚月君、お久しぶり〜 」
「 ……金谷先輩お久しぶりです」
俺はこのコンビニで働いている。そこでの俺にとって先輩の金谷 美由紀(かなや みゆき)が声をかけた。真っ黒のショートヘアに赤いメガネ。真面目な優等生って感じの金谷先輩。
仕事は仕事だ。プライベートを持ち込んではいけないだろう。俺は出来るだけ平然を装った。
「あれ、なんか元気ないね。何かあった? 」
「何もないっすよ」
この人はやけに勘が鋭い。どんなに平然を装ってもバレてしまう。
「それは嘘。そうだ! 私ね柚月君にやってみたかったことあるんだ」
すると金谷先輩は白い紙袋から俺の髪色と良く似たウイッグと赤いポーチを取り出した。
「柚月君さ結構女顔じゃない? 前から女装させてみたかったのよね」
「嫌ですよ!なに考えてるんですか」
「大丈夫。絶対似合うから! もしやってくれたら、ご飯奢るからお願い」
ご飯……。まあ、更衣室だけなんだしいいか。
「分かりましたよ」
俺の言葉に金谷先輩は嬉しそうに笑い、ポーチからメイク道具を出し俺の顔に塗っていく。
「嫌ですよ、先輩! 何で行かないといけないんすか」
「だって本当に可愛いんだもん」
メイクが終わり、金谷先輩は俺の手を引っ張り店の方に行こうとしている。女装して仕事なんて絶対嫌だ。男ってバレたら恥ずかしさで死んでしまう。それに女装した男が働くなんて、ここはコンビニだ。いかがわしい変な店ではない。抵抗するが意外にも金谷先輩は力が強くレジの方についてしまった。そして最悪にも客がレジの前に一人いた。アッシュの髪色をした短髪の男。二重の切れ長の瞳にふっくらした唇。耳にはピアスをつけた俺と同い年くらいの奴だった。
「い、いらっしゃいませ」
どうしよう。絶対バレたに決まっている。金谷先輩を探したが、レジから1番遠い飲み物の品出しをしている。男は俺をジッと見つめている。
「邑楽……さん。あの、俺出直してきます」
「え、ちょっと⁉︎ 」
男はレジに買うはずだった物を置いて店から出て行ってしまった。何だったんだあの客は……。まあいいか。女装がバレずに済んだのだ。俺はほっとため息をつき、すぐに化粧を落とすため更衣室に戻った。
俺の耳元で聞こえた音によって俺は目を覚ました。朝、窓から差し込む光。こんなにも朝が憎い日はないだろう。起きた瞬間思い出すあの瞬間。どくんっ、どくんっ……。胸が苦しい。まるで誰かに心臓を握りつぶされているようだ。こんなにも苦しくなるのは、俺はそれほど愛翔が好きだったのだ。
学校に着き、あまり集中できず今六限目の授業が終わろうとしていた。終わるまであと二分。……残り一分。その時携帯が小さく震えた。携帯の画面には愛翔からのメッセージが表示されていた。メッセージを見てみると、”当分彼女と帰るから先帰ってて。ごめん”と書かれた文。そうだよな、だって付き合ってるのだから一緒に帰ったりするよね。残り0分。鐘が教室内に響き渡る。
担任のホームルームはすぐに終わり、俺はカバンに荷物を詰め足早にその場から去った。空はまだ明るかった。今頃あいつは彼女と手を繋いで仲良く並んでこの空の下を歩いているのだろうか。俺は今日もバイト先に向かった。コンビニの更衣室でいつも通りに身支度を整え店に出る。何も変わらない日常。いつも通りに世界は動いていく。変わったのは愛翔に彼女が出来たこと。ただそれだけ。
そんなある日、俺の日常は狂い始めた。それは愛翔に彼女が出来た2週間後のことだった。
俺はいつも通りにバイト先に来て更衣室でいつも通りに身支度を整えていた。不意に更衣室のドアが音を立てた。
「あの、今日からお世話になります石川湊希(いしかわ みなき)です。よろしくお願いします」
アッシュの髪色をした男。この人どこかで見た気がする。
「ああ、よろしく」
まあ、いいか。覚えていないということは、そこまで深く関わっていないってことだ。ならあまり気にするほどでもない。
「あの、一つ聞いてもいいですか? 」
「別にいいよ」
「お、邑楽さんって知ってますか? 焦げ茶の髪を胸元らへんまで伸ばした女の子です。すっごく可愛いんすよ! 」
思い出した。この人、俺が女装してレジに出たときに会った客だ。俺が答えに困っている時、良いタイミングでドアをノックする音がした。
「柚月君、そろそろ時間だよ」
ドアを開け顔を出す金谷先輩。
「あっ!新しく入った石川君だよね。私、金谷美由紀。よろしくね」
「はい。あの邑楽さんって知ってますか? すっごく可愛い女の子です」
「あーその子ね、柚月君だよ」
金谷先輩はにやけ顔を浮かべながら俺に近づき、俺の肩に手を置き自信満々に言った。
「いやいや、何言ってんすか。俺は女の子を探してるんです」
「だからそれは、女装した柚月君だよ。女の子に見間違えるほど可愛かったんだね柚月君」
石川は信じられないと言った顔をしている。ここは謝るべきか? ”ごめんなさい、女装していました”って。いやいや、可笑しいだろう。でも一応謝っとくべきか。
「ごめん、石かーー 」
「ふざけんなよ! つーか女装とか意味わかんないすよ。俺、俺は男に一目惚れしたのかよ…… 」
石川は近くにあった椅子に座り頭を抱えている。悪いことしたな……って金谷先輩が原因だろ。
「じゃあ、私は品出ししてくるね」
逃げたなあの人。石川はまだ落ち込んでいる。
「石川、俺たちもそろそろ行こうか」
「分かってますよ!」
石川はすぐに立ち上がり更衣室から出て行った。怒っているよな。一目惚れした奴が男だった。あまり同情する気持ちは生まれてこなかった。なぜなら俺自身、愛翔に恋していたのだから。いや、恋しているからだ。愛翔に彼女が出来た今も未だに俺はあいつが好きだ。
俺は更衣室から出てレジに向かいいつも通りに仕事をこなした。石川も初めてとは思えないほど手際よく仕事をこなしていた。
夜7時。仕事を終え俺と石川は駅に向かっていた。てっきり石川は先に帰るかと思ったが、なぜか無言で隣に歩いている。
「俺、ちょっと本屋に行くから。じゃあ」
「俺も行きます」
「え? 」
真剣な眼差しを向ける石川。断る理由もなく渋々、石川と本屋に向かった。特に話すこともなくただ歩いているだけ。何をしたいんだよこいつは。この微妙な空気をどうにかしたいが、どうすればいいのか分からなく出来なかった。
本屋に着きお目当ての本を探す。俺は上から下、左から右へと目を動かす。すると運悪く本は棚の1番上にあった。俺の身長では届かない位置。実を言うと俺はそこまで身長は高くない。本棚の高さは結構高く背伸びしてあと少しで届きそうな高さ。俺は近くにあった台を床に置きそれに乗り本に手を伸ばそうとした瞬間、ガタイの良い男が俺の横を通り男の足が台に当たった。そして台が急に動き俺の身体は後ろにいく。頭を打つかと思ったが俺の頭には何か温かいものが触れた。
「大丈夫すか、邑楽先輩」
どうやら石川が支えてくれたようだ。
「ああ、ありがとうな石川」
「……っ‼︎ 」
「ごめんな兄ちゃん」