画-かく-
ある時、後者のフィールドに立つ一部の者が気付く。自分たちのフィールドが狭いこと、雨が降ればぬかるんで足を取られること、晴れれば雑草が生えた凸凹の地面に砂ぼこりが舞い立つことを。そして、彼方に広大で光あふれ緑したたるフィールドを見る。自分たちが決して立ち入ることの許されないフィールドだ。同じ人間なのに同じ日本人なのに何故フィールドが違うのか?
この国には二つのフィールドがあった。2種類の国民が生きている。前者と後者だ。同じ国に住み、同じ空気を吸い、交りあって暮らしてはいるが、立っているフィールドだけが違う。上位のフィールドと下位のフィールドは決して交り合うことはない。
こんな悪夢のような国を存続させておく訳にはいかない。上位のフィールドを粉々に破壊しない限り、下位のフィールドに立つ自分たちに陽が射すことはない。
マスコミや学者、官僚たちの結論は今回のテロ事件を貧困問題、格差問題の果てに生み出された惨劇であると結論づけた。マスコミや学者はこの国の深層、病巣に迫ることはなかった。それは彼ら自身が上位のフィールドに立ち、下位のフィールドを慈悲深く見おろしていたからだ。
富める者たちは貧しき者たちを救済しなければならない。貧しき者たちに手を差し伸べ、少しでも生活を豊かにしてやらねばならない。そうすれば貧しき者たちは日々の不満を和らげ、小さな幸福に感謝し、この国を受け入れるようになる。そして過激な行動に走ることはなくなるだろう。
しかし、それだけで十分だろうか?貧しき者たちを救うことはテロや犯罪を減らす上で効果はあるだろう。だが、世の中には不満を持ち続ける輩はいる、常識から外れた連中もいる。救済するのは良い、援助するのも良い、しかしそれだけで安全な暮らしは保障されない。もし、本当に安全な暮らしが守られるのなら少しくらいの負担は惜しまない。身の回りからテロや犯罪の恐怖を排除してほしい。テロや犯罪のない安心して暮らせる場所を造ってほしい。
上位のフィールドの中心に身を置き、上位のフィールドの代弁者である政治家や官僚は、富める者たちの声に押され、または国外に逃れようとする富める者たちを引きとめるため、上位の者たちに「安息の地」を創ることを決めた。
上位の者たちが、安息の地で暮らし、安息の地で働き、世界を相手に金を荒稼ぎし、この国を富める国にしてくれれば良い。勿論、安息の地の住民になるためには応分の負担はしてもらう。つまり税金だ。富める者たち、富める企業にはしっかりと税金を払ってもらう。集めた税金の一部は勿論貧しき者たちへの救済、扶助に充てる。富の分配だ。そうすれば、すべての国民が満足するに違いない。日本はさらに繁栄し、さらに富める国になるだろう。
上位の者たちのためだけに創られた安息の地、極限までセキュリティー機能、情報機能を高め安全と安心と利便性が約束され、惜しげなく予算を使って整えた美しく快適な楽園、それが画だ。
第6章 再生
1.相模原
ホテルで朝食を済ませてから五反田に行き、「U&Q」でジーンズとブルゾンを買った。相模原に行くのにスーツではまずい。予想外の買い物になったがトラブルを避けるためには仕方がない。靴はいま履いているのが黒のウォーキングシューズだから問題ないだろう。
保坂と落ち合うのは相模原市の橋本駅で午後1時だ。五反田から一度ホテルに戻り、画外仕様に着替え、すぐに橋本駅に向かう。何線を使うか少し考えたが、品川からならJR線が早いだろう。途中で境界を越えなければならないので余裕を見ておいた方が良いだろう。早めに橋本駅に着けば、駅前でかるく昼食を取りながら保坂を待てばいい。
京浜東北線で新大井行きに乗る。新大井駅も画が設けられてから出来た駅だ。画内駅で降りて、出画ゲートを通過し、シャトルで境界ゾーンを越え、もう一度出画ゲートを通れば画外だ。昨夜のことを思い出して少し緊張する。服装は大丈夫だろうか?上手く周りの雰囲気に溶け込めているだろうか?周囲を見回す。何も変わったことはない。私を見とがめるような視線は何処からも感じない。当たり前だ、サファリパークに裸で飛び込んだ訳じゃないんだから。
新大井の画外駅には大船行が停車していた。始発なので座ることができたが、発車間際には立っている乗客もいた。スーツ姿が一人だけいた。相当くたびれたスーツだ。あれくらいなら問題ないのだろうか。そのほかの男はダウンジャケットやブルゾンだ。下はジーンズかチノパンか。作業着の上下という人も結構いる。勿論制服を着た学生もいる。女も同じようなものだ。画内に比べるとはるかにラフな感じだ。自分の服装が周りと変わりないので随分リラックスできる。今日も良い天気だ。昨日よりさらに暖かく感じる。先ほどの緊張感はどこへやら眠気が襲ってきた。私もいっぱしの画外人だなと少し嬉しくなる。
電車は各駅に停車し、乗客が乗り、降りていった。のどかな早春だ。窓の外には住宅が密集し、小ぶりなマンションも見える。小さな公園があり、子供たちが遊び、母親が子供を眺めている。町工場があり、トラックが行き交い、乗用車が走っている。駅前には商店街があり、日々の営みがあり暮らしがある。そういえば森下君たちのアパートもこのあたりだろうか。案外住みやすそうじゃないかと思う。
電車が東神奈川駅に到着した。ここで横浜線に乗り換える。少し待っていると八王子行きが来た。ここまで来ると、そこが画外であることを全く意識していないことに気付いた。横浜線は京浜東北線に比べて少しローカル色があった。春の陽気に包まれた郊外電車の小さな旅だ。いくつかの駅で停車と発車を繰り返し橋本駅に到着した。
駅周辺は想像していたようなのどかな田園風景ではなかった。商業ビルやビジネスホテルが立つ郊外のちょっと賑やかな街の佇まいだ。少しがっかりした。時計は12時25分を指していた。駅前にハンバーガーショップがあったので入り、ハンバーガーとコーヒーを注文した。ハンバーガーとコーヒーはお世辞にもおいしいと言える代物ではなかったが、空腹を満たし時間がつぶせれば十分だった。
1時を少し回った頃に白い軽トラックが唸りを上げてやってきた。手を振ると、窓が開いて日焼けした保坂が顔を出して手招きをした。軽トラックのところまで走って行き素早く助手席に乗り込んだ。座るや否や保坂が軽トラを急発進させた。危うくむち打ちになりそうだった。床には乾燥した泥と草がこびりついていた。シートもザラついていた。私の服装も画外仕様だから構いはしないのだが、保坂の日焼けした横顔を見ながら、人生と同様に運転も乱暴な奴だなと思った。
2.保坂
「久しぶりだな。真っ黒で元気そうだ。商売は繁盛してるんだろう?」
「ああ。商売の方は順調だ。芳野も元気そうじゃないか。北海道の水が合ってそうだな。3年振りかなお前に会うのは?」
「そうだね。僕が農務省を辞める前だから」
「遠路来てもらって悪かったな」
「いや、丁度上京する用事があったからね。しかし、君の顔を見てると昔バンカーだったとはとても思えないな」
「ははは。俺自身昔バンカーだったとは思えないよ」