画-かく-
平和ボケの日本だから狙われたのではないか?テロはどこでも起こる。PKFに派遣しようがしまいが、テロの脅威は迫っていたはずだ。日本は安全だと高をくくっていたからすきを突かれたのだ。国内の治安機能を高めておけばそんなに簡単にテロ事件など起きなかったはずだ。
貧しさが原因ではないか?狙われたマンションは富裕層が暮らす高級マンションだった。狙ったのは金銭的に恵まれず、将来の希望が見えない若者たちだった。彼らが世間に対する不満を膨らませ、富裕層を狙ったのだ。テロが多発している国にはどこも貧困問題がある。
景気が少し良くなったくらいで浮かれているから罰が当たったのではないか?宗教に対してもあまりにも鈍感だ。ハロウィーンの日に狙われたのが象徴的だ。何がハロウィーンだ。何でもかんでもミーハーに飛びつくからだ。
庄田と名乗る男と爆弾を製造していた男の二人は未だ消息を絶ったままだったが、事件の全容がある程度明らかになり、同時にMCジャパンのメンバー構成も明らかになった。
MCジャパンのナンバー1は在日ムスリムの男で、この男は山梨の別荘で爆死した。ナンバー2が私立大学の助教で、爆弾を隠した車に乗っていて検問に遭い逮捕された。ナンバー3が実行犯を率いた庄田と名乗る男で今も逃走中だ。実行犯の二人は何者かに殺害された。爆弾を製造していた男も逃走中だ。このほかに事件に関与していた者が四人いたが、一人は青酸カリを飲んで死に、一人は別荘で爆死した。残る二人は逮捕され拘留中だ。
この中で、曲がりなりにもイスラム教徒といえるのはナンバー1からナンバー3までの三人だ。あとは良く分からない。MCに強く惹かれていたことは間違いなさそうだが、果たしてイスラム教を信奉していたのかどうかはわからない。
何が彼らをテロ行為に走らせたのか。昼夜を問わずテレビ番組では評論家や学者たちが喧々諤々、自説を声高に語っていた。
17.大手町
電車は永代橋画内駅に既に停車していた。始発駅らしく車止めがある。まだ発車しそうない。ホームの時刻表を見るとすべて西中野行きだ。夜の10時台までは8分ごと、11時台でも大体10分ごとに電車があった。12時台も15分から20分ごとに運行され、深夜も1時間に2〜3本は運行されている。ホテルのフロントの女性が画内に入る終電の時刻は早いが、画外に出る電車は遅くまで走っているようなことを言っていたが、画内に限っては終夜運行されていた。
西中野も画が設けられてから出来た新駅に違いない。永代橋の画内駅と西中野の画内駅の間なら深夜も移動が可能ということだ。神村がメトロの画内線とJRの山手線は昨年から全て無人運転になったと言っていた。それだけ画内では安全が保たれているということだろう。駅構内は勿論、駅周辺もガチガチのセキュリティー機器で監視されているに違いない。
発車のサイン音が聞こえたので電車に乗る。先頭車両に乗ってみた。運転席の中を覗き込んでみる。まるで子供だ。計器がいくつか並んでいた。手動で運転ができるようにイスがあり、レバーの取り付け部やペダルは設置してある。勿論今は運転手はそこにはいない。
男の声で「西中野行きが発車します。閉まるドアにご注意ください。次は茅場町に停まります」とのアナウンスがあった。車掌もいないので勿論合成された声だ。運転手も車掌もいない電車が暗いトンネルの中をゆっくりと進んで行く。トンネルの暗闇の先に伸びるレールの輝きを眺めていると、遠くに駅のホームの灯りが見えた。茅場町の駅だ。大勢の人がホームに立っていた。電車が停まりドアが開くと一斉に乗り込んできて空席がすべて埋まり、つり革も半分近くが埋まった。次の日本橋駅でつり革はすべて埋まった。
仕事を終えて、これから西中野まで行き、そこでシャトルに乗り換え、画外駅からそれぞれ画外の自宅に帰っていくのだろうか。車内には疲れと安堵が充満していた。
大手町駅でメトロを降りた。久し振りの東京なので、地上に出てJR東京駅に向かうことにした。冴えた冬の大気を感じる。風はないが冷え込んできた。高層のオフィスビルが整然と並んでいる。見上げるとどのビルも10階あたりまでは石彫の装飾が施されているが、そこから上は無機的な機能本位の造りだ。窓の半分くらいには明かりが灯っている。夜空に下弦の月が浮かんでいる。
歩道に面した一階は高級ブランドの店が入り、どの店もダウンライトが春物のワンピースやスカートスーツ、バッグや靴を照らしている。閉店後の静けさが無人の店を感じさせる。レンガ敷きの歩道にはオレンジ色の街灯が点り、その下をビジネスマン、ビジネスウーマンが姿勢を正し、談笑しながら東京駅の方向に向かっている。決して急ぐことはしない。私もそれにならって歩いていく。街の一角に終夜営業のコーヒー店が見える。8割方席が埋まっている。深夜まで働く人たちが休息しているのだろう。
18.貧困
「自衛軍をPKFに派遣したのが間違いだった」こうした意見が大勢を占めた。これを否定する者はほとんどいなかった。しかし、今さらこんなことを言ってみても意味がない。もう派遣してしまったのだから。
また、間違いだったと気付いても、では今から撤収しますなどとは国の威信に掛けてできない。遠い他国に派遣した部隊だ。周辺には日本以外の国から派遣された部隊もいる。撤収を決めたとしても、実際に撤収するまでには多くの制約がある。
しかも、この国の政治家は、事柄が重大であればあるほど、緊急を要すれば要するほど、方針の転換ができない。要するにtoo lateなのだ。これがこの国の政治の常だ。
重い代償は払ったが、「派遣は間違いだった」という貴重な教訓を国民は得ることができた。
「PKF派遣はきっかけであって、原因は日本の社会のあり方だ」
PKF派遣で、偶然とはいえ自衛軍の犠牲になった人たちの親類縁者が事件を起こしたのなら復讐ということで理解できなくもない。しかし、事件を起こしたのは中東から遠く離れた日本に暮す日本人たちだった。日本人が自国を攻撃したのだ。イスラム諸国へのシンパシーはあったにせよ、日本に対して、日本人に対して恨みや怒りを持っていたから標的にしたのだ。
では、恨みや怒りの原因は何だったのか?犯人たちは皆貧しき者たちだった。実行犯たちは3人とも裕福な家に生まれてこなかった。皆相応の能力と希望があった。若者らしく未来に向かって挑戦した。しかしいつかの時点で社会の壁にぶち当たった。大きな壁だった。勿論本人たちの能力不足もあっただろう。だから社会が悪いと言い切るのは早計だ。しかし、貧しさが足を引っ張ったことは事実だろう。
MCジャパンの他のメンバーも貧しき者たちだった。在日ムスリムは平和で豊かな暮らしを夢見て日本にやってきた。日本人の妻を得て平和な暮らしは手に入れることができたが、何年経っても日本人として扱ってはもらえず、常に偏見と格差にさらされ続けた。