画-かく-
ようやく与党、政府が危機感を覚えるようになる。庶民が喜びそうな政策を早急に打ち出さないとまずい。パンチのあるバラマキ政策だ。しかし、欧州の経済危機のあおりで超がつくほどの不景気だ。歳入は減る一方で、ここで赤字国債を増発したら日本も即刻デフォルトだ。
ある時からマスコミが富裕層と低所得者層との格差問題を盛んに取り上げるようになった。庶民の貯蓄額の減少率と富裕層の資産の増加率が比例するという研究報告がニュース番組で報じられた。高額な食料品を飼い犬に与える富裕層の暮らしぶりがバラエティー番組に登場した。海の見える邸宅に住み昼間からワインを傾ける富裕層へのインタビュー番組もあった。
確かに格差は拡大していた。しかし格差自体今に始まったことではない。それでも、報道の効果なのか庶民が富裕層に向ける眼差しが変わっていった。羨望から憎悪に。そして、その頃から高級住宅街でのピンポンダッシュが相次ぐようになる。夜間に屋外に駐車していた高級外車に対するイタズラが頻発する。リゾート地の別荘の空き巣ねらいも連続して起きる。誘拐をかたるいたずら電話で毎月のように逮捕される者が出る。そして、資産家を狙った強盗事件まで発生した。
富裕層をターゲットにした嫌がらせや犯罪の発生は中央政府として好ましいことではない。それは安全、安心な日本への挑戦に他ならないからだ。しかし、庶民の不満のはけ口が富裕層に向いたと見るや、中央政府は富裕層に的を絞った増税策の実行に踏み切った。
「私たちが愛する日本は戦後最大の危機に直面しています。今こそ全ての国民が力を合わせてこの困難を乗り越えなければなりません。皆さん働きましょう。苦しい時は我慢しましょう。力のある人は力のない人を助けましょう」大きな身振り手振りで力説する高級スーツに身を包んだ総理大臣の姿をテレビが映し出していた。
画面を見る者は誰もいなし、話しに耳を傾ける者などいない。将来どころか来年の自分の姿、家族の姿を思い描けない労働者たちは暗い目で仕事に戻り、高齢者はわずかに残った蓄えを数え直してため息をついた。
そして、富裕層と言われる人たちは国を捨てる準備を始めた。
15.チェックイン
フロントの女性が国民カードを読み取り機にタッチし、パソコンの画面を見つめる。確認はすぐに終わり、滞在期間を延長する予定があるかと問われ、ないと答える。
「滞在中画外に出られる予定はございますか」
「明日新木場に行きます。明後日は相模原に行く予定ですが」
「そうですか。ご存知だと思いますが画外は画内に比べますと治安は良くありませんので十分ご注意ください。夜間は特に。服装もあまり高級なものはお召しにならない方がよろしいかと思います」と言いながら私のスーツにさっと目をやる。
「それからホテルに門限などはございませんが、もし電車で画外に出られるようでしたら、帰りの電車は大体10時には終わってしまいますのでご注意ください。それ以降でも勿論画内に入ることはできますが、相当なお手間が掛かりますので」
「大丈夫だと思うけど、もし乗り遅れたらどうすればいいの?」
「タクシーで最寄りの「24時間関所」の「入画ゲート」前まで行きます。タクシーを降りられましたら「入画ゲート」をお通りください。ゲートを通られましたら、シャトルバスが停まっていますのでそれに乗っていただきます。シャトルバスは境界ゾーンを越えるためだけのものです。シャトルバスを降りられましたらもう一度入画ゲートを通っていただきます。そこを出られますと画内のタクシー乗り場がありますので、それがよろしいかと思います」
「関所?24時間?入画ゲート?」
「はい画を越える道路は首都高を含め全部で131路線ありまして、それぞれに名前と番号が付いています。例えば首都高羽田線にあるゲートは首都高羽田ゲートでセクション1になります。関所はセクションをもじったものだと思いますが、普通はシュトイチ関所などと呼ばれています。そうですね、例えば木場の方面でしたら永代橋もゲートになっていますので永代関所ですね。番号は分かりかねますが」
「へえ、セクションだから関所ね」
「それから24時間と申しますのは、131の関所があると申し上げましたが、そのうち3分の2は通行時間が限られています。画内行きは朝5時から夜9時まで、画外行きは朝5時から深夜1時までです。それ以外の時間は閉鎖されます。残り3分の1だけが24時間通行できますので、これらを24時間関所と言っています」
「あと、入画ゲートって言ってたけど」
「はい、入画ゲートですね。ゲートと申しましても外観は駅のICカードの改札口とほとんど同じです。ちょっと大き目かなと思うくらいです。国民カードを読み取り機にタッチしていただければバーが開きます。駅と違うのはゲートの近くに駅員さんじゃなくてお巡りさんが立ってらっしゃるくらいです」
「閉鎖時間が違うのはどうして」
「維持管理の問題もあるんでしょうけど、夜間はなるだけ画外から画内に入る人を減らしたいんじゃないでしょうか。よく分かりませんが」
「何となく分かったけど窮屈なんだね。それはそうと画外ってそんなに危険なの」
「いえ、私も画外に住んでいますのでそれほど危険なところじゃないと思います。ですが、画内に比べると画外の方が犯罪が多いのは事実です。犯罪とかじゃなくても喧嘩みたいなものとか酔っ払って大声上げているオジサンとかはたまに見かけますね。画内にいると本当に静かで安全だなぁって思います。ですから長く画内に暮らしていらっしゃる方がたまに画外に出ると波長が合わないというか、変なトラブルに巻き込まれたり、身なりの良い人はタカられたりするようです」
「それでもあなたは画外に住んでるんだよね」
「私は4種ですから」
「それは失礼」
「いえ構いません。負け惜しみじゃないですけど画外の方がいろいろな方がいて人間らしくて断然面白いんですよ。食べ物も安くて美味しいですし、物価も安いでいすしね」
彼女がルームキーと宿泊カードを手渡しながら、私の後ろに目をやった。いつの間にかチェックインの客が後ろに控えていた。キーを受け取り「貴重な情報ありがとう。じゃあ4日間お世話になります」といってエレベータに向かうとき、国際線画内駅から電車に乗ってきたビジネスマン5人組とすれ違った。私の顔を覚えていたのか中の一人がニコリと微笑んだ。
16.オリンピック
2020年、東京オリンピックが開幕した。新国立競技場の建設は遅れに遅れ、細部は仮設の状態で済ませ、ぎりぎり開会式に間に合った。
開会式に選手団が入場してくる。ギリシャとポルトガルには選手団を派遣できる財政的余裕などなかったが、オリンピック発祥の地の面子を掛けてギリシャは30数名の選手団を送り込んできた。一方のポルトガルは10数名、スペインは40数名という選手団だった。