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チューしてあげる

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「掃除できました」と、班長は報告し、検査をうけなければならなかった。ぼくは、今まで、まじめに掃除などやらなかった。机を運ぶことや、バケツの水汲みなどはした。あるいは、掃除をしている素振りはしたが、一生懸命、丁寧にやろうとは考えもしなかった。あんなものは、オンナにさせておけばよい。何もできない、テストでいつも班の足を引っ張っているケイコがやればよいと思っていた。そのうえ、ぼくはクラスで先生の次にえらいニンゲンなのだと思っていた。これをしろ、あれをしろとその場で監督するだけで許されるのではないだろうかと思うずるい心もあった。リーダーとはそういう意味にも理解していた。今までから、ケイコは飛び跳ねるように、ぼくから言われる通り掃除していたのである。
 三名が休んでいるため、その日ぼくは、ケイコにいつもよりたくさんの命令を出した。
「机を引け。床をはけ。黒板を拭け」その間ぼくはいつものように
「黒板消しの掃除だ」と言って、窓の外に両手を突き出して、二つの大きな黒板消しをシンバルのようにバンバンたたいていた。
「あほらし、もういやになった」
突然ケイコはぼくに向かって大きな声で文句を言った。床を拭いていた棒ぞうきんをひっくり返した。柄の先で床をコツコツと叩いた。仁王のように反り返っていた。
「掃除しやなあかんやないか」ぼくは優しく、いかにも出来の良くない生徒をさとすように言った。
「なに言うてんの。自分はなにもせえへんで、黒板消しばっかり叩いて、いつも命令するだけや」
ケイコは右肩を幾分そびやかした。ぼくは自分がずるく立ち回っていることはよく知っていた。やましい気持ちがあったところへ、にくらしいケイコの指摘が突き刺さった。かっと頭に血がのぼった。
「あほ、はよ、床、ふけ」
「なんや、赤れき岩!」
前のめりに背伸びしながらあごをしゃくってケイコは顔をつきだした。ちょうどよい具合にどついてくれと言う付き出し方になった。ぼくの平手が顔面にばちっとみまったった。チョークの手形が頬に白く着いた。
「ヒャー」
キャーではなかった。胸に声がつまってキがヒになった。キャーを通り越した悲鳴だった。ケイコはとっさに茶色がかった髪を振り乱した。棒ぞうきんを投げ捨てた。小学校の木椅子を背もたれと座面のヘリを両手でわしずかみにした。ぼくの頭上めがけて、ちいさく
「ウー」とうなって頭上へ高く振り上げた。ケイコはぼくより背が高かった。
「ヒェー、ヒが狂った、ヒが狂った。低能のヒが狂った」ぼくも、キがヒになった。ぼくはひっくり返った。尻餅をついた。あわてて向き直り四つん這いになり、鉄砲玉のように教室から飛び出した。立ち上がって一目散に廊下を走った。椅子を振り上げたままケイコは廊下を追ってくる。ぼくは上靴のまま運動場へと逃げ出した。運動場の一番隅にある砂場まで来て立ち止まり振り返った。ケイコは運動場までは追って来なかった。廊下の端で、振り上げた椅子の座面を頭にのせたまま砂場のぼくをにらんでいた。そして椅子を頭にのせたまま、もとの教室へ帰って行った。ケイコの哀れな後ろ姿をぼくは会心の笑み浮かべながらながめた。やっと仕返しをしたと誇らしい気がしたのだ。そして、ケイコをなぐった時、誰も周りにいなかったはずだと頭の中で最初に確かめた。もうひとりの当番は、あの時バケツの水を交換に行っていて、教室にいなかった。先ほどのできごとは誰にも見られていない。しめた!助かった。それしても、椅子を振り上げられて、尻餅をついて逃げたのは格好が悪かった。殺されるかと思った。ケイコは何をするか分からん。平手打ちをくらったぐらいで、椅子を振り上げるなんて、あほは怒ると何をするか分からん。とうとう仕返しをしてやった。オンナの子を平手でなぐった。けんかはしょちゅうしたが女の子をなぐったのはその時が初めてだった。
 放課後の運動場に冬の北風が吹き荒れていた。砂ぼこりが舞った。不意にぼくは気付いた。言い付ける。ケイコが泣き叫んで、先生に言い付けるのではないか。言い付けるにきまっている。教室ですでに泣いていて、もうひとりの当番が水くみから帰って来て、わけを聞き、今頃、オンナ先生を呼びに行っているかもしれない。後悔が目に入る砂ぼこりのように襲ってきた。ケイコをなぐったことに、後ろめたさが湧いてきた。たいへんなことをしてしまった。あれでもオンナだからな。なぐった感触が、手にまだ残っているような気がした。そんなにきつくなぐっただろうか。なぐった覚えはないんだ。きっと、そうたいしたことはないんだ。都合のよい方へ、よい方へ、ぼくは考えようとした。頭の中が混乱していた。ケイコは泣くはずはないんだ。泣くなんてありえない。ケイコが泣くのをいままで見た事がない。きっとだいじょうぶだ。ぼくはどうしようどうしようと考えながら手を握りしめていた。手の中がなんだかねばねばする。あのぐらいの平手で、もうしびれているはずはないのだ。握りしめていた手の平を開いた。
「あっー。」ぼくはあわてて座り込んだ。右の手のひらを地面の砂になすりつけた。ケイコの鼻汁がくもの巣みたいに手の中でベチャッとつぶれていた。

ケイコは掃除を途中で放り出したまま、ぼくのいる砂場を見向きもしなかった。さっさと先にひとりで家に帰ってしまった。ぼくはあやまる機会をうしなった。先生や、クラスのみんなになぐったことを内緒にしてもらうために、ぼくはあやまっておかなければならなかった。ぼくはそうじが終わったことを先生に伝えた。どうにかしてケイコをごまかせないかと、まるめこめないかと考えながら急いだ。追い着こうとケイコの後を追った。ケイコの家の前まで来ると、すでにケイコは、土塀の前を通るはずのぼくを待ち構えていた。松の木に登り、枝分かれしているいつものところにいた。いつもとちがって、仁王立ちにそこに立っていた。そして、言った。「あした、先生やみんなに言い付けてやるからな、今度は許せへんで」ケイコは怒れる猿のように枝をおもいきりゆさゆさゆらしながら宣言した。
作品名:チューしてあげる 作家名:島中充