画-かく-
「なるほどね。そういえばあの頃そんなことがあったね。一時的だったけど。このままいくと飢え死にする人が出るんじゃないかと心配になった。僕は森林局だからあまり関係なかったけど、食料関係の部局の人間は大変だったね。農務省の周りは連日デモ隊に囲まれるし、街宣車は走り回るし、庁舎に火炎瓶が投げ込まれたり、異臭騒ぎがしたりで。担当の何人かが追い込まれて亡くなったなあ。今じゃすっかり忘れて、またノー天気にやってるけど、本当に日本人て学ばないよね。それはそうと、何でうちの会社にしたんだっけ?」
「そうそう、それでしたよね。で、東京で勤め口を探そうということになったんですけど、あの頃はめっちゃ景気が悪くて。三流大学卒の中途退職者を採用してくれるところなんてそう簡単に見つからないでしょ。そしたら、オヤジが新木場の材木屋さんで営業ができる人間を探してるのでお前行ってみないかって言ってきて。材木なんて分からないって言ったら、そんなもの行きゃあわかる。そんなこと言ってられる身分かって言われて。で、まあどんな会社か見に行くだけは行ってやろうということで来てみたら。何とも地味な場所に地味な会社があって。こんなとこで営業?って思ったんですけど。町中に木の匂いがしてて、なんかいいなって思って。私は物を売るのが性に合ってるんで、こんな地味なとこで材木みたいな地味なものを売るってどういうことなんだろうって少し興味が湧いてきて。で、工場長、その時は営業部長でしたけど、本当に木が好きな人なんですよね。木のことをいろいろ教えてくれて、そんなこんなでやめるにやめられなくなっちゃったという訳です」
「案外そんなものかもね。で、入って良かった?」
「ええ。大会社じゃないけど、皆さんいい人ばかりで。お得意さんも面白い人多いし。まあ給料は安いですけど」
「どこに住んでるの?」
「今は、東陽町に住んでます。会社に入ったころは中野だったんですけど、画ができて通勤が不便になったんで越してきました。職場が近くて助かってます。女房と子供と3人仲良く暮らしてます。でも、子供ももうすぐ一人前になるんで、そうなったら、せっかく北海道の会社に入ったんだから、一度は北海道で働かしてもらえるようにお願いできないかなって思ってます。もちろん女房も連れて行きます。彼女も北海道なら一度は暮らしてみたいなんてのんきなこと言ってます」
「そりゃ頼もしいね。是非おいでよ」
10.ハロウィーン事件
2026年10月31日ハロウィーンの夕刻、汐留にある高層マンションで死者214名に及ぶテロ事件が起こった。このマンションには米国系企業の幹部や自衛軍の幹部が複数居住しており、そのことがテロの標的になったと考えられている。しかし、居住者に占める米国系企業や自衛軍の幹部の家族の割合は数パーセントにすぎず、犠牲者の大半は彼らとは何の関係もない家族だった。
このマンションに米国系企業や自衛軍の幹部が居住していたのは、施設のセキュリティー機能が高く、管理体制も群を抜いて厳格だったからだ。しかし、これまで日本国内で大規模なテロ事件が発生したことはなく、いかに厳重な警備体制を誇ったとしても、どこかでテロの脅威を甘く見、隙があったのかもしれない。
テロリストたちは、この日が電気系統の定期的な点検日であったことを事前に察知していた。当日、マンションに向かう電気設備会社の作業員の乗った車を3人のテロリストが襲撃し、彼らを別の場所で殺害した後、作業員に成りすまして易々とマンション内に侵入した。いつもは静かなマンションで、仮に不審な行動があれば容易に気付いたはずだが、この年のハロウィーンは土曜日と重なっており、いつもの年以上に仮装した子供達や若者がマンション内を行き来し、注意が行き届かなくなっていた。
3人は、地下の電気室、機械室、倉庫などに時限爆弾と発火装置を仕掛けた。3人がマンションを退去した30分後に爆弾が破裂し、火焔が立上った。火災による有毒ガスも館内に充満していった。爆弾には建物を崩落させるほどの威力はなく、地下室の壁の一部と1階フロアのドア、窓ガラスなどを吹き飛ばしたくらいだったが、館内の電気設備、水道の配管等の機能を完全に停止させた。
このため、爆発による直接的な犠牲者は10人前後だったが、館内に充満した炎と有毒ガスが土曜日の楽しい夕食を待つ多数の善良な市民を犠牲者にした。
事件後、警視庁は直ちに地元の愛宕警察署に特別捜査本部を設置し、公安部と刑事部から大量の警察官を投入して大規模な捜査を開始した。すぐに電気設備会社の車が作業員の遺体とともに豊洲ふ頭の海底から発見された。電気設備会社社員に扮した犯人と思われる3人の顔もマンション内に張り巡らされた防犯カメラがはっきりと捉えていた。現場検証では時限装置とみられる時計や乾電池も発見された。使われたプラスティック爆弾の種類も特定できた。犯人を特定するのは時間の問題と思われた。
事実、犯人はすぐに特定できた。犯行の3日後に犯行声明がインターネット上に掲載されたからだ。遠い異国の地シリアでアップされたものだった。声明を出したのは政情が不安定な複数の国で勢力を伸ばしていたイスラム系テロ組織ムスリム連合MCだった。
「日本は愚かにも十字軍の仲間になった。お前たちは我々の国に攻め込み、罪のない子供たちや女を殺した。我々はお前たちを赦さない。これはジハードだ。日本人たちよ思い知るがよい。これは始まりにすぎない。お前たち日本人が本当の恐怖を味わうのはこれからだ」
MCが掲載した映像の中に爆弾を仕掛けた現場のものが挿入されており、その映像を分析した結果爆破されたマンションに間違いはなく、犯行はMCの手によるものと断定された。
11.新宿
市川の話を聞きながら東京工場周辺のお得意先を回り、さらに木場から浦安に足を向けた。
「芳野専務、新宿って最近行ってないでしょ」
「なんだよ出しぬけに。真面目にやってんじゃなかったのかよ」
「いやいや真面目な話なんです。画ができたでしょう。それでどこが変わったって言っても新宿ほど変わった場所はないですよ。昔はあっちの方で結構お世話になったんですけどね。今はそんな面影はまったくない。静かな年寄りの町になっちゃった」
「なんだそりゃ?あの新宿が年寄りの町?」
「特に歌舞伎町界隈ですね変わったのは。画ができて画内の風俗の取り締まりは無茶苦茶厳しくなりましてね。しかも、画内はどちらかと言えば品行方正なお金持ちしか住めなくなったでしょう。画外のやんちゃな人間は夜遅くまで画内でウロウロできないし。それで歌舞伎町界隈の風俗とか飲食店はあっという間につぶれるか画外に出ていきました。それが歌舞伎町の周辺にまで広がって」
「なるほど。ある意味画の被害者だな」