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画-かく-

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 助教はMCジャパンの中では経済的に恵まれていた方だ。だが、大学の教官といっても世間が想像するような高給取りは有名大学の教官だけだ。しかも、この男の場合40歳を過ぎて教授どころか准教授の目もなかった。恨みは経済的なものだけではなかっただろう。
 それ以外に事件に関与したメンバーも似たり寄ったりだ。年収300万円から600万円の家庭の出身者が多かった。幼少期は皆学業成績が良く真面目な子供たちだった。しかし彼らの才能、能力を思う存分伸ばす機会に恵まれることはなかった。
 事件当時年収が辛うじて600万円を上回っていた助教を除き、全員が年収600万円以下の階層の出身者で、事件当時もその階層に留まったままだった。
 
 マスコミや大衆が導き出した結論は貧困であり格差だった。貧しい者たち、貧しいが故に将来に夢を描けない者たちが、社会や国家に対して恨みや怒りを増幅させ、富める者たちを襲撃したという構図だ。
 その根拠とされたのが犯行に加わった者たちのうち助教を除いて全員が年収600万円以下の階層だったからだ。もっとも助教にしても600万円をわずかに上回っていただけだが。
 しかし、仮に全員が600万円以下の階層だったとしても、そのことが貧困を要因とする根拠にはなりえない。何故なら、国民の7割近くがその階層に入っていたからだ。貧困が要因だとすれば、半分以上の国民がテロリスト予備軍になってしまう。また、MCジャパン関係者の中に、今回の事件には加わらなかったが年収1200万円を超える者も2名いた。邪悪なテロリスト集団といえども所得階層は日本全体の構成を反映したものだった。但、彼ら2人のことに触れるマスコミや評論家、学者はいなかった。折角見つけた答えを揺るがせたくはないから。


19.山手線
 ビルを曲がると東京駅が見えた。レンガ造りの駅舎がライトアップされている。駅構内に入り、高く広いドームを見上げながら改札口に向かう。改札口を抜けるとコンコースだ。山手線ホームに向かう階段を昇る。駅構内は驚くほどに明るく綺麗になった。昔のように混雑もしていない。ビジネススーツにコートを羽織った人たちが多い。
 ホームはベージュ色に塗装され汚れが見えない。電車を待つ人の数も多くない。朝晩は少しは混雑するのだろうか。駅員の姿は見えない。ただ、無数のカメラがホーム天井に設置され、死角はなさそうだ。
 5分ほど待つと外回り電車が入ってきた。もちろん運転手はいない。アルミのボディーに緑のラインは健在だが、車両が幾分小さくなり、凹凸がなくなってシンプルだ。ホームドアと車両のドアがほぼ同時に開いた。降りてくる人はほとんどいない。
 27年に開業した中央リニア新幹線の最終が出た後だろう。大阪や博多の画内間を結ぶ長距離新幹線も到着列車があるだけだ。以前なら東京始発の東海道線や東北本線、中央線があったが、今は在来線の東京駅始発はなくなり、全て画内の端から端を行き来するだけだ。
 だから、この時間に東京駅で降りる人は、画内間の長距離新幹線やリニアで到着して画内の自宅に帰る人たち、駅周辺のホテルに泊まる人たち、駅に近い超高層マンションに暮らす人たちくらいだ。
 
 山手線の車内は空いていた。乗り合わせた車両には30人くらいしか乗客はいない。外装に負けず車内もシンプルだ。クリーム色に統一された車内に濃紺のシートが据えられている。但し、この車両も凹凸が少なく死角がない。棚はあるがパイプの隙間が広くて不審物が置かれても判かりやすくしてある。カメラが至る所に取り付けられている。ディスプレイが大体1mおきに設置され広告が流れている。中吊り広告はない。
 窓の外を眺めると、昔あったようなネオンサインや蛍光灯に照らされた広告看板は一つもない。高層ビルの壁に巨大なディスプレイが並び、高級そうな酒やリゾート地の広告が流れている。
 有楽町駅で何人かが静かに降り、何人かが静かに乗ってきて、同じように新橋駅でも人が降り、乗ってきた。浜松町駅、田町駅、泉岳寺駅でもそれを繰り返し、品川駅に到着した。
 
 時計の針は11時を少し回っていた。駅前は街灯が程よい間隔に点され、カフェや飲食店の多くが賑わっていた。30代から40代のサラリーマンや外国人旅行者が寒さをものともせず楽しそうに会話し盛り上がっている。これも山手線の終夜運行の賜物か?
 賑わう店々の前を通りすぎホテルに向かう。ホテルのロビーは、土産物らしい大きな包みを抱えたアジア系の人たち、酒で頬を赤くした白人のビジネスマンたち、少し派手目のジャケットを着た日本人男性のグループなどが行き交っていた。そんな彼らの横をすり抜けてフロントに行き、ルームキーを受け取ってそのまま部屋に上がった。
 
 カーテンを開けると、JR品川駅をはさんだ対岸に超高層のビル群が並んでいた。3月の冴えた夜気のせいでビル群の窓の灯りが鮮やかだ。半分以上の窓に灯りが点っている。この辺りはグローバル企業や外資系が多いので、業務は24時間体制なのだろう。そのため深夜に働く人も大勢いるに違いない。
 窓のはるか下、品川駅の10本のホームがLEDの冷たい灯りに照らされている。人の姿はホームの屋根に遮られて確認できない。電車が何本か到着し、発車して行った。もう少しすれば終電だ。終電を見送ったホームには束の間の安息が訪れる。
 ただ、終夜運行の山手線ホームだけは別だ。24時間、働く人たちを迎えて、そして送り出す。山手線は今夜も静かに画の中を回り続ける。そして朝を迎え、昼になり、また次の夜が来る。


20.フィールド
 貧困にテロの要因を求めることは安易に過ぎるが、貧困自体が大きな問題であることに変わりはない。貧困であるが故に将来の夢を絶たれる子供たち、若者たちがいる。
 貧困は大きな要素だが、それ以上に大きな闇がある。この国には奪う者たちと奪われる者たちがいるという事実だ。支配する者たちと支配される者たち、富める者たちと貧しき者たちがいるという事実。
 これを格差というのだろうか?多分違う。最初は格差だった。格差とは同じフィールドに立って、その中で優劣が生まれることだ。しかし、今、この国にあるのは分断だ。プレーできるフィールドは生まれ落ちた時から既に決まっている。
 奪う者たちのフィールドと奪われる者たちのフィールド、支配する者たちのフィールドと支配される者たちのフィールド、富める者たちのフィールドと貧しき者たちのフィールドだ。
 運悪く後者のフィールドに生まれ落ちれば死ぬまでそのフィールドでプレーし続けることになる。そのフィールドでいくら活躍しても得られる果実の大きさはあらかじめ決められている。しかし、運よく前者のフィールドに生まれ落ちれば、無限の可能性が用意され、実力により優劣は生じたとしても、欲をかかなければ相応の暮らしが保障されるのだ。
作品名:画-かく- 作家名:芳野 喬