画-かく-
ところが、新興国の経済が急成長し、それに伴って新興国の国民消費が拡大すると新興国の食料品市場の方が魅力的に見えてくる。経済が低迷し国内消費も伸びない日本よりも新興国の方が発展するに違いない。これまで過酷な労働を強いられ、差別的な言動や視線、労働条件に耐えて技能を習得した実習生たちに未練などあるはずがない。日本の洗練された農業技術を携え、自分たちの国か、もっと儲かりそうな国に新進気鋭の農業経営者として凱旋していった。
そんな時に起こった食料危機だった。担い手は国外に出て行ってしまった。一度荒らした農地はすぐに元には戻らない。元に戻すためは時間も予算も必要だ。大急ぎで農地を復元しても、肝心の土づくりが待っている。作物が育つ土壌を一から作り直さなければならない。
そして、担い手も育てなければならない。自然相手だから付け焼刃のマニュアルは役に立たない。家庭菜園なら栽培に失敗してもあきらめれば良いが、ことビジネスとなれば話は別だ。地球温暖化は着実に進行し、気象条件は苛烈さを増していた。作物や家畜を育てる条件の厳しさはひと昔前の比ではない。増産どころか国内の生産量を維持することすらままならない。
どうしたら食料自給率を高められるのか。学者や役人は施策論争や技術論争を続けていた。だが、役に立ちそうな具体的な提案は一向に出てこない。万事休すかと思われた。
しかし、起死回生の答えが見つかった。簡単なことだ。農家を一軒一軒回り、第一線を退いた高齢者に指導を仰ぐことだった。指導者として再登板してもらうのだ。勿論、期待した人たちのうち、かなりの数の人が既に亡くなったり、指導する体力を失っていた。
それでも、気骨ある人たちは、これまで輸入品に頼って自分たちを蔑ろにし続けた仕打ちに不満も言わず、わずかに残った体力を振り絞り、情熱的に素人たちに技術を伝えた。そして、指導を受けた人たちがさらに技術を伝えて技術が徐々に拡がり、定着していった。そして、オリンピックが開催された年の3年後には食料自給率が7割を超え、ようやく庶民にも必要な量の食料が行きわたるようになった。
ただ、オリンピック前後の数年間は、庶民にとって第2次世界大戦直後と変わらない飢餓の時代になった。しかも、一度飽食の時代を経験した人たちにとって、その苦しみはより深く鋭いもので、その後も長く記憶の底に留まり続けた。
13.国民カード
ホテルのフロントは空いていた。フロントの女性に名前を告げ、国民カードを手渡す。女性がカードを見てクスッと笑い「実用的ですね」と言った。
私のカードの裏面は私の名刺をそのまま印刷してある。表面はわが社自慢の北海道の自然林の風景だ。裏面の名刺は簡易な身分証明書として使えるし、紛失したときに戻って来やすいと考えたからだ。それに妙に凝ったデザインにするのも嫌だった。
画内の居住権、入域許可は全て国民カードに入力されている。私のように画内に比較的自由に出入りできる権利があればその情報も同様だ。
国民カードは2021年に第3世代のマイナンバーとして導入された。国民カードの導入を機に、カードの取得は全ての国民に義務付けられるようになり、出生届を出せば同時に発行される。そのとき交付された番号は死ぬまで変わることはない。カードの管理は18歳になるまでは親が責任を負うことになっている。ちなみに国民カード導入の少し前に成年年齢は18歳に引き下げられている。
国民カードには住所、生年月日、家族構成等の基本的な情報のほか、社会保障、所得、納税額、首都強化法施行後は画内居住権の種類等の公的な情報、診療履歴などありとあらゆる情報が入力されている。さらに、所有者が望めば銀行カード、クレジットカード、鉄道のIC機能なども載せることができ、コンビニ、飲食店等のポイント管理までできる。
カードは、表面の右下に生年月日と名前を漢字とアルファベットで入れることが義務付けられているが、表面、裏面のデザインなどの制約はない。公序良俗に反しない限り何でも良く、カードの表面の印刷は電気店、オフィス用品店等で簡単にできる。デザインが気に入らなければいつでも好きなように変えられる。デザインで多いのは、子供の写真、アイドルの写真、有名な絵画、風景、鉄道写真などだ。
国民カード制度が導入された当初は個人情報が守られない、資産内容が明らかになるなどの批判が絶えず、国民の多くが抵抗感を持ったが、徐々に馴れ、1枚で全てのことが処理できる便利さに負けて、今では大半の者がカードに銀行カード、クレジットカードと鉄道のIC機能を載せている。
また、カード決済が当たり前になったため現金を受け取らない店が増加し、現金を受け取る店でもお釣りを十分に用意していない店が増え、現金で支払おうとすると店員から露骨に嫌な顔をされることも多い。
そればかりか現金で支払いをする者は何か特別な事情がある者ではと怪しまれかねない。そんな訳で今では、財布を持たないのが普通になり、福沢諭吉が何円札だったかすぐには思い出せなくなった。
特に画内では、どの様な取引であっても国民カードに載せられた銀行カードかクレジットカードで行うことが法律で義務付けられており、現金は一切使えない。つまり、国民カードがないと宿泊はおろか、コンビニでの買い物も、食事も一切できないことになっている。
その理由は簡単だ。国民カードに居住権か入域許可が入力されているからだ。もし、これらが入力されていないカードを使ったとすれば、そのカードの持ち主は即刻、違法入域者と断定され直ちに情報が警察署に伝達される。同時に、街中に張り巡らされた看視カメラがカードの持ち主を追跡し、たやすく逮捕されてしまう。つまり居住権か入域許可を持つ者以外は画内で生活できなくしてあるのだ。
では、外国人の場合はどうなのか?彼らには「居住証明カード」が発行されており、彼らがクレジットカード決済する時に同時に証明カードを提示すればよい。また、外国人旅行者の場合はクレジットカードと同時にパスポート、日本人旅行者の場合はクレジットカードと同時に国民カードを提示すればよい。
14.格差
平穏な国なら、オリンピックを間近に控えて国民は皆浮き立つ思いを膨らませていたはずだ。
しかし当時の日本は、職を失った者たち、失業の恐怖におびえる者たち、倒産におびえる中小企業経営者たち、いわゆる庶民といわれる人たちに食料品や日用品、原材料の価格高騰が重くのしかかり、最低限の暮らしを維持することさえままならない状態に陥っていた。
各地で大規模な集会が開かれ、デモ行進が日常茶飯事になった。但、スーパーや商店に対する襲撃は二度と起こらなくなった。敵は彼らではないのだから。
敵は中央政府か、中央政府に守られた大企業だ。国会周辺でのデモが頻発し、首切りに精を出す企業はインターネットに実名がさらされ、それらの企業に対するデモもあちこちで起こった。
早急に何らかの手を打たないと政権が転覆してしまうかもしれない。
強欲な大企業も政府に泣き付いてくる。こんな状態が続けば本社も工場も海外に移転せざるを得ないと。