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画-かく-

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 フランス、イギリス、ドイツも前回のリオデジャネイロ大会の2/3程度に選手団を減らさざるを得なかった。アメリカ、ロシアの選手団も前回大会を大きく下回った。これまで商業主義を武器に規模を拡大し続けてきたオリンピックだったが、先進国の経済がどん底に落ち込んだ中での東京大会は歴史に残る寂しい大会になるところだった。
 
 しかし、これを救ったのは経済成長著しいアセアン諸国と一部の中南米、アフリカの資源国だ。また、中国も地の利を活かし大型の選手団を派遣してきた。そして辛うじて4年に一度の祭典は体裁が整った。ただ、多くのアジア勢と一部の中南米、アフリカ諸国の選手ばかりが活躍する大会はまるでアジア・アフリカ大会のようであった。
 
 オリンピック期間中、銀座、新宿、渋谷などの都内の盛り場やオリンピック会場周辺に多数の物乞いが現れた。オリンピック観戦と観光に訪れた外国人を当てにする日本の子供たちや親子だ。裏通りには春を売る女たちも現れた。物乞いや春を売る女はオリンピックの前から出没し始めたが、オリンピックを機に爆発的に増えた。
 また、地下鉄や近郊を走る電車の車内、新幹線の駅構内、空港などで、多数の外国人がスリの被害に遭うようになった。安全で安心で清潔な日本の姿は懐かしい郷愁になっていた。
 とはいえ、日本経済はオリンピックに関連する需要に支えられてなんとか収縮は免れてきた。本来なら早急に手を付けなければならない多くの課題はすべてオリンピックが終わるまでは我慢、我慢と先延ばしにされた。
 
 しかしオリンピックは終わる。祭りは終わる。嫌でも宿題が目に入ってくる。国の長期債務は1500兆円を超えた。オリンピック閉幕直後から下がり始めた日経平均株価は6千円を割り込み5千円割れをうかがう様相だ。2013年当時の政府が目論んだインフレがここにきて日の目を見た。しかし、その時政府が想定していたような穏やかなものではない。年率15%を超える暴走だ。日本経済の信用は地に落ちた。投機マネーの日本売りは続く。首切りは日常茶飯事だ。失業率は20%をとうに超えた。
 
 サラ金、コンビニ、パチンコ屋、貴金属店や資産家の豪邸など現金がありそうなところへの襲撃、強盗事件が毎月のように起るようになった。そして、中には殺人事件に発展するものまで出始めた。狙われそうな店舗はガードマンを常駐させて警備体制を固めた。しかし、よほどの資産家でもなければ自宅にガードマンまではおけない。増税は我慢するとしても殺されてしまったら元も子もない。富裕層の国外逃避が始まった。




第2章 木の心
1.虎ノ門
 エレベータを降りて右側の廊下を進む。廊下の両側は法律事務所、公認会計士事務所、コンサルタントなど比較的小振りなオフィスが並んでいる。静かなビルだ。照明は控えめで無機的な内装だが清掃は行き届いている。突き当たりにすりガラスの自動ドアがあった。
 ドアが開くと正面と両側は暗いいぶし銀の壁だ。天井はダウンライトが逆光になって良く見えないが屋久スギのようだ。床は濃く着色したミズナラのフローリング。正面の壁の中ほどに床から天井まで幅1mほどの厚い木の板が据えられている。赤みを帯びた鮮やかな木目をダウンライトが照らしている。目の高さあたりに「KPW」の金属のロゴが配されキラリと輝いている。
 虎ノ門ヒルズ近くの25階建てビルの17階にある神村のオフィスだ。ホテルでチェックインした後、部屋に荷物を置き、神村に電話を入れてオフィスにいること、30分くらいなら時間が取れることを確かめ、ここに来た。

 ロゴを配した木の板の右横にインターホンがあった。ボタンを押すと女子社員の声がしたので「旭川の芳野といいます。社長にアポイントは取ってあります」と告げる。少々お待ちくださいとの応答があり、待っているとインターホン横のドアが開き、濃紺のタイトスカート、白いブラウス、黒いヒールを履いた背の高い女性が深くお辞儀をし「お待ちしておりました。どうぞお入りください」と招き入れてくれた。
 ドアの奥は応接室だった。誰もいない。左右の壁は漆喰で、腰板にブラックウォルナットがあしらわれている。正面も漆喰だが腰板はない。中程にジョルジュ・ブラックの絵が1枚掛けられている。床は同じくミズナラのフローリングだがオイル仕上げで少し明るい感じがする。黒いガラストップのテーブルの周りを黒い革張りの大ぶりなソファが据えてある。落ち着いた佇まいだ。ドアの方を振り返ると、ここも漆喰の壁だが、真ん中に大きなディスプレイが埋め込まれている。
 
 女性は私にソファを勧めることはせずそのまま応接室を通り過ぎ、奥にあるドアを開いて中に招き入れた。そこは事務室だった。男性社員3人と別の女性社員1人が一斉に立ち上がり、口をそろえていらっしゃいませと挨拶してきた。突然のことで一瞬言葉を失い頼りなく会釈だけをした。女性は事務室横のドアをノックし、芳野様がお見えになりましたと告げ、社長室に入るよう促した。
 社長室の床は灰色のPタイルだった。部屋の左手奥に少し大きめだが何処にでもあるようなスチール製の机が据えてある。その横から神村が笑顔で近づいてきて握手を求めた。

 「久しぶりだな、元気そうじゃないか。北海道はどうだ。まぁ座れ」
 肉つきの良い日焼けした顔で早口に話しかけ、隅が剥げた布張りのソファに座ったかと思うとすぐにタバコに火をつけた。
 「まだ吸ってるのか。いまどき珍しい人種だな。まあ元気はつらつって感じで何よりだけど」
 部屋を見回すと、机の上にデスクトップのパソコンが1台と灰皿。デスクの隣に大きな会議机があり、上に図面が広げられている。会議机の周りには車の付いた椅子が5脚。右側の壁際に応接室で見たものと同じくらいの大きさのディスプレイとスチール製の書棚がある。左側の壁に建設会社のカレンダーが吊ってあるだけで装飾は一切ない。
 「あっさりしたものだろう。社長室らしいのはドア横の看板だけだ。作業部屋だよ。何もない方がイメージが湧く。余計なものは要らない。頭の中がアトリエだ」
 「なるほどね」のっけから仕事の話、相変わらず仕事熱心な奴だ。
 「イメージが湧いてくるとな、紙に下手糞な絵を描く。あとは腕の良い専属のデザイナーがコンピュータを使って上手くまとめてくれる。俺はそれを確認して修正する。二人三脚だ。勿論現物にはかなわない。所詮イメージだ」
 レンズの上だけ金縁の眼鏡を掛けた、早口でしゃべるこの男が以前中央官庁の役人だったとはとても思えないなと妙な感慨が浮かぶ。
 
 私が3年前まで勤めていた農務省森林局で同期だった神村は、同期の中で最初に課長に昇格した。当時44歳だった。担当は木材の流通、加工に関係する部署だった。
 少々けれん味はあったが有能で将来の森林局長候補と周囲から一目置かれていた。課長に就く前から木材関係の業界に人脈を持っていたが、課長就任後さらに人脈を拡げ、この業界での地歩を固め、ゆくゆくは政界進出を目論んでいるのかとの噂もあった。
作品名:画-かく- 作家名:芳野 喬