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がき恋慕

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生来の人見知りのせいか集団に組み込まれる時には、いつも耐え難い苦痛を感じる。幼稚園入園、小学校入学、小学校でのクラス替えなどでは、その都度やりきれない気分に捕われ憂鬱な精神状態に陥った。 その反面、時間が経って周囲に馴染んでくると嘘のようにそんな気持ちは雲散霧消してしまい自在に振舞うようになるのが我ながら不可思議でならなかった。
中学入学時も同然だった。小学校卒業時のクラスが大変居心地がよく自分なりに存在感を誇示できていただけに、そこから全く新しい集団に移っていくのには不安とおののきのようなものがあった。
その中学校は一学年が四百人規模で八クラス編成だったせいもあって見知らぬ者も少なくなかった。それに他の小学校からの転入生も僅かながら混じっていた。
自分が配されたのは一組だったが小学時代に同じクラスだった者が多くいたせいもあって、いつになく早く打ち解けることが出来て、そのうち我が物顔でクラス内に幅を利かせるようになっていた。
中学に入って目新しかったのは教科によって担当教師が変わることで、それだけで新鮮な気分になれた。クラス担任は理科と体育の授業を掛持ちしていたハンサムな若手だった。昭和二十年代末のこのころは教諭不足が深刻だったのだろう、二教科兼任の教師は珍しくなかった。
思春期に入るこの年頃に運良く、魅力的な、うら若い女性教師に恵まれると、胸弾む恋慕の経験に誘われることがある。自分の場合が正にそうだった。
私がこの時出会ったのは国語と美術担当で溌剌とした二十代の表情豊かな先生だった。何よりも活気にあふれていて、その魅惑的な瞳と感情のこもった話し振りは、とても魅力的に映じた。たちまち心を奪われた。そのうち日々授業で顔を合わすのが何よりの楽しみになっていた。
思い返せば異性に対して特別なものとして意識し始め、無意識の内に相手の気を引きたいと思うようになったのは、四・五歳の頃だったような気がする。
理髪店の一人っ子のお嬢さんで目鼻立ちの整ったきれいな子がいた。三歳年上で自分にとってはまぶしい存在でしかなく近づく事もはばかられた。ただ兄が仲良しで、よく一緒に遊んでいたので、その傍らで、憧れの目でただ眺めているだけだった。夏のある日、自家の手押しポンプの井戸に設えてあったコンクリート囲いの水溜用の流しで二人が楽しそうに水遊びに興じているときも傍に侍っていたが遊びには入れてもらえなかった。親しげに話している兄が羨ましくてならなかった。私の存在などは全く彼女の眼中にはなく、水溜りの中に入ろうとしたら邪険にされたという、うら悲しい記憶がある。少し年嵩がいってからは遊び仲間のなかで一緒になる事が何度かあったが、その都度全く相手にされず無視され、除け者扱いされたのが悔しく、心の痛手として残り、それが、その後の異性関係に影を落としている気がしてならない。
この子のお母さんも美しい人だったが、心優しくいつも柔和な笑みをたやさず、幼少のころから顔をあわせると必ずやさしい言葉をかけてくれた。かなり大きくなるまで行き交う度に、にっこり微笑んでくれるので、こちらも満面の笑顔を返えしていた。それだけで心が通じ合っているようで妙に嬉しく幸福感に包まれたものだ。高校三年生のころ一時スランプに陥り、滅入ってしまって、姿格好には無頓着になり髪も見苦しく伸ばし放題にしていたことがあった。そんな折、偶々理髪店の前を通りかかったことがあった。すると、そのおばさんに呼び止められ店に招じ入れられ、タダで散髪してもらったことがあった。不恰好な様を見るに見かねてのことだったのだろう。鋏を入れながら、いろいろやさしく話しかけてくれて励まされた。忘れられない思い出である。「可愛がられる」というのは、こういうことを言うのだろうと成人してから、しみじみ感じ入ったものだが何故そうまでしてくれたのかは今もって分らない。それにしても母と娘の全く対照的な対し方が不思議でならなった。
小学三年の時だったと思うが東京から近所に転住してきた同じクラスの仲良しがいた。そのお姉さんは髪を後ろに長くたらした気立てのやさしい人だったが、いろいろ面倒をみてもらったことがある。この人も三歳年上だった。東北の田舎では耳にする事のない、きれいな東京言葉を話すので少々憧れの気持ちを抱いていた。ある日、何か悪さをして夕方に母から家を放り出されたことがあった。その時、外で泣きじゃくっていたのを見かねてのことだろう、やさしく慰めてもらった事がある。涙をぬぐってくれたうえ胸の中に抱きかかえてくれたのだ。やわらかい、ぬくもりと何ともいえない甘美な気分に心癒される思いだった。以来、姉がいる友達が羨ましくて仕方なかった。しかしその一家は二年も経ずして東京へ戻っていってしまった。
中学に入る前は同学年の女子に異性を感じることは、ほとんどなかったが格好付けで、わざと女子を蔑視したり、嫌がらせをすることは度々あったように思う。
中学生になると同じクラスで気にかかる子がいたが自分勝手に好感を抱いていただけで何か具体的行動に至るようなことは決してなかった。
 こんな時に出会った女性教諭に抱いた感情はそれまで経験した事のない特別なものだった。思春期固有のその初々しい心弾む思いは、そのうち得体の知れない力で自分を虜にしていった。国語も美術も好きで得意な教科だったので授業中目立つように振舞うのは難しいことではなかった。国語では指名されて朗読して褒められたりすると嬉しくて有頂天になったものだ。美術でも作品が良く評価される度に天にも昇る心地がしたものだ。
そのくせ仲間内では、その女教師を腐すような悪口をたたいては粋がっていた。
自分の気持ちに素直になれない性癖は幼少時からあったようで憧れの女の子から無視され続けた反動からきたとするのは、こじ付けがましい気もするが全く無関係とは思えない。
恋い慕う気持ちが嵩じるに従い、その反作用のように表面では反発するような言動をこれ見よがしに、さかんに繰り返した。それは裏を返せば、もっと気を引きたい、目をかけてほしいという一方的で勝手な思いの表現でしかなかった。廊下で行き会ったときに折角微笑んでくれたのに無視する態度を取ったり、授業中に詰まらないことで揚足を取って笑いものにしようとしたりと度を越える所業が目立ってきた。あるいは、この年頃特有の無分別で危なかしい行動パターンに振り回されていたのかもしれない。それは、まるでブレーキの利かない暴走車のようだった。
そしてある日、不埒にもクラスの皆に「今度の授業にクラス全体で無視をして、いじめてやろう」という馬鹿な呼びかけをしたのだ。すぐに悪友どもが「やろう、やろう」と呼応したため、暗黙のうちに全員に了解された形になってしまった。クラス委員の野田だけは困惑したように「それは、ちょっと・・・」と抗ったが多勢に無勢で押し切られてしまった。女子の大多数、男子でも真面目な連中は心中穏やかでないものを感じたに違いないが敢えて異を唱えるものはなかった。この時期固有のあこぎな集団心理のなせる業であったのかもしれない。
作品名:がき恋慕 作家名:kankan