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画-かく-

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 門脇工場長、三浦総務部長、市川営業部次長と私の4人がソファに座り、一通り世間話をして場が和んだところで、門脇が東京工場について説明をし始めた。
 
 東京工場という名前ですが今は工場はありません。勿論以前は工場がありました。主に北米産の丸太、特にカナダ産の丸太を製材していました。今は全て現地で製材して人工乾燥したものが北米から入って来ますので、製材を仕入れて販売するというのがうちの事業の柱になっています。木材問屋と言った方が実態に近いです。今のところ赤字は出していませんが業績は胸を張れるものではありません。
 東京工場の沿革については、本社でお聞きになっているかもしれませんが、昭和30年に東京支店として置かれたのが始まりです。わが社は北海道の会社ですから、最初のうちは北海道で製材したトドマツ、エゾマツとフリッチという広葉樹を粗挽きしたものを首都圏で販売する拠点として先代が出店を決めました。
 その後、首都圏の木材需要が爆発的に拡大しまして、木材の輸入が自由化されたので、北米から丸太を輸入して製材する事業に転換しました。そのとき名前も東京工場に変更したのです。
 しかし、その後、ご承知の通り製材での輸入が拡大し、国内で製材するメリットがなくなってきましたので製材工場を売却しました。その時に東京支店に戻した方が良かったのかもしれませんが、当時は東京工場という名前が定着していましたので、敢えて変更することもないだろうとそのままにして今日まできました。
 ただ、今後の首都圏の木材需要、特に住宅用の柱や梁の需要を考えると、画内で木造住宅が建つことは99%ありませんし、画外でも近郊は高層化が進んでいます。ですから、柱や梁を扱っていてもこの先商売になりません。その上で、今後の首都圏の事業戦略を考えないといけない。
 そこでわが社は何が自慢できるかと考えると北海道が母体であるということでしょう。幸い北海道産の広葉樹は内装材として今も根強い人気があります。また、トドマツ、エゾマツも内装材としては使いやすい素材だと思います。わが社には北海道という良いブランドイメージがありますので、これをうまく活用した事業戦略を立てられないかと思っています。
 また、本社で始めた住宅販売事業は出足が好調なようですが、首都圏でも画内に入ることを嫌う富裕層は結構います。彼らを主なターゲットにして、セキュリティー機能を備えたリゾート型住宅団地の建設が進んでいます。エリアとしては新幹線を利用して東京までのアクセスがドアツードアで2時間以内に限られますが、こういったところは有望な市場になるんじゃないでしょうか。そんなことを考えています。
 東京工場の名前については、今後の事業戦略の方向が定まってからそれにふさわしい名前に変えればいいと思っています。
 私は来年定年ですので、次の代で考えてもらうのが良いのですが、着手するなら早い方が良いし、幸い今は本社の業績が良いので、ある程度冒険も出来ると思います。
 私が東京工場にいる間に出来る限りの準備はしておきたいと思っていますが、私はこう見えて石頭なので、やはり新しい発想で臨んだ方が良いと思います。芳野専務は入社されて日は浅いですが、森や木材のことは詳しいでしょうし、業界の慣習に染まってらっしゃらないので、きっと良い方向を示して頂けると期待しています。どうか我々の力になってください。
 
 太宗このような内容だった。それに関連して三浦、市川が補足的に説明してくれた。その後、本社のこと東京工場のこと、今後の東京工場の事業の戦略について熱心に情報交換、意見交換を続けた。すぐに正午がきて、出前の鰻が届き、食べながら意見交換を続けた。
 2時近くになって、三浦が時計を見て「そろそろ挨拶回りに出かけて頂かないと」と門脇に伝え、門脇が「そうだ忘れてました。芳野専務には主な取引先だけですが、挨拶回りをお願いできますか?それから夕方6時半から工場の者全員で顔合わせ会を予定していますのでご参加をよろしくお願いします」と問うてきた。
 東京工場の概略はある程度頭に入り話も少し散漫になってきたころだった。頻繁に来られる訳ではないので、この機会に挨拶回りすることに異存はない。ひとまず会議を終えた。


8.派兵
 準常任理事国となった日本とドイツには当然のことながら拒否権はなかった。そのため、常任理事国と同等の絶対的な権限は得られなかった。しかし、当時国連の予算の11%と7%を負担する両国は、PKO予算の分担金を盾に、事実上の拒否権を手に入れることができた。一方、同時に準常任理事国となったインドとブラジルは、安全保障理事会に恒常的に議席を持つという名誉ある地位は得ることはできたが、権限は他の非常任理事国と大差はなかった。

 日本とドイツは先の大戦から80年を経てようやく国連で枢要な地位を得た。常任理事国と同等とはいかないがそれに次ぐ地位だ。両国に対する世界各国の見る目が変わった。国連の主要な会議には必ずメンバー国に加えられ、発言を求められた。日本の地位が一気に向上した。中国や韓国の苛立ちは如何ばかりだったろう。
 しかし、尊重される地位を得るということは、同時に責任がこれまでとは比較にならないほど重くなるということだ。これまでは分担金さえ支払っておけば良かった。しかし、これからは軍事的な責任まで負わなければならない。つまり世界のどこかの国の平和が脅かされ、平和が破壊され、又は侵略行為が始まったときに、日本とドイツは率先してこれに立ち向かっていかなければならない。見ず知らずの国の国民を守るために自国民の血を流す覚悟を求められるようになった。

 2001年9月11日に起こったワールドトレードセンタービルへの自爆突撃は世界に衝撃を与え、これを実行したイスラム系国際テロ組織アルカイダとこれと連携するタリバンの名が世界の人々の心に焼き付けた。同じ頃に組織されたISILは2010年代にはイラクからシリアの国境をまたぐ広範囲な地域を支配し、戦力の強大さ、行動の残虐性が世界を震撼させた。
 その後も、彼らイスラム系テロ組織は、米、英、仏、ロやアメリカが支援するイラク政府軍、ロシアが支援するシリア政府軍や反政府勢力と対峙するなかで盛衰を繰り返し、テロ組織同士の合従連衡を重ねていった。そして、2020年代中頃には世界各地に中小の組織が乱立する状況に陥った。
 一方、2010年代に混迷を極めたイラクは2020年代も混迷したままかと思われたが、2021年シリアの独裁政権が崩壊しシリア国内が大混乱に陥ると、主戦場がシリアに移り、ようやく小康状態が訪れた。
 
 2025年、日本政府はシリアに自衛軍を派遣した。国連平和維持軍PKFとして、武器を携行しての初めての本格的な派遣だった。日本が準常任理事国になるのと前後して自衛隊は国際的な呼び名と整合性を取るため自衛軍と名称を変更していた。
 以前なら、自衛隊を非戦闘地域に派遣するだけでも国会の内外で大もめにもめたものだが、この頃参議院は既になく衆議院一院で決議すればことは済むようになっていた。しかも衆議院は与党が圧倒的な議席を占めていた。自衛軍の派遣は即断即決で承認された。
作品名:画-かく- 作家名:芳野 喬