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【幽意義な夢現】

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 美味いとも不味いとも特に思わないまま、ただ二人して腹を満たす。殆ど同時に皿を空にして、またそっと手を合わせる。毎度のように思うが、こういうのは育ちの差なんだか単なる人間性というヤツの差なんだか。気付けば長い付き合いだが、未だにわからないままでいる。
 二人分の皿を重ねて、流し台に運ぶ。ソファに寄り掛かった状態で、ぼんやりと此方を眺めている男に立ち上がる気配はない。そのままちょっと座ってろ、と声を掛けると、ん、と小さな声がした。今晩一言目。一瞬聞き間違いかと思ったわ。
 まだシチューの残る鍋を奥へ移動させ、水の入った薬缶を火に掛ける。沸騰するまでの間に皿を洗ってマグなどを出しておく。普段は専らただのインスタントだが、今日はドリップ式にした。といっても、カップの上にセットして、湯を注ぐだけの簡単で手軽なものだが。薬缶が鳴る。火を止めて、少し落ち着くのを待つ。
 場所の関係上、ソファからの視線は真っ直ぐに此方の側面に届いている。無言の視線を左半身側に感じながら、出来るだけ丁寧に湯を注いだ。抽出を待つ間、冷蔵庫から小さな箱を取り出す。帰りに寄り道した時に買ったケーキの箱だ。普段は甘いものなんて敬遠しているが、まあ、今日位は気紛れを起こしてもいいか、なんて思った訳で。ケーキに見合うようなシャレたものは無いが、手頃な大きさの皿にそっと乗せる。野郎二人で食後にケーキ、なんてどうよ、とも思うが、今は考えないようにしておく。口に合えばいいのだが。
「店の人に甘さ控えめの選んで貰った。名前忘れたけど、下の方がガナッシュで、真ん中のがアーモンドクリームなんだと。上のスポンジは特に説明無かったから、まあ、普通なんじゃねぇかな」
 マグとケーキを目の前に並べても、男は不思議そうに眼を瞬かせるばかり。三層に彩られたケーキと、薫り立つ珈琲と、後は真向いに腰を下ろした俺とを順に見て、無表情のまま首を傾げていた。予想通りといえば予想通りの行動に、俺は思わず笑ってしまった。
「今日、日付に気付いたの、帰ってくる少し前だったんだよ。今日が10月の31日だ、って気付いて、だったら、今晩お前が来るだろうなぁ、って思ったら買ってた」
 マグを片手に、黒い水面を見詰めながら口を開く。視線を感じながら、でもそちらを見ないまま。ゆっくりと、普段のインスタントとは違う香りを楽しむ。肺腑を満たす。偶にはこういうのもいいだろ、と誰に言うでもなく思う。
「お前と食おうと思って買ったんだ。遠慮せず食えよ」
 平静を保とうとして失敗した唇が歪む。大分浮かれているらしかった。観念して普通に笑った。まだ熱い珈琲を口に含む。舌の上で少し転がすように味わってから、ようやく一口を終える。熱がすっと咽喉から滑り落ちて、心臓の横を通って胃に向かっていった。じわり、と左の手首が瞬間的に熱をもった。
 かさり、と紙が擦れる音がして、視線を少し上げる。男の細く青白い指が、使い古しのフォークをそっとケーキに沈みこませていた。全体を崩してしまわぬよう、慎重に。そうして削り取られた三層が男の唇に飲まれていくのを、ただ呆けていたように眺めていた。
 彼は目を伏せたまま、ゆっくりと味わうように口を動かしていた。こくり、と喉が上下し、次いでマグに手を伸ばす。口を付ける前に深く息を吸い込んだのは、香りをも味わっているのだろうか。マグが少し傾き、再び喉仏が動く。ふ、っと男が静かに笑みを浮かべたのを見て、どうやら口に合ったらしい、と此方もフォークを手に取った。
 上のスポンジはふわふわとしていて簡単にフォークが沈んでいく。下のクリームも柔らかだったが、下のガナッシュは土台らしく少々固めだった。それぞれの固さが違うので力加減がビミョウに難しい。口に含めば、クリームはやや甘め。アーモンドの香ばしい香りに次いで、ガナッシュの滑らかな触感が舌の上で蕩ける。軽いスポンジとクリームに、余韻として残るチョコレートが甘過ぎなくていい。もうちょいビター気味でもいいかもな、と上から目線で珈琲を啜った。まあ、結構美味い。
 二杯目の珈琲を淹れてから、何と無く、ソファに並んで座った。熱いので、マグはテーブルへ。あまり大きなソファではないから、成人した男が横に並べば肩がぶつかった。シャツ越しに触れた肩は冷たく、冷え切っていて、それでいて相変わらず妙な感触だった。硬いでも柔らかいでもなく、妙に力が抜けているようにぐんにゃりとしていて。
 服越しとはいえ触れ合う程の距離にいるのに、その体は微動だにしないままだ。呼吸も、脈拍も、体温も、何も感じない。ただ、そこに在るだけで。
 凭れるようにして、彼の左肩に頭を摺り寄せる。体重は掛けない。少しの間触れるだけだ。今だけ。今日だけ。少しだけ。
 こうして触れていたって、俺の体温が彼には移らないと知っている。悪戯に手指を絡めてみても、握り返されたとて後には何も残らないのだと知っている。深く息を吸い込んでも、何の香りもしないと知っている。
 ――全部試したから、知っている。
 言霊、なんてものは信じていない。けれど、口にしたら本当になってしまいそうで怖いとは思う。決定的な一言、というものが何処に隠れているのか、何が契機となってしまうのかわからない。言ってしまいたい事も、言って欲しい事もある。訊きたい事なんて泉のように溢れてくるけど、軋みを上げる自分の内側を見ないようにしている。
 俺の考えなんて、全部間違ってくれていればいいのに。
 ゾッとする程凍えた指先が、俺の指と緩やかに絡まっていた。これだけでも、俺にくれないかな、なんて、考えてはいけない。俺と彼との温度差に、背筋に寒気がした。
 互いに何も言わないまま時間だけが刻々と過ぎていく。絡めた指をそのままに頭を上げる。折角だから、少しの間だけでも顔を見ていたいじゃないか。顔を上げてみれば、男は静かに俺を見ていた。瞬間、息が詰まる。余計な一言を飲み下す。こくり、と自分の喉が動いたのがわかった。
 するり、と何の前触れもなく男の右手が俺の頬を撫で、一瞬距離を無くされる。ゆっくりとした動作の癖に、間を感じさせないのは何故だろう。目を閉じようとして、止めた。左手を彼の背に回して、身体ごと向き合う。
 二度、三度と唇の表面だけが触れ合う。小さく口を開ければ、巣穴に入り込む蛇のようにするりと舌が侵入してきた。やはり、温度は無い。乾いた舌が口内で探るように蠢き、俺から熱を奪っていく。
 俺ので良ければ、幾らでもくれてやる。お前は、俺の吐いた息だけ吸ってればいい。……なんて。女々しい自分の思考に嫌気が差す。いっそ笑えてきて、笑い過ぎて涙が出た。
 冷たい部屋で、冷たい男と抱き合って、自分一人だけが熱を上げて。これ以上滑稽な事があるもんかよ。余計な事を考えるのを止めて、今目の前にいるこの男を記憶に刻む。
 今はただ、これが最後かも知れないなんて思いたくないだけだった。もう終わっている事を、いつまで引き延ばせよう。

 腫れぼったい目蓋を押し上げると、灯りの点いたままのリビングだった。ソファの上で、一人、足を投げ出すようにして横たわっていた。上半身を起こすと、普段押し入れに仕舞いっ放しの毛布がずるりと下がった。
作品名:【幽意義な夢現】 作家名:かさぎ