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【幽意義な夢現】

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ふ、と細い息を吐いて改札口を潜って外に出た。
 電車から降りる時ではなく、改札を出る時はいつも、何故だか少しばかりの安堵感を抱く。後は家に戻るだけ、と心が多少身を急かすが、生憎一人住まいなので軽く買い物を済ませねばならない。出る改札口を間違えたな、と先程より少し重く息を吐いて、家ではなくスーパーのある方へと爪先を向けた。早く帰って煙草が吸いたかった。

 白々と照らされた店内を、籠を片手にゆっくりと歩く。冷蔵庫に何があったか、今晩の献立をどうするか、何か補充するような物があったか、ぼんやりと考えながら棚を眺めていた。時刻は六時を回った辺りで、時間には余裕がある。とはいえあまり手の掛かるような物を作る気力は主に仕事で使い果たしてきた。もう大分寒くなってきたし、取り敢えず何か温かいものを、と投げ遣りになってきたところで鍋つゆのコーナーを通り過ぎる。
 一人鍋とか寂し過ぎるわ、と思いつつ唐突にシチューが食べたくなった。ジャガイモとタマネギは確か冷蔵庫に入っていたような。鶏肉とニンジンとブロッコリー、切れていた卵と食パンを買う事にして、野菜のコーナーに踵を返す__ッと、肝心のシチューの元を忘れるところだった。危ない危ない。何食う気だ俺は。パッケージをざっと見て、何と無く美味そうだな、と思ったのを籠に入れた。
 シチューの時は米を食うかパンを食うか、それとも単体で食うかで意見が分かれるが、今の気分ではパンが食いたい。食パンは朝用として、ロールパンを一袋。まあ、余ったらそれこそ朝に回せばいい。流石に六個も一度に食えない。食う事を考え始めると、疲労感に混ざり込んでくるように空腹感がじわじわと侵食し始めてきた気がした。何ともまあ、現金な事で。
 パンと卵、肉を籠に入れ、後は野菜だけ、というところで、特設されたコーナーが目に入る。オレンジと黒で派手にデコレーションされていたのはハロウィンの文字で、それを見て今日がその当日だと今更ながらに思い出す。
 ああ、そうか。明日からもう11月か、とそう思う。どうりで最近冷える訳だ、とも。ケルト人が云々、とか、知っている奴はどれ程いるのだろうか、とも。
 気付けば止まってしまっていた足を動かす。傍を通ったついでに買う事にしたドリップ式のコーヒーフィルターがガサリ、とやや乱暴な音を立てて跳ねた。最後に野菜のコーナーでニンジンとブロッコリー、出来合いのサラダも買う事にして、ようやくレジに向かう。かぼちゃは籠に入れなかった。かぶも。
「……何がハッピーハロウィンだよ」
 思わず呟いてしまった言葉に、我ながら嫌な気分になる。独り身のやっかみのようだ、と思考を誤魔化そうとして失敗した。よく考えるまでもなく、それは半分くらいは当たっている気がした。
 レジに向かう途中でもう一度通ったハロウィンの特設コーナーには、見向きもしなかった。代わりに、帰りに少しだけ寄り道をする事に決めた。

 親元を離れて一人暮らしを始めてから、「行って来ます」と「ただいま」という習慣が廃れて久しい。鍵を開けて、扉を潜り、靴を脱ぐ前に鍵を閉める。脱いだ靴を簡単に揃えながら、ネクタイを緩めた。ようやく帰ってこれた我が家に、ほっと息を吐く。
 買ってきたものを概ね冷蔵庫に収めてから、上着をハンガーに掛け、抜き取ったネクタイを明日着るシャツの首元に引っ掛ける。幾ら寒くとも俺は室内で裸足派なので、靴下もさっさと洗濯機に放り込む。着替えは食事の後、風呂に入る時にする。洗面台で顔を洗って、しっかりとうがい、手洗いを済ませた。風邪とか引いてらんねぇし。
 家に着いてから、段々自分の空腹がどうでもよくなってきた。疲れた、休んでもいいんじゃね? と力を抜こうとする体を無視して、さっさと調理に取り掛かる。食事が済むまで、煙草は我慢。吸ったら色々落ち着いてしまうので。
 切って炒めて、茹でて煮て。最後にシチューのルーを鍋に割り入れ、時々掻き混ぜながら弱火で煮込む。その間に、半ば存在を忘れかけていたロールパンをトースターで軽く温める。少し考えてから、四つ。
 一通り作業が終わると、疲れの波が押し寄せてきた。走っている最中ではなく、走り終わった後に死にそうになるのと同じような原理だろうか。腹の虫がぐうと鳴いた。
 喉が渇いたので、水を一杯。ついでに薬缶にも水を注いでおく。沸かすのは、珈琲が飲みたくなってから。
 グラスの中身を一気に煽り、飲み干す。底に残った一滴が内側を伝って落ちてくるのを、行儀悪く舌先で受け止めた。シチューももういい頃合いだろう。好い加減飯にする。
 深皿にシチューを盛り、籠にパンを乗せる。飯を食う場所がソファの前の正方形型のローテーブルしかないので、必然的にそこへ。ソファに寄り掛かるようにして俺自身は冷たいフローリングの床に直接座る。その内余裕が出来たらラグでも買うかなぁ、とは此処何年かずっと思っている事だ。
 ……ぼんやりしていたらスプーンを忘れた。
 流石にシチューを手掴みで食うのは無謀過ぎるので、大人しく台所へと引き返す事にする。――と、立ち上がった所で来客を知らせるチャイムが鳴った。
「あー……まあ、うん」
 何とも言えない気分のまま口を開けば、曖昧な言葉しか出て来ない。取り敢えず出る事にして廊下を歩きながら、ワイシャツは兎も角ズボン位は穿き替えておけばよかったかもなぁ、と考えていた。鍵を開ける。ドアを開けてから、誰が来たか確認するのを忘れていたのに気付いた。迂闊にも程があるだろ。
「……よぉ」
 あーあ、と誰に言うでもなく内側でそう溢して、飯時の来訪者に声を掛けた。何と無く、今夜は来るかな、と思っていたので飯時だろうがアポ無しだろうが腹は立たない。……それどころか、顔を見て、その……、少しだけホッとした。空振りは嫌いだ。……どうしようもない。毎度の事なのだから早々に諦めてしまえ、俺。
 自分より少しだけ高い目線。無言のままジッと黒い瞳が此方を見詰めていて、訳もなく気まずい。整った顔、というのは、それだけで強い。ドアを開けて押さえている右手はそのままに、左手の親指で自分の背後を指した。
「……上がってくだろ? ちょうど飯食おうとしてたんだ。食ってけよ、不味くはないと思うぜ」
 保障はしねぇけど、と肩を竦めてみせれば、男は少しだけ口元を緩めた。初端から随分と、まあ……そうくるか。
 少しだけ鍋を温めて、もう一人分のシチューを皿に。そういえば、とすっかり忘れていた出来合いのサラダと二人分のスプーンとフォークを持って、ソファに寄り掛かって座り込んでいる男の元に戻る。多めに作っておいて正解だった。二つ目の賭けには勝てたらしい。
 男の真向いに腰を下ろし、サラダは適当に摘んでもらうとして、シチューとパンを勧める。ワイシャツ一枚の俺が言う事でもないのだろうが、薄手のセーター一枚という姿は見ていて寒そうだった。本人はてんで堪えてないようで、涼しい顔をしているのだが。
 小さく手を合わせた彼に習って、俺も手を合わせる。一人だと、つい忘れてしまう。習慣ってのはこうして絶えていくのかね、と思考を飛ばした。
作品名:【幽意義な夢現】 作家名:かさぎ