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がき恋慕

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 授業開始のベルが鳴るや否や、彼女がいつものように、にこやかな笑みをたたえて颯爽と教室に入ってきた。皆、固唾を呑む思いで迎えた。何も知らない教師はいつものように出欠の確認を済ますと教科書を開くよう指示して早速授業に入った。高村光太郎の「道程」という詩がテキストの文面だった。
「津村君、朗読してください」
何と、まさか自分がトップで指名されるとは思いもよらなかった。
普段なら喜び勇んで起立し朗読するところだが、この時ばかりは、そうは、いかない。皆の視線を痛いほど感じながら無表情で無視をきめこむしかなかった。しばし沈黙の時間が流れる。それは、とてつもなく長く感じられた。
彼女はすぐ異変に気づき
「どうしたの、どこか具合でも悪いの」と声をかけてきた。
それでも押し黙ったまま無視を続けた。冷や汗の流れ出るような間合いだった。
「何をふざけているの」怒気を含んだ険しい声が飛んできた。それでも無視し続けるのには苦痛が伴った。
大きく見開いた怒りのこもった眼が睨みつけている。
「いい加減にしなさい。一体どうしたっていうの」
何時にない、ややヒステリックな声が耳を襲った。それでもダンマリを貫くしかない。
彼女は不意にそっぽを向くと怒りの表情で腕組みをするとしばらく思案に暮れている様子だった。と突然「勝手にしなさい。そちらが無視するなら、こちらも無視でお返しするわ」と勝気に言い放った。
そして気を取り直したように
「星野君、朗読してください」と次にお鉢を回した。
名指された星野は真面目一方の小心な男だったが、この時ばかりは得体の知れない重圧に押されでもしたかのように、こちらと同様に無視の挙に出た。
企みは成就しつつあったが、その成り行きには誰もが、ハラハラし肝を冷やす思いでいたに違いない。
「あなたまでも・・・・」意外な展開に教師は言葉を失ったようだった。
しばらく気まずい感じと重い沈黙がクラス全体を支配した。その硬直したような雰囲気を機敏に感じ取った彼女は、いきなり荒々しく教科書を教卓の上に置くと
「教師として、こんな侮辱を受けたのは初めてだわ」と吐いて捨てるように言った。
自分は先ほどから、とんでもないことを仕出かしてしまったという後悔の念にとらわれていたが、もう後の祭りだった。
彼女は憤懣やるかたないという面持ちでクラス全体を睨み回すと踵を返して教室を出て行ってしまった。途端にクラス中は大騒ぎとなり、「このままでは済まないぞ」という不安と危惧の声が上がった。
程なくしてクラス担任が険悪な表情で現れると、委員の野田を呼び出し連れて行ってしまった。゛恐らく事情聴取のためだろう。勝手にあれこれ喚いている者もいたが自分は俎板の鯉よろしく下されるであろう罰を覚悟して神妙に大人しくしていた。
今の授業がこの日の最後だったが終業ベルが鳴ると同時に迷惑そうな顔で野田が戻って来たが
「おい津村、担任が職員室に来いってよ」と言って来た。とうとう来るべきものが来たという思いだった。
「ああ、分かった」と応じ、観念して足取りも重く職員室に向かった。
恐る恐る職員室に入ると多くの教師たちが、慌ただしく動いていてゴッタ返すような様相だった。担任の机の方向に目をやると相手が鋭い目つきでこちらを睨みつけ手招きしているではないか。急いで足を運んだ。 
いきなり「ついて来い」と言うと先に立って職員室を出た。そして、小さな別室に連れ込まれた。テーブルと四脚の椅子が置いてあったが向かい合って座るように指示され、言われたとおり腰を下ろした。 
「お前は一体何を考えているんだ」開口一番で怒声が飛んできた。と同時に握り拳が前頭部に降ってきた。殴打ではなく強く小突くという感じで一発の痛みは、さほどではないが、その後も執拗に同じ箇所を攻めてくるので次第にヒリヒリするような痛みが生じてきた。
何を言われても「すみません」を馬鹿の一つ覚えのように繰り返すしか能がなかった。しこたま油を搾られた後、女教師に謝罪するよう命じられ同じ場所で対面することになったが蔑視されるように冷たく見下される中で平身低頭「すみません」を繰り返すしかなかった。
思春期の悪餓鬼による恋慕の情の倒錯した表現などということは彼女には到底思い至らなかったであろう。恐らく自分は嫌われたのだと思い込み、著しく自尊心とプライドを傷つけられ怒り心頭に発していたに違いない。思い返せばとんでもない酷い仕打ちをしてしまったと慙愧の念に耐えない。
その後は、よそよそしい感じでしか対してもらえなかった。当然の報いと言われれば全く、その通りだ。以前のように面と向かって微笑んでくれるようなことは全くなくなった。授業でも殊更冷たくあしらわれている様に感じられて辛く悲しかった。その度に己の軽佻浮薄さを思い知らされた。
 学年末の三月に入って間もなく彼女が結婚するため退職するとの話が伝わってきた。授業では疎んじられ無視されることが多かった身にはどうでもいいことの筈だったが正直ショックだった。彼女の存在が目前から消えてしまうということが何ともやり切れない。
表情豊かなつぶらな瞳、魅惑的な微笑み、感情のこもった話し方、溌剌とした容姿、どれもが心を魅了したし、どれもが好きだった。
もう会えなくなると思うと胸を締め付けられるような気持ちにさえなった。
 結婚相手は東京の人とかで、そのため近く、この地を去るとの情報が流れた。程なくして、出発日時が学校から発表された。これは駅頭で見送りたいとの生徒たちの強い要望を受けたもので、それ程に彼女は人気があったということなのだろう。
当日、見送りに行くべきか否かでは大分悩んだ。どうせ行ったところで言葉を交わすことなど思いも寄らぬことだとは分かっていた。ならば行ってもしょうがないという思いと彼女が旅立つ最後の姿を見たいという思いが交錯して夕方の出発間際まで迷った挙句、遅れ馳せながら一人で足を運んだ。
駅の待合には人垣が出来ていて沢山の生徒が別れを惜しんでいた。それぞれの生徒がさまざまな思いを抱いて、ここに集まっているのだろう。
涙している女生徒がいたり、花束を手渡している者もいた。多分、担任クラスの委員の誰かだろう。女教師は周りを囲んだ者に何度も軽い会釈を繰り返しながら個々に言葉をかけている様子だった。遠巻きに羨望と嫉妬をない交ぜにしたような複雑な感情をかかえて、そんな光景を眺めていた。いよいよ出発の時間になり彼女が花束を抱えて改札口で満面の笑みをたたえて大きく一礼すると拍手と「万歳」の声が沸きあがった。彼女は家人と思しき数人と共にホームの方へ去っていった。その姿が見納めだった。
去った後には一抹の寂寞感が漂っていた。生徒たちは連れ立って三々五々散っていった。一人で来ていたのは自分だけかもしれない。
家路をたどる道々、いろいろな想いが頭を過ぎった。あの授業での馬鹿な場面が繰り返し表れた。後悔と惨めな思いと侘しさを胸一杯に抱え込んで、打ちしおれた姿で、一人暗い道をとぼとぼと歩いて帰った。
 思春期のうら哀しい思い出の一コマである。



作品名:がき恋慕 作家名:kankan