画-かく-
しかし、2回生の春休みに中東に3週間ほど旅行に出かけ、帰国後しばらくしてサークルを辞めた。サークル仲間には演劇への興味を失ったと言っていたが、辞める理由は具体的に言わなかった。仲間は中東への旅行が彼を変えたに違いないとは思ったが、本人が何も言わないので、引き止めることもしなかった。その後、学内で彼の姿を見ることもなくなった。
3人の接点はすべてがインターネットだった。MCに関係がありそうだということを除けば3人の間に共通するものは何もなかった。犯行前に一度顔を合わせただけで、それ以前にどこかで一緒に何か行動したという形跡は確認できなかった。
3人に逮捕状が請求され、家宅捜索を行ったときに市川市の男の自宅からパソコンが押収された。パソコンの解析から、事件は庄田と名乗る男がMCジャパンの幹部二人と共謀して計画を練ったこと、市川市の男と和光市の男の二人は事件の2日前にMCジャパンの指示を受けて杉並区の庄田のアパートに出向いたこと、そこで初めて3人が顔を合わせたこと、その時、MCジャパンの幹部は同席していなかったことが判った。
捜査当局はMCジャパンの幹部二人も特定した。そして、即刻特別指名手配した。庄田はナンバー3だった。トップは在日ムスリムで、13年間日本で暮らし日本人の妻がおり永住権も取得していた。ナンバー2は首都圏の私立大学の文学部史学科で中東の近現代史を教える助教だった。3人はいずれもイスラム教徒だった。ただ、どこかの時点でイスラム教の教義から大きく外れてしまったのだ。残る実行犯の2人がイスラム教をどの程度信奉していたのかはわからない。しかし、アクセスの履歴を見る限りMCに傾倒していたことは違いないだろう。
実行犯の二人以外にも、MCの関連サイトに頻繁にアクセスしていた者28人の周辺を捜査したが、このうち21人については事件に直接結びつくような証拠は得られず不審な動きも見られなかった。残る7人は所在が確認できなかった。7人全員かそのうちの何人かは事件に関与している可能性が高かった。ただ、7人に対して逮捕状を請求するだけの裏付けは得られなかった。
13.門前仲町
事務所で工場長と雑談しているとすぐに6時を過ぎた。事務所のメンバー8名と私の総勢9名がタクシー3台に分乗して店に向かう。門前仲町といっても駅からはかなり離れたところにその店はあった。居酒屋ということだったが店構えは料亭のようだった。立地は少々悪いが魚料理に定評のある店らしい。
工場の人たちと酒を酌み交わし、全てのスタッフと自己紹介をし合い、楽しい時間が過ぎていった。
いつの間にか時計の針が9時を回っていた。ホテルのフロントの女性は10時頃には画内方面行きの電車が無くなると言っていた。今夜は一人で入画しなければいけない。なにしろ経験のないことだからそろそろホテルに向かった方が無難だろう。工場長に断わってから、皆に挨拶する。
「盛り上がっているところ申し訳ありませんが、終電の時間が心配なのでそろそろ宿に戻ろうと思います。今日は工場長をはじめ皆さんと親しく歓談できて本当に楽しかった。ありがとうございました。まだ、料理もお酒も残ってますので、皆さんはどうぞごゆっくりしていってください」と言って腰を上げた。
「大丈夫ですか?この辺りは人通りも少ないので心配だな。送っていきますよ」市川が言う。
「大丈夫、大丈夫。門仲は何度か来たことがあるし。店の前の道を真っ直ぐ行けば大通りに出るし、そこを左に曲がれば門仲の交差点が見えるでしょう。女の子じゃないんだから。それに市川さんが抜けたら場が白けてしまう。大丈夫だから」
「そうですか?心配だなぁ」
「大丈夫、大丈夫。ところで会費は?」
「会費は工場長持ちです。というか工場の経費で落とします。今日は特別です。社外というか工場のメンバー以外のお客様との懇談はオッケーです。でも、一応本社には内緒にしておいてください」
「それは申し訳ない。でも本社も同じようなルールでやってるから問題ないよ」
心配する市川を振り切って外に出た。酒に火照った顔に3月の夜気が冷たい。挨拶回りの途中、車の中は少し暑く感じたくらいだったが、夜になると冷え込んでくる。暗い夜道を大通りに向かって足早に歩く。
突然、横の路地から若い男が二人出てきて道をふさいだ。横をすり抜けようとすると胸をドンと突かれた。転びそうになるのをこらえて体勢を立て直した。片方の男の手元が光っている。ナイフを持っているようだ。
「何だ、君たちは。何の用だ」
「お前は画内の人間だろう。ここはお前らの来るところじゃない。目ざわりなんだよ」
「君たちに文句を言われる筋合いはない。しかも私は画内の人間でもない。北海道だ。君たちこそ邪魔するんじゃない」
「ダメだね。スーツなんて着やがって。何様だあ?金持ってんだろ。出せよ。通行料だ」
「何が通行料だ。馬鹿を言うな。それに私は現金なんて持っちゃいない」
これ以上関わりたくない。とにかく店に戻った方が良さそうだ。ゆっくり後ずさりを始めたら、背中をドンと突かれた。後ろにも悪いのが二人いた。
不味い、はさまれている。どうやって逃げるか。前後どちらかに強行突破するしかなさそうだ。前はナイフを持ってるからリスクは大きい。やるなら後ろの奴らを突き飛ばして店まで一気に走れば何とかなりそうだ。
「こらっ!お前ら何やってる!警察だっ!」良く通る市川の声だった。事務所の若手二人も一緒だ。「覚えてろ!」月並みな捨てゼリフを吐いて四人が逃げて行く。助かった。
「やっぱり送って行けば良かったですね。何となく気になって出てきたら遠くで芳野さんが囲まれてるんだもの。若い衆二人を引き連れて助太刀参上つかまつったという訳です。やっぱり気を付けないと。あいつらはチンピラだから可愛いもんですけど。スーツ姿はやっぱり狙われるんだなあ。まあ、何事も無くて良かったです。もう大丈夫でしょうけど門仲の駅までお送りします。君たちは戻っていいよ」若手二人を返す。
「いや、申し訳ない。今朝もKPWの松田さんから注意されたんですが、まさか自分がこんな目にあうなんて。僕も甘いな。でも、スーツ着てるだけで何でこんな目にあわなきゃならないんだろ。高級品でもなんでもないのに」
「以前はこんなことなかったんですけどね。画が定着してからは画外の人間にとって画内は自分たちには縁のない天国のような場所になっちゃったんですよね。その分画内の人たちに対する反感も芽生えてきて。この辺りも画内で働いている人は沢山いるけど、彼らは画内に住んでる人間から顎で使われてるって、しかも安い賃金でこき使われてるって感じるみたいです。中には、まるで奴隷扱いだっていう奴までいる」
「そんなにひどいのかなあ?」