画-かく-
欧州の経済危機は当然日本にも大きな影を落とす。経済危機で信用を失った欧州通貨ユーロは急落し、対ユーロ80円という超円高ユーロ安をもたらした。対ユーロだけではない。米ドルに対しても超円高になった。円安を追い風に輸出を伸ばし、わが世の春を謳歌してきた日本の大手企業は急速に業績を悪化させ、赤字の坂を転がり始めた。欧州の後を追って日本も長く暗いトンネルに入っていった。
早急な経済の立て直しを迫られた中央政府はお得意の公共事業を乱発する。滅多に車が通らない高速道路を山の中に建設し、採算の取れない新幹線を延伸する。国の借金はついに1400兆円を超えた。
1400兆円の大台に乗ったころから財政破たんの影が濃くなってきた。1400兆円もの借金を返せるのか?日本政府は借金を返すつもりがないのではないか?徐々に、しかし着実に国債の金利が上がっていった。想像もしなかったデフォルトが現実味を帯び始めた。
中央政府は焦る。財政を再建しなければいけない。すぐには無理だがとにかく何か手を付けなければならない。手っ取り早いのは歳出削減だ。早速、年金支給開始年齢を70歳に引き上げた。一方で、将来の世代に付けを残してはいけないと綺麗ごとを言って、物価が急上昇しているにも関わらず年金支給額は据え置くことにした。働かざる者食うべからずと生活保護費は切り下げだ。
一方で、急速に業績が悪化した大手企業は、非正規労働者の解雇を始めた。既に非正規雇用の労働者数が正規雇用を優に上回っていた。働き口のない、行くところのない、やることのない失業者が町中にたむろする姿が目立ち始めた。
間近にオリンピック開催を控えた国とは思えない風景が全国に拡がっていく。
ギリシャに端を発した欧州経済の混乱が世界に伝播していた頃、気を吐いていたのが第三世界の新興国だ。
旺盛な内需に支えられ着実に経済発展を続け、勢いは増すばかりだった。以前は先進国向けの輸出に大きく依存していた経済は、既に内需が主役になり始めていた。だから先進国経済が失速しても大きなダメージにはならなかった。
急拡大する国内産業を支えるため新興国は大量のエネルギーや鉱物資源を必要とした。また、急速に発展する経済力を背景に新興国の国民は食料も大量に消費するようになった。そして、世界中の資源や食料を買い漁り、買い占めるようになった。
2013年以降持ち直したかに見えた日本経済だが、2017年に入ると徐々に収縮し始めた。かつて経済大国と言われた日本の経済規模は、絶対額ではさほど縮小しなかったが、急拡大する世界経済の中では年々その影が薄くなり、いつの間にか非力な9番バッターになっていた。円高と高い購買力を背景に資源や食料を優位に調達できた経済大国日本の姿はすでに無かった。
欧州の経済危機に始まる超円高は資源や食糧の輸入に若干有利に働きはしたが、貧弱な小金持ちの9番バッターは、猛烈な勢いで発展し旺盛な購買力を手に入れた新興国の敵ではなかった。
日本は必要な資源や食料を徐々に調達できなくなっていった。資源も食料も大半を輸入に頼ってきた日本に物不足の時代が到来した。黒字の貿易収支と円高を背景に食料供給の多くを輸入に頼り、安価な食料品の山に埋もれ、必要以上の消費を謳歌し、揚句の果て食べ残しという大量のゴミを生産し続けた飽食の時代はついに終わる時がきた。
7.画内行き直通電車
ようやく画内からの電車が到着した。各駅停車の成田空港行きだ。午後3時という時間帯だからだろう降りてくる乗客は少ない。
各駅停車といっても各駅に停まるのは画内に入ってからだ。画外の駅は全て通過する。画内で各駅に停まった後は再び画外に出て、成田空港まではノンストップだ。成田空港には第1、第2、第3の3つのターミナルがあるが、どのターミナルでも停まるのは画内駅だけだ。
2023年にJRが羽田空港に乗り入れると、京急はそれに対抗するため車両を大幅に改良した。特に画内行きの車両はシートの奥行きが深くなり座り心地も良くなった。それでもJR線に流れる乗客は多い。その分京急線は乗客が減り、結果的にゆったり座れるので京急線のファンは意外と多いようだ。運賃はJR線とほとんど変わらないが、私の場合ホテルが品川駅の近くなので品川に直結する京急線の方が若干早いし快適だ。
電車が発車した。画内駅を出るとすぐに隣の画外駅が見えてくるが、勿論この駅は通過する。画外駅のホームには乗客が溢れていた。しばらく走って国際線の画内駅に停車した。私の乗った車両に欧米系のビジネスマン、ビジネスウーマンの5人組が乗り込んで来て、車内が少し賑やかになった。彼らも品川泊まりかもしれない。しばらく5人でしゃべっていたが、そのうちに3人がパソコンを開いて仕事を始め、2人だけが幾分トーンを落してしゃべり続けていた。
電車はいつの間にか地上に出て、画外の駅を次々と静かに通過していく。蒲田駅で横浜方面からの本線に合流するが蒲田駅も静かに通過していく。車窓からはマンションや雑居ビルの連なりが見える。マンションのベランダには洗濯物やふとんが干してある。マンションや雑居ビルの間から家々の屋根の連なりが見える。沿線の人々の暮らしや営みを早春の日差しが包んでいる。穏やかな風景だ。
心地よい振動についウトウトとしてくる。いくつかの駅を通過し、南立会川駅を通過した途端「グリーンベルト」が姿を現した。
8.襲撃
物不足の影響は最初に庶民の暮らしを直撃する。首を切られ失業手当でしのぐ者、首切りは免れたものの首切りにおびえ賃下げ提案を飲まざるを得ない者、納入価格の引き下げを一方的に通告される下請け業者が増える中、じりじりと食料品や生活物資の価格は上昇していった。
次いで粉ミルク、豆腐や納豆がスーパーの棚に並ばない日が出始めた。ほとんどすべての食料品と日用品の価格が毎月上がっていった。かつて庶民でさえ週に一度は口にできた牛肉は、年に数回の特別な日のご馳走になった。サバやイワシでさえ価格が倍になり以前の高級魚と変わらなくなった。スーパーは他店との価格競争をする余裕などなくなった。価格競争以前に、売るべき商品が手に入らないのだ。スーパーの経営者が考えることはただ一つ、いかにして商品を確保するか?それだけだ。
万引きが当たり前になった。イタズラではない。買うお金がないのだ。正確に言えば手持ちの金で必要な物が買えないのだ。本来なら善良な隣人であった人たちが、空腹に泣き、あるいは涙を浮かべて空腹に耐える子供のためにやむなく万引きに走り始めた。もちろん万引きされるスーパーも必死だ。彼らだって仕入れるたびに商社やメーカーから仕入価格の値上げを迫られている。しかし、値段を上げればこれまで買ってくれたお客が買えなくなる。採算割れは日常茶飯事だ。ぎりぎりの綱渡りを続けていた。