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チューしてあげる

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 あんな事をしなければよかった。砂浜に打ち寄せる波のように繰り返し、繰り返し、一晩中、後悔が押し寄せてきた。なかなか寝むれなかった。言い付けられる。言いつけられれば、先生から委員長のくせに、なんと言う野蛮な事をするんですか。委員長のくせに、恥を知りなさい。ぼくはきっと委員長のくせにと言われて、叱られるだろう。ホームルームの時間に、黒板の前に立たされて、ケイコにあやまりなさいと、先生は言うだろう。そして、ぼくはいつも馬鹿にしていたケイコにごめんなさい、と頭を下げるだろう。ぼくの方から手を差し伸べ、握手させられるに決まっている。そんなさる芝居はいやだ。十一年間、生きてきた中で一番恥ずかしいことだ。クラスのみんなは、ケイコをなぐるなんて、目を丸くし、ぼくに乱暴者のらく印を押すにきまっている。さげすむような目で、これからずっと見るだろう。ますますぼくは嫌われるだろう。男が弱いオンナをなぐる。それは野蛮人かゴリラのすることだ、とオンナたちは言うに決まっている。ケイコは椅子を振り上げてもオンナだ。先生もオンナだ。ぼくはリーダーではなく、学級の野蛮な雄ゴリラにされてしまう。それに、ケイコはクラスで一番人気があるから、ホームルームの時間に、ぼくの悪口が言われるだろう。運動場でつばをはいた。赤信号を渡った。木の陰に隠れて、木に向かって雄犬のように立小便をした。次々に並べられるだろう。ぼくが議長をしているホームルームにみんなのげんこつを握った手が、いっせいに挙がるだろう。かちどきのように、謝れ、謝れ、と挙げられるだろう。その上、ケイコやぼくを知らない先生や生徒は、この学校にほとんどいない。職員室で、運動場で、廊下で、あのれき岩がケイコをなぐった。ケイコをなぐって、あやまった。この事件はすぐに広まって、ほかの学級の先生がぼくを見つけると近寄ってくる。どうしてなぐったのかと、耳もとで、ここだけの話だから、その秘密を教えて、小さな声で尋ねるに決まっている。そして先生から、ここだけの秘密は、ああだ、こうだ、と学校中のうわさになり、PTAまで知るようになるだろう。お母さんもすぐに耳にするだろう。お母さんもオンナだ。オンナをなぐるとはなんという事をするのか。ひどく怒るに決まっている。町中のうわさになるかもしれない。ぼくが歩いていると、町中のみんなが目を三角にする。あいつがケイコをいじめたやつだ。さも聞こえよがしに言うだろう。ケイコのお父さんは、旧家で有力者だから、ぼくの家は引っ越さなければならなくなるかもしれない。いじめっ子の住む家と玄関に張り紙をされ、町におれなくなるだろう。
――――みんなケイコのせいだ。
じっとねむれないで見つめている真っ暗な天井から、突如、ぼくは大きな怒りが落ちて来るのを感じた。ケイコが悪いんだ。みんなケイコのせいだ。ケイコがぼくにあだ名をつけるからいけないんだ。

 次の日、眠い目をしばたたかせ、頭の中を混乱させていた。うつむいて、ぼくは教室の引き戸をゆっくり引き、敷居をまたいだ。ストーブの暖かい空気と和やかな話し声。クラスのようすに聞き耳をたてながら、ケイコを探して教室中を見渡した。
「ナカムラくん。おはよう」ストーブを囲む輪の中から、ひときわ背が高くて、頭をこっくりと下げているケイコの大きな声が飛び込んできた。声の大きさに教室のざわめきが一瞬、途切れた。ストーブの輪がいっせいに赤いほてった顔を、ぼくに向けた。ぼくはおはよう、と返事する言葉がのどにひっかかり、陸に上がった魚のように口をパクパクさせてしまった。言い付けたのかどうかを最初に探らなくてはならない。ケイコをじっとすがるような目で、言い付けないでほしいと見つめた。ケイコもストーブでほてった赤い顔をこちらに向けている。目じりに、合図でもするようにうすらわらいの小さなしわをケイコはつくった。ああもうだめだ。ぼくは視線を外した。ケイコは、いつもは班長、あるいはれき岩と呼び、ナカムラくんとくんをつけてまで正確に名前を呼んだことなど一度もなかった。ぼくは目じりのしわを、うすら笑いを、先生に言い付けてやったと言う表情と思うしかなかった。くんを付けたのは覚悟をして置きなさいという脅しなのだと考えた。今までぼくはケイコにああしろ、こうしろと命令していたが、今ではもう、ケイコの顔色やようすをうかがって、ケイコからああしろ、こうしろと言われたように右往左往している。おはようだけならまだしも、今までのあいさつと同じだが、ナカムラくん、くんまで付いていた。ストーブの輪がいっせいにぼくを見たのは、ケイコの大声のせいではなく、ぼくの事がついさっきまで、そこで話されていたからに違いない。ああ、もうだめだ。ああもうだめだ。言い付けられたに決まっている。ストーブでほてったケイコの顔が大きくふくらんで、目の前にせまってきた。鼻を垂らした赤鬼になっていく。

 先生が来て授業が始まった。ケイコがストーブから隣の席に来て座った。もう言い付けられたのだから、今さらあやまっても仕方のないことだ。どうせ叱られるのだから。どうせみんなも知っているのだから。さらし者になって、頭を下げ、ケイコと握手しなければならないのだから。ケイコにやさしい、正しいエライ人だと思われるためにだけ、きのうなぐって、ごめんなさい、と今あやまるなんて、馬鹿らしい。ぼくは隣のケイコを無視しようと努めた。そして、せめてこのようになったら、ケイコにだけは、きのうの事をぼくが後悔しているのを知られたくなかった。今まで、馬鹿あつかいしていたやつに、振り回されている自分を気付かれたくなかった。どうせ頭を下げ、あやまるのなら、それは本心からあやまるのではなく、仕方のない演技としてあやまる方が、格好がよく、自分の自尊心を保てる気がしていた。そうすることによって、いまだにケイコへのぼくの優位をたもっておきたかった。それはあの松の木から呼びかけられた時、口笛を吹いて、知らないふりに通り過ぎた無視の仕方に似ていた。
 ぼくは一心に黒板を見ていた。何も頭に入らないのに、ただ一心に黒板だけをにらんでいた。黒板に書くチョークのあたる音がコツコツと聞こえ始めた。棒ぞうきんの柄でケイコが叩いた床の音のように思われた。横目にうかがうと、ケイコはいつもより背筋を伸ばしていた。真っ直ぐに黒板を見て、幾らか緊張しているようだった。棒ぞうきんを金棒のように持って立った仁王の姿が、今は机に、肩をいからして威厳をもって座る裁判官になっていた。そして、ぼくは、ちらちら判決をまって、上目使いに裁判官をうかがっている犯人であった。大きく大きくケイコは閻魔大王になり、ぼくは小さく小さく罪人になっていくようだった。
作品名:チューしてあげる 作家名:島中充